7-10 転生幼女の新たな門出

「よかった。なかなか姿が見えなかったので、魔法か何かでもう出発してしまったのかと心配になってたところでした」


 そういって、ミレルカは心底安心したと言いたげに表情を緩めた。

 ここにいるとは思っていなかった姿を前に、ベルムシオンはぽかんとした顔でミレルカを見つめる。だが、すぐに我に返り、そっと唇を開いた。


「……ミレルカ嬢。何故ここに」


 呟くような声量で、ベルムシオンはミレルカへ問いかける。

 ミレルカは一瞬ぽかんとした顔を見せたが、数回瞬きをしたのち、ゆるりと笑みを浮かべた。


「なんでって、ベルムシオンさんに同行するために決まってるじゃないですか。お誘い、してくれたでしょう?」

「それは、確かにそうなんだが」


 ベルムシオンが何やら言いたげに目を細める。

 ミレルカに今回の話を持ちかけたのはベルムシオンだ。確かにベルムシオンがミレルカへ冒険のきっかけを与えた。

 しかし、つい先ほどまでミレルカはベルムシオンの誘いに対して首を横に振ったと思っていたため、どうしても驚きが隠せない。


「……怖くはないのか? 冒険に出るのが。それに、セシリアさんたちと離れることになるんだぞ」


 一歩、フルーメの町から出てしまえば待っているのは危険に溢れた日々だ。

 ミレルカは最初から戦いに慣れているわけではない。むしろ、その反対だ。生まれてからずっと危険を知らずに育ってきた――ちょっと知識と技術に長けているだけの一般人。

 ベルムシオンとともに旅をすれば、一緒に森を歩いたとき以上の危険が襲ってくる可能性だってある。一般人として育ったミレルカが自らそんな環境に飛び込む選択をしたなんて、なかなか信じられなかった。


 彼女の力を欲して誘ったのはベルムシオン本人だというのに――ミレルカへ問いかけながら、ベルムシオンは内心己に対して苦笑いを浮かべた。

 はた、はた。ゆっくり瞬きをしたのち、ミレルカがくすくすと笑う。


「確かに怖いですよ。この辺りは弱い魔獣しかいませんけど、私にとっては十分脅威になる魔獣ばかり。森の中を歩くだけでも怖かったのに、ベルムシオンさんと一緒に旅をすれば、もっと怖い魔獣と出会う可能性もある」

「では、何故だ?」


 何故、それがわかっていてベルムシオンの旅に同行しようと決めたのだろう?

 心の内に生まれた疑問を口に出し、ベルムシオンは訝しげに目を細めた。

 森をともに歩いたときとは異なる表情や言葉は、彼が抱えている困惑と混乱をあらわしている。

 大人の余裕に満ちた姿ではない、新たなベルムシオンの表情を目にできたことに少しだけ楽しくなりながら、ミレルカは口を開いた。


「私、ベルムシオンさんと出会うまでは知識や技術をあまり活かそうとは思ってなかったんです。この知識や技術でセシリアさんたちを――家族を助けられたらそれでいいって、ずっと思ってたんです」


 唇を動かして紡ぐのは、ミレルカの胸の中にずっとある思いであり、ミレルカ・ジェラルペトルの原点ともいえる考えだ。

 ふ、とかすかに笑みを浮かべ、ミレルカはさらに言葉を続ける。


「でも、ベルムシオンさんと一緒に森の中を冒険して、もっと一緒に冒険したいって思ったんです。一時的な相棒じゃない、正式な相棒としてベルムシオンさんと世界を歩いて――そして、もっともっと世界を見てみたい、って!」


 ミレルカが両手を広げ、晴れやかな笑顔を浮かべる。

 フルーメの町の中だけで生きていこうと思っていた。セシリアたち家族を助けながら穏やかに過ごし、生きていこうと思っていた。

 だが、ベルムシオンとの出会いを経験して、彼の正式な相棒としてもっと冒険したいと考えが少しだけ変化した。


 もっと、もっと広い世界を見てみたい。

 ベルムシオンの正式な相棒として、彼と一緒に広い世界をもっと歩いてみたい。

 そして、自分の知識と技術をもっと磨きながらセシリアたち家族を助けたい。


「それが私のやりたいことなんです」


 それが、ミレルカが『ミレルカ・ジェラルペトル』としてこの世に生まれ落ち、心の底から強くやりたいと思ったことなのだ。


「やりたいことを可能にしてくれる人がいる。その人も私の力を必要としてくれている。なら、チャンスだって思って。……それに、魔獣に襲われてもベルムシオンさんが守ってくれるでしょう?」


 もちろん、ミレルカもお荷物にならないよう、自分が作った魔法道具で応戦するつもりだけれど。

 全ての言葉を紡ぎ終え、ミレルカはベルムシオンへ無邪気な笑顔を向ける。

 ベルムシオンは、ぽかんとした顔でミレルカを見つめていたが――やがて、表情を崩して苦笑を浮かべた。


「……どうやら、ミレルカ嬢は僕が思っていたよりもうんと強いお嬢さんのようだ」

「ふふ、これでもずーっとお姉さん役をしていた身ですから」

「だが、本当にいいのか? 僕と冒険をすれば、フルーメの町から遠く離れた場所にも向かう。フルーメの町にはそう簡単に帰ってこれなくなってしまうが」


 もう一つ、ベルムシオンはささやかな心配事を口に出し、ミレルカへ問いかけた。

 ミレルカはまだ幼い。本来であれば、まだ親の庇護下で穏やかに育っていく時期だ。

 今はまだ大丈夫でも、生まれ育った町や親がわりであるセシリアの下から長く離れれば、寂しさが膨れ上がってしまうかもしれない。だが、一度旅に出てしまうと、そんな状態になっても故郷へは簡単に戻れない。

 もちろん、ミレルカを連れて行きたいと最初に言い出したのはベルムシオンなのだから、その辺りのフォローはしっかりするつもりではあったがミレルカ本人にも一度聞いておきたかった。

 大丈夫かと言いたげなベルムシオンへ、ミレルカは無邪気な笑顔をみせる。


「あ、それなら大丈夫です。ヴェル兄からその辺りの悩みを解決してくれる魔法道具のレシピをもらって――完成させたものがありますから」


 そういって、荷物から取り出してみせたのは引き出しがついた正方形の文箱だ。全部で三つの引き出しがついており、それぞれの段に小さく削った魔法石の取っ手が取り付けられている。ダークブラウンの木で作られたその文箱は、背面にインクで魔法陣が描かれていた。


 これが、あの日の夜、ヴェルトールからレシピを受け取り――ミレルカがこの日のために少しずつ作ってきたものだ。


「……それは」

「絆の文箱です」


 ミレルカの手の中にある文箱を目にした瞬間、ベルムシオンが大きく目を見開いた。

 絆の文箱。金剛級に分類される魔法道具の一つであり、熟練の錬金術師でも集中して作らないと失敗してしまうことがある繊細な魔法道具だ。


「その反応だとベルムシオンさんはもうご存知だと思いますけど……これ、同じものを二つ作って、中に入れたものをもう片方に転送してくれる道具なんです」


 同じものを二つ作り、対になる文箱に同じ魔法陣を描いて繋がりを作る。さらに、引き出しの各段に転送魔法の魔法陣を描き、対になる文箱間で中に入れたものを転送し、やり取りできるようにしたもの――それが、絆の文箱という魔法道具だ。

 絆の文箱のレシピをヴェルトールから受け取ったときは驚いたが、これなら確かに遠方にいてもセシリアたちの手助けができると納得した。


「私が持ってる絆の文箱の片割れは、もうすでにセシリア先生の部屋に置いてもらってます。だから、簡単にセシリア先生やヴェル兄、施設のみんなと手紙や道具のやりとりができるようになってます」


 だから、寂しくなってもその寂しさを和らげることができます。

 にこにこと笑顔を浮かべたまま、ミレルカはベルムシオンへ答える。

 対するベルムシオンは、目を丸くしたままミレルカと絆の文箱をずっと見つめていたが――やがて、肩を揺らし、くつくつと声を押し殺して笑った。


「なるほど。しっかり準備を整えたあとだったか」

「はい。心配になりそうなところはしっかりカバーしてきてるつもりなので……大丈夫です」


 だから、連れて行ってくれますよね?

 声には出さず、ミレルカはベルムシオンを見つめ、ことりと首を傾げる。

 ひとしきり声を押し殺して笑ったのち、ベルムシオンは柔らかく目を細め、穏やかな笑顔をミレルカへ向けた。


「……ならば、何一つ心配はなさそうだ。僕の相棒になってくれるか? ミレルカ嬢」


 その言葉とともに、ベルムシオンが手を差し出した。

 ミレルカよりも大きくて頼りになる、武器を扱う武人の手。森の中を歩いていたとき、ミレルカを勇気づけ、何度も支えてくれた相棒の手。

 差し出された彼の手へ自分の小さな手を重ね、ミレルカは笑顔のまま大きく頷いた。


「もちろん。どんなところにも連れて行ってくださいね、ベルムシオンさん」


 ぎゅ、と。ベルムシオンがミレルカの手を握る。

 ミレルカからもベルムシオンの手を優しい力で握り返した。


「ああ。ともに、いろんな場所や町を見て過ごそう。危険が迫ればミレルカ嬢を守ると約束しよう。――改めて、これから末永くよろしく頼む。相棒」

「こちらこそ。ベルムシオンさんのサポートをして、ベルムシオンさんが快適に旅ができるようにすると約束します。――末永く、よろしくお願いしますね。相棒」


 繋いだ手とともに、互いを相棒と認め合う言葉を交わす。

 ほんの少しの気恥ずかしさに、二人揃ってかすかに笑いあってから二人は手を離し、荷物を簡単にまとめてから町の外へ踏み出した。

 二人で町を出発するのは、セシリアを探しに行くために二人で町を出たときと同じ。

 だが、今度はフルーメの町を完全に離れるからだろうか――肌や髪を撫でていく風が、あのときよりもほんの少しだけ異なるように感じられた。


「さて、まずはどこを目指そうか。フルーメの町に滞在するのは予定外だったから、改めて計画を練り直さなくては」

「ううん……なら、ベルムシオンさんが本来目指すはずだった場所を目指します?」

「それもいいのだが、どうせなら少し予定を変えてみてもいいような気がして――」


 相談しながら、ミレルカとベルムシオンは並んで道を歩く。

 どこを目指すか、どこに向かうか。言葉を交わす二人の表情はどこか楽しげで、一種の希望に満ち溢れたものだ。

 そんな二人の頭上へ、一瞬の強風を引き連れて大きな何かが影を落とす。

 反射的にミレルカが顔をあげると、見覚えのある鱗をした一匹の竜がどこかへと飛んでいく様子が目に映った。

 ぱあ、と。ミレルカの表情が一気に明るくなり、花が咲いたかのような笑顔が浮かぶ。


 自分たちのはるか上空を飛んでいった竜の姿には覚えがある。

 森の中で傷を癒やし、休息をとっていたはずのファーヴニルだ。


「ファーヴニル! よかった、ファーヴニルも元気になったんだ……!」


 ミレルカと同様に空を見上げたベルムシオンも、ふ、と表情を緩める。

 ベルムシオンからすると、ファーヴニルは命がけの鬼ごっこをした恐ろしい相手でもあるが、ああして元気に空を飛んでいる様子を見るとほっとするものがある。


「ああ。あちらも無事に傷が治ったようでよかった」

「そうですね……本当に、元気になってよかった」


 ベルムシオンの呟きに頷いたところで、ふと。ミレルカの頭で一つの考えがひらめく。


「そうだ! せっかく旅立ちの日にファーヴニルを見かけたんです、ファーヴニルが飛んでいった方角に行ってみましょうよ!」

「ファーヴニルが向かっていった方向か。確かに面白いかもしれないな。……よし、その方角を目指してみるか」


 ミレルカの思いつきに対し、ベルムシオンも同意を示した。

 なら決定だと言わんばかりの笑みを浮かべ、ミレルカはファーヴニルを追いかけるかのように駆け出す。


 竜に導かれ、小さな金剛級の錬金術師は遍歴騎士の青年とともに元気よく世界へと飛び出していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転生幼女は金剛級錬金術師 神無月もなか @monaka_kannaduki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ