旅立ち

木沢 真流

永遠の別れじゃあるまいし

 両手の親指と人差し指で長方形を作る。そのまま心のシャッターを押すと、今ここにしかない写真が撮れる。たんぼが広がり、その奥には昔よく遊んだ林。見上げた曇り空を吸い込むと、口の中がどことなくじめっとした。私はゆっくりと指で作った四角を解くと、胸ポケットに入れていたゴムをとりだし、風にたなびく髪を結んだ。


「この景色も見おさめか」


 昨日、私がエルシオ国へ旅立つことを母に伝えたら目を丸くして驚いていた。

「そんな……あんたまだ17だよ?」

 幼い頃、母から聞いたことがある。人としてなんらかの魅力がある者、例えば笑顔が素敵、特殊な才能がある者は御声がかかり、エルシオ国へ呼ばれるんだと。そしてそれはとても名誉のあることなんだと。ただそれは遠い世界の話だと思っていた。まさかこの私に声がかかるなんて。私の場合はきっと……。


「悲しい? 私がいなくなって」

「いや、そんなことは無いけど」

 わかってる、気の強い母さんは絶対に泣きついたりしない。私がいなくなってからおいおい泣くんだ。父さんが亡くなった時もそうだった。そんな母を置いていくのは、後ろ髪を引かれる思いで胸が痛む。でも私は行く、行かなければならない。


「あの子には伝えたのかい?」


 私のもう一つの心残り、それはあいつだ。会えばいつも喧嘩ばかり、おさな馴染みのケン。あいつにだけはこのことは言っておかなくちゃいけない。だからここに呼び出した。初めてあいつを意識した、文化祭の帰り道。


「話って何だよ、いきなり」

 黙ってる私を見て、無神経なアイツも何か気づいた様子だった。

「私、エルシオへ旅立つ事になった」

 ケンの目が丸くなった。

「そっか。良かったな、あの国にはイケメンも沢山いるらしいじゃねーか、お前好みのな」

 私はじっと見つめた。茶化しちゃいけない、だってこれが最後かもしれないんだから。

「あんたは……それでいいの? もう会えないかもしれないんだよ」

 ケンは一瞬真剣な目をしてから、ふん、と息を吐いた。

「大丈夫だ、俺だっていつかそっちに行くんだから。それまで待ってろよ!」 

 私はケンの目をじっと見つめ、少しずつ距離を詰めた。ケンは唾をごくりと飲み込み、後退りしようとするのを必死で耐えていた。

「分かった、待ってる。でも……」

 私は唇を噛み締めた。

「待つのは2年だけ。それ以降は私はあっちで好きな人見つけるから。あんたもこっちで相手を見つけなさい。それでいいね?」

 言い捨てて私は立ち去った。最悪だ、もうこれであいつと話すのは最後かもしれないのに。でもこれ以上あそこにいたら、私はきっと苦しくなる。これで良かったんだ、きっと。


 旅立ちの日、親しかった村の人たちが見送りに来てくれた。となりのばあちゃんなんか「なんでこんな若い子が……」なんて泣き崩れて。大袈裟な、永遠の分かれじゃあるまいし。


「すまんね、何も手土産が無くて。我々も必ずいつか会いに行くから」


 エルシオ国へは何も持って行ってはいけないことになっている。でも大丈夫、みんなの笑顔があるから。あいつ、ケンは来なかった。どうせ涙でぐしゃぐしゃになる顔を見せられなかったんだろう。みんな、少し先に行ってるね。待ってるから。

 迎えに来たバスに乗り、ゆっくり扉が閉まる。滑り出したバスの窓から私は大きく手を振った。

「みんなー、ありがとー! 元気でねー!」

 見えなくなるまで手を振った。みんなも同じだった。

 ぼんやりと流れていく景色を眺めていると、三瀬川が見えてきた。川べりに誰かが立っている。応援団の服装に、腰に手を当てていた。あ、と私は窓から身を乗り出した。あいつだった。ほんの一瞬だったけど、あいつがエールを送っていたのが見えた。

 涙がほろりと頬を伝った。込み上げる思いを必死で押さえつけた。私、本当は行きたくない、もっとここでみんなと一緒にいたい。でも私は行く、行かなければならない。目的はエルシオ国。

 別名、天国と呼ばれているその国へ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

旅立ち 木沢 真流 @k1sh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ