第23話

 北と南でたなびく煙は、池泉の桟橋に立てられた離れからも確認できた。


 ガル族の長フェンブルシェンは、目の上に手でひさしを作りながら、北の煙を眺める。


 対するルドー族の長テテューパは南の方の煙を視認していた。


「がっはっはっはっ! 始まったのぉ。戦いの狼煙だ。どれ、わしもちょっと行ってくるかの」


「それは名案です。では、あたくしは南に……」


 両者は示しを合わせたかのように席を立とうとする。


 それぞれの袖を握り、引き留めたのは、ドラガルド王国国王エニクランドであった。


「これこれ。お前達が中座をしてどうするのだ?」


「がっはっはっはっ! 冗談だ」


「本当か? テテューパはともかく、フェンブルシェンよ。そなたは本気であったのだろう」


「むっ! 何故バレた?」


「長い付き合いだ。それぐらいのことは言わなくてもわかる」


「がっはっはっはっ! さすがはエニーだ。がっはっはっはっ!」


 エニクランドはフェンブルシェンを呼び捨てで呼ぶのに対して、フェンブルシェンはエニクランドを『エニー』と愛称で呼ぶ。


 それはフェンブルシェンがこの中で1番年上だからなのだが、ドラガルド王国――いや、世界的に見ても国王を『エニー』と可愛げのある愛称で呼ぶのは、後にも先にもフェンブルシェンただ1人だけだった。


 この中で1番年下のテテューパも、他の2人に負けない弁舌の持ち主だが、弁えているらしく、普通に『国王』『陛下』と呼ぶことが多い。


 名前の呼び方1つとって、それぞれの部族の長の性格が、よく反映されていた。


「それに我々が個々を離れれば、『マスク』がここに来ないではないか。折角、こうして兵を揃えた意味がない」


「それにしても、物々しすぎませんか、陛下? 相手は賊1人なのでしょう?」


 テテューパは口を挟むと、フェンブルシェンは2度ほど頷いた。


「そうじゃそうじゃ。わしの兵まで使いおって」


「用心に越したことはない。それに余は何も命令しておらん。今回の警備については、グラトニアとライハルトに任せておる」


「グラトニアはともかく、噂の次期国王と名高いライハルト王子ですか?」


 テテューパが青い瞳を光らせる。


「大丈夫なのか? 若造どもに任せて」


「あやつらもいい年になった。グラトニアはもう24だ。責任ある部署に着けねば、根が腐ってしまう。いい加減、王族として1人立ちしてもらわねば」


「そうやって親が心配しているうちは、難しいですよ」


「そうじゃそうじゃ。わしなんて、今息子が何をしているのかすらわからん」


 がっはっはっはっ! フェンブルシェンは豪快に笑う。


 テテューパも、エニクランドも呆れた様子で肩を竦めるのだった。


 賑やかな三族会議は、思いの他いつも通り進んでいく。


 いよいよ国政についての話になり、エニクランドが話題を変えようとした時、ふと気配に気付いた。


 エニクランドだけではない。


 フェンブルシェンも、テテューパも同時に気配を察する。3人とも国のトップだが、未だに戦場の匂いが忘れられない者たちばかり。


 特に戦意や殺意、死の気配がする者が大好物だった。


 3人は今いる離れと離宮を繋ぐ桟橋へと振り返る。


 そこに仮面を付けた鎧の騎士が立っていた。


「まさか……。貴様――――」


「ほう……」


「がっはっはっはっ! こうもあっさりと目の前に現れるとはな」


 エニクランド、テテューパ、フェンブルシェンは、目の前に現れた正体不明の騎士を歓待する。


「貴様が『マスク』か」


「初めまして、エニクランド陛下。そして、各部族の長たちよ」


 『マスク』は再び歩き出す。


 離れを囲む丸い石畳のところまで接近する。国王たちとの距離は、もう3メートルもない。


 達人であれば、2歩、いや1歩で詰めることができる距離だ。


 そこまで出てきて、『マスク』はピタリと止まる。


 ふん、と鼻を鳴らしたのはフェンブルシェンだった。


 あと1歩踏み込んでいれば、自分の距離だったからだ。それは横にいるテテューパにも同じことが言えた。


「その通り。私が『マスク』と申します、陛下」


「どうやって、ここまで? グラトニアはどうした?」


「長兄殿なら、今も桟橋の根もとに貼り付いていると思いますよ」


「馬鹿な……」


「陛下、落ち着いて下さい。おそらく光属性魔法による迷彩魔法を使ったのかと」


「しかし、この桟橋には魔法の感知装置が埋め込まれておるんじゃなかったか? 特定の人物以外ヽヽヽヽヽヽヽが使えば、警報が作動するようになっておるはずじゃろ?」


 フェンブルシェンは説明する。


「ということは、この者はもしや――――」


「詮索ならあの世でもできるでしょう、陛下。そして、部族の長たちよ」


「はっ! 貴様、わしらを舐めておるのか? 老兵と侮れば後悔するぞ」


「その通りです、『マスク』。予告まで打ったというあなたです。どんな警備もかいくぐる自信はあったのでしょう。しかし、警備をかいくぐったとしても、あたくしたちがいる限り、あなたの好きなようにはさせません」


 フェンブルシェンとテテューパは、エニクランド陛下を守るように『マスク』の前に立ちはだかる。


 国王を守っているようで、守るという意識は2人にはない。


 単純にフェンブルシェンもテテューパも好戦的で、王都を騒がす義賊がどんなものか手合わせしたくてウズウズしているのだ。


 それはエニクランドも同様なのだが、彼だけは少し大人であった。


 すると『マスク』は「待った」という風に手を掲げる。


「あなた方に危害を加えるつもりはありません。フェンブルシェン・ルドス・ガルドラン、そしてテテューパ・ルドス・ルドラス。ただあなた方には見届け人になってもらいたいのです」


「見届け人……?」

「じゃと?」


「はい。特にフェンブルシェン殿には、聞いてもらいたい。あなた方、ガル族も絡んだ話です」


 1度フェンブルシェンは背後にいるエニクランドの方を振り返った。


 目だけで「何かあったのか?」と問うが、エニクランド陛下はただ首を振る。


 『マスク』は構わず話を続けた。


「あなた方も知っていると思いますが、この国には昔から貴族の間で違法奴隷取引が、後を絶ちません。私は独自のルートからレインダー伯爵が、その取引に絡んでいることを知り、その後多くの貴族に人誅を下してきた」


「ふん。それがどうした? 確かにお前がやったことは、一部称賛すべきところもある。だが、貴族の屋敷を焼き、市中を混乱に陥れたことは許されるべきではない」


「フェンブルシェン殿もたまには良いことを仰るものです。……ドラガルド王国は王政の国ですが、王が認める法律もあることも事実。貴族が悪いことをしていたからといって、法の執行者でもない者が裁けば、それは犯罪も同じ」


「手荒な真似をしたことは自覚しています。だが、初めて『マスク』を名乗った時から、私は悪役できあることを自覚していた。……別に密告したから刑を軽くしろなどと世迷い言をいうつもりはない。私は悪役。いつかこの身が処断されるなら、それはギロチンの刃が似合いでしょう」


「ふん。妄信者め」


 フェンブルシェンは吐き捨てる。


「では、フェンブルシェン。その奴隷のほとんどが、ガル族であったならば、あなたはどう反応しましますか?」


「何?」


 フェンブルシェンは眉根を潜めるが、『マスク』の話はそれだけに留まらなかった。


「そして、その違法奴隷取引が王族主導で行われてきたとすれば、どうですか?」


「馬鹿な! 王族が!?」


「先ほども話したように違法奴隷取引は、長年ドラガルド王国の社交界を席巻してきた。その度に、摘発のメスが入ったが、撲滅までには至らない。そして貴族たちも辞めようとはしない。それは何故か……」


「もう良い! 口を塞いでやる」


 フェンブルシェンは顔を真っ赤にして怒鳴り付ける。


 その後ろのエニクランドも親の仇のように『マスク』を睨んでいた。


 今にも『マスク』に掴みかからんとする様子である。しかし、1人は違った。


「違法奴隷取引に、ある一定の安全性が保証されているからですね」


 冷静に言い切ったのは、テテューパの方だった。


「それは確かに興味がある話ですね」


 テテューパは不敵に笑った。


「テテューパ! この賊の話を聞くというのか?」


「聞くべきですよ。あなたも、そしてエニクランド陛下も……」


「何……!」


 フェンブルシェンが掴みかかろうとした瞬間、伏せ目がちなテテューパの瞳が開く。


 宝石をはめ込んだような水色の瞳は、目の前の賊ではなく、確実にフェンブルシェンとエニクランドに向けられていた。


「場合によって、あたくしはこの『マスク』の方に着きますよ」


 テテューパは『マスク』を背にして、盟友たちの方を睨むのだった。

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