第28話

 それは冒頭の話に戻る……。




「馬鹿者! 異民族の撃退は王の務めであるぞ! 王が動いてこそ、国としての意志が示されるのだ!!」


 エニクランド陛下の罵声が飛ぶ。


 家臣たちは慌てて具足の準備のために、部屋を出て行った。


 残っているのは陛下だけだ。戦い終えた闘牛のように鼻息を荒くし、次なる戦いに思いを馳せるように天井を向く。


 これから寒い北の地で、ルドー族の土地を侵犯した異民族と戦うことになるというのに、意気軒昂とした様子だった。


「さすがは、陛下だ……」


 やれやれと、俺は首を振る。


「誰かいるのか?」


 声と同時に、陛下の視線が扉の横で様子を窺っていた俺の方に飛ぶ。


 まだ手も掴まれてもいないのに、心臓が鷲掴まれたような心地になった。そんな殺気とも覇気とも違う気配を感じながら、俺は大人しく扉の横から首を出す。


「ライハルトか?」


 エニクランド陛下の表情が少し緩む。だが、戦さに高揚する気持ちは抑えられないらしく、雰囲気そのものは変わっていない。


「見たところ、トイレか? お前は相変わらず尿瓶で用を足すのが苦手なのだな。子どもの時と変わらん」


 寝間着にガウンを羽織った俺を指差す。


 葉巻の先を切り落とし、火を付けた。先ほどまで執務室に充満していた家臣たちの汗臭いに匂いが、たちまち紫煙の匂いに変わる。


「まあ、よい。少しお前に用がある。用を足した後でよいから、戻ってこい」


「陛下の罵声を聞いて、出るものも出なくなりましたよ」


 こうなっては誤魔化すことはできない。俺は観念して、陛下の執務室に入った。


 椅子を進められるまま着席し、膨大な書類が摘まれた執務机を挟んで、エニクランド陛下と向かい合う。


 こうして見ると、溌剌として見える。先ほど、睡眠時間を1時間で良いと豪語した社畜こくおう様とはとても思えない。


『陛下、どうぞご自愛下さい』という安易な定型文さえ脳裏に浮かばなかった。


 エニクランド陛下は山と積まれた書類の中から紙の束を取り出す。


 こういう紙の束を上司に渡された時に、良い思い出がない。父親といえど、立場もまた似てるしな。


「これは?」


 という質問に父上は答えてくれなかった。


 とりあえず黙って読めということだろう。


 パラパラと捲ってすぐわかったが、それは奴隷のリストだ。おそらくそれもかなり数である……。


「全部、ガル族かその出身者のようですが……、何人分あるんですか?」


「約2万人だ」


「に、2万!!」


 思わず腰が抜けそうになった。


 もう1度精査して驚く。その2万人の奴隷すべてがここ1年で取引された奴隷なのだ。


 それもたった1社だけで。


「これは一体……」


「フェンブルシェンから送られてきた。向こうで違法奴隷の取り扱っていた斡旋業者を摘発したら出てきたらしい。うちで調査しろとうるさくてな。……とはいえ、2万人だ。放っておくわけにもいかん」


「確かに……。しかし、たった1社が年間に2万人の奴隷を? そんなことできるはずが――――」


「そう。できるはずがないと思うのだが、捨て置くわけにはいかん。ライハルトよ。わしが帰る前に、この2万人の奴隷について調べよ」


 正直ゾッとする話だが、俺にはこの時2万人の奴隷の内訳に気付いていた。


「陛下、おそらくですが、2万人の奴隷はブラフです」


「ブラフ? いないというのか?」


「考えてもみて下さい。1社で2万人の奴隷を1年で取引するなんて現実的ではありません。おそらくですが、これは架空計上でしょ」


「架空計上?」


「脱税ですよ。俺の記憶が定かなら、奴隷は経費計上ができたと思われますが」


「ああ……。雇われれば、その給料も経費として計上できるが……。それがどうしたというのだ?」


「だから、これが書類上で作られた偽の名義だということですよ。だって、誰も2万人の奴隷を確認していないのでしょ」


「むっ! なるほど」


「そうやって経費を上乗せして、支払う税金を少なくしていたのでしょ」


 税金のシステムは、この世界も俺がいた現代世界もさほど変わらない。商人や貴族は、1年間の所得で概ね決まってくる。


 翻せば、現代世界の節税対策が通用することになる。


 エニクランド陛下が無知なのか、それともこの世界では節税対策するような人間が少ないのかはわからないが、この奴隷を水増し計上するやり方は、こちらではあまり知られていないようだ。


「さすがはライハルトだ。税金にも詳しいのだな、お前は」


「それほどでも……」


 俺は頭を掻いたが、この時すでに嫌な予感がしていた。


「ならば、この首謀者を見つけ出せ。期限は余が帰ってくるまでにだ」


 うっ! 藪蛇だったか。


 まあ、執務室に案内された時から薄々こういう展開になるのではないかと思ったが……。


「わかりました」


「帰ったら、お前の次期国王に指名する式典を行う。スピーチを考えておきなさい」


 そう言って、エニクランド陛下は用意できた鎧を纏う。


 馬車に乗り込み、北の戦地へと向かうのだった。



 ◆◇◆◇◆



 犯人は意外と早く見つかった。


「ひぃ! お許しを、ライハルト様!」


 俺が剣を突きつけたのは、レインダー伯爵だった。


「随分と大それたことをしたね、伯爵。税の誤魔化しは極刑ではないにしろ、お屋敷の取り潰しぐらいは覚悟しないと……」


「ち、違うんです!」


 レインダーは首を振った。


 この時、俺はおおよそ予想はついていた。レインダーは犯人ではない。何故なら彼ぐらいの地位で、これほど大それた犯罪はできないと思ったからだ。


「違うというなら、洗いざらい喋ってもらおうか。この件については、陛下もお心を痛めておられる」


「へ、陛下もご存じなのですか?」


 思いの外、この言葉がトドメとなった。


 いくら優秀と言われていても、相手が王子だと見ればつけ上がる貴族も多いのだが、さすがにエニクランド陛下の名前を出されては、形無しだ。


「わかりました。お話しします」


 そこで俺は、この奴隷取引の全容を知ることになる。



 ◆◇◆◇◆



「なるほど。ステルノが絡んでおるのか?」


 エニクランド陛下は執務室に座り、髭を撫でた。


 戦地から帰ってきたばかりだというのに、戦地に行く前より溌剌している。


 本人曰く「馬車の中で1年分の睡眠を取れたから」らしいが、冗談に全く聞こえない。


 いっそ戦地で異民族の血を浴びたのだと言ってくれた方が、よっぽど嘘っぽく聞こえたことだろう。


「レインダー伯爵は、ステルノ姉さんが経営する顧問会計士です。証言は間違いないでしょ」


「なるほどな」


「陛下……。これは僕の推測でしかないのですが、初めからステルノ姉さんの犯行だと気付いていたのでは?」


「確証があったわけではない。だから、お前に頼んだ」


 奴隷の出身地、さらにガル族の奴隷斡旋所……。しかも2万人という大規模な奴隷取引に足る地位を兼ね備えたもの。


 その関係から考えても、真っ先に思い浮かぶのは、ガル族の血を引くステルノ姉様だけだ。


 むろん、そう見せかけた誰かの犯行という考えもある。


 故に、エニクランド陛下は何も前情報を与えず、俺に捜査を命じたのだろう。


「奴隷を水増しした違法な節税対策か。ステルノが考えそうな方法だ」


 陛下は肩を竦めた。


「相変わらず狡猾な娘よの。一体、誰に似たのやら」


「ステルノ姉様には、姉様しか知らない孤独を抱えているのかもしれません」


「ほう……。いやにステルノの肩をもつではないか」


「腹違いですが、同じ血を引く姉弟ですよ。肩を持つのは当然です」


 大げさに俺は胸に手を置いた。


 エニクランド陛下は吸っていた葉巻を灰皿にこすりつける。


「問題はステルノにどうやって自白させるかだな」


「王国王典にある『王族の罪』ですね」


 ドラガルド王国では、最高権力者である王やその家族も犯罪を犯せば、他の一般人と同じく刑に処されることになっている。


 これは他の国と比べても早く整備され、一時期は画期的とされてきたのだが、この『王族の罪』を使い、王族が犯罪を犯したように見せかける事件が、ある時多発した。


 それが連続したことによって、最大で60人以上いた王族が、たった5人まで減った『レムダの訴え』という事件があり、『王族の罪』を撤廃しようという動きすら出てきた。


 そこで妥協案として提案されたのが、「『王族の罪』は王族の口からなされる」という言葉通り、状況証拠だけではなく王族の自白がなければ罪に問えないという風に、法律が変更された。


 王族が口を割らなければ罪にならないと思うだろうが、その自白には命の危険を伴うような拷問と魔法による誘導尋問以外であれば、方法は問わないことになっており、これまで数々の自白が繰り広げられてきた。


 例えば密室に連れ込み、己の罪を赤裸々に語らせる状況を作って、犯罪者の口から自白してもらう――ような話だ。


「しかし、あやつは簡単に口を割らぬだろう。狡猾な上に、我慢強いところもあるからな」


「よっぽど油断していないと難しいでしょうね」


 俺は他人事のようにうそぶくのだが、陛下の真摯な瞳からは逃げられなかった。


「わかりました……。僕がやります」


「さすがはライハルトだ」


 その称賛もどこか虚しく聞こえる。


「しかし、僕が指揮を執る代わりに陛下にも手伝ってもらいます」


「よかろう。それで? 何をすればいい」


「そうですね。先だって、次期国王について――――」



 お断りさせて下さい。


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