第16話
「お待ち下さい、殿下」
慌てたのはルルジアだった。
俺の机に詰め寄り、身を乗り出す。激しく机を叩くことはなかったが、その瞳は驚きと、怒りのようなものが綯い交ぜになっていた。
「どういうことですか? わたくしを当主? 何を考えておられるのです」
「何を考えてるも何も、この件に関して僕に一任されている。明日から君がレインダー伯爵として、この国と家を支えていくんだ」
「承服できません」
「君は何をそんなに怒ってるのかな?」
「殿下はわかっておられない。わたくしを許せば、密告したものは咎めを受けないという悪例を作ってしまうことになるんですよ」
「翻せば、告発が多くなることにも繋がるだろ」
「本当にそう考えているなら、あまりに浅はかです。当主の座を狙ってあることないことを密告するものが現れるだけでしょう。殿下は、魔女狩りをお望みですか?」
ふー。なかなか強情だな。
まあ、予想通りだけど。
女性と口論するのは苦手だ。昔いた彼女には連戦連敗だったし。
「わかった。本音を話そう」
「どうぞ仰って下さい。ライハルト殿下は非常に賢い方だと聞いています。さぞ深慮遠謀に富んだ謀があるのでしょうね」
そんなにハードルを上げないで欲しいなあ。
俺が肩を竦める一方で、ルルジアは机の箸を掴みながら、俺を睨む。口の中に含んだ歯ぎしりの音が、今にも聞こえてきそうだ。
「そんな遠大な思慮は、僕にはないよ。賢いというのも過分な評価だ。事実、他の兄姉の方がよっぽど賢いしね」
「それで? どうして、わたくしを当主に……」
「わからないかなあ。君に含むところがあるだけさ」
「含む所? よくわかりませんわ、もっと端的に……」
意外と鈍いんだなあ、ルルジアって。
「君に好意があるってことだよ」
「――――ッ!」
さすがにこの一撃は効いたか。
さっきまで烈火の如く猛っていたルルジアはついに押し黙った。
顔を明確に赤らめることはなかったが、目を大きく広げて黙ってしまう。
「だから、君に恩を売っておきたいんだ……。君は美しい。是非、僕の手元にも置いておきたい」
パシィン!!
平手を放たれる。
よけることも、来ることも予測はしていたけど、俺はあえて受けた。
イテテテ……。なかなか鋭い平手だ。さすがはルルジアだな。
「君は今、何をしたかわかっているのか?」
「わかっていますわ。散々人の過去をほじくり返した挙げ句、傷口に熱湯でも注ぎ込むようなことを平気でやる王子様に、わたくしの心の痛みの1厘でも味わってもらおうと思っただけです」
ルルジアは泣いていた。
同時に怒ってもいた。
まるで自分の親の仇に出会ったかのように……。
「さあ、
ルルジアは庶民の言葉になって、自分の胸を叩く。
「刑を望むのか。なら、君はレインダー伯爵家の当主だ」
「な――――! あなた、まだ――」
「君の望みは死罪かもしれないけど、それでは罰にならないだろう。君がもっとも嫌がることをやらせるからこそ、罰になるんじゃないのかな?」
「……ぐっ。なるほど。噂は所詮噂ね。賢いといっても、あんたの場合ずる賢いの『賢い』だったようね」
「どうとでも言うがいいよ。――――で? 当主継続の件を受けてくれるのかな?」
「断っても、あなたなら無理矢理でもやらせるのでしょ? 何せ、あなたは王族ですから」
僕が大げさに肩を竦めて、リアクションを見せつける。
ルルジアは何も言わなかったが、ヒクヒクと口端を動かしていた。
「じゃあ、決まりだ」
「その代わり、家臣はわたくしの方で決めさせていただきますが、問題ありませんよね」
「勿論だ。君が集めた人材というのには、興味があるね」
「ご心配なく。扉には王族出入り禁止の張り紙を貼っておきますわ」
セールス禁止の張り紙かよ。
これはかなり嫌われたな、俺。
「僕から以上だ。君からは何かあるかい?」
「可能であれば、一生あなたとお話ししないという権利を下さい」
「それはダメだよ。僕は君のことを気に入ってるからね」
「……あなたを、一時でもあの方と重ねた自分が憎たらしいですわ。さようなら、殿下」
「また会おう、ルルジア」
俺は手を振ったが、ルルジアは部屋の扉が閉まるまで、一切こちらを向くことはなかった。
◆◇◆◇◆
「随分と嫌われたものだな」
しばらくして、俺の執務室に入ってきたのは父――エニクランド陛下だった。
「父上、報告なら僕の方から参りましたのに……」
「よい」
そう言って、エニクランド陛下は先ほどまでルルジアが座っていた椅子に座る。
「随分とご立腹の様子だったが」
「彼女を見かけたのですか?」
「貴族の淑女がふくれっ面しておれば、誰だって気になるわい。して――」
俺はエニクランド陛下に、事の顛末を話した。
終わると、陛下は愉快げにバシバシと膝を叩く。
「ライハルト……。
「面目もありません」
「だが、お前の事だ。何も少女の気を引きたかったからというわけではあるまい」
「はい。レインダー伯爵家は、歴史は古く、宮中の祭事や典礼を取り仕切っていた家柄です。その家が絶えるということは、今後の宮廷での祭事や典礼に影響が出るかと」
現代人の俺からすれば、そういうことは1つの家ではなく、複数の家にて共有して、見える化しろと思うのだが、実際貴族が取り持つ仕事内容は、口外しないというのは、慣例として古くから存在する。
現代においても、この世界においても、情報というのは重要だ。
情報を抱え込むことによって、家の価値を上げることを、この世界の貴族は選んだらしい。
故にその家のものしか読めない暗号や符丁のようなものが存在するという
「幸いルルジアは、屋敷で英才教育を施されてきたようです。典礼などを記した文書も問題なく読むことができるでしょう。それだけでも、ルルジアに価値はあると思いますが」
「くくく……。うまい言い訳を作ったな」
どっちかというと、本心だけどな。
「本人にそう言えば良かったではないか。そう言われては、あの
「女性と二人っきりになったのです。陛下ならまず何をなさいますか?」
俺は挑戦的な笑みを浮かべる。
エニクランド陛下は、また腹を抱えて笑った。
「ぶははははは! それは否定できんのう。だが、まだまだ詰めが甘いの」
陛下は立ち上がる。
「面白い話だった。他の貴族どもがくずがるなら、任せよ。余自らが黙らせてやる。まあ、お主には必要ないかもしれぬがな。すでに根回しはしているのだろう」
そしてエニクランド陛下は満足した様子で、執務室から退場していく。
俺は1つ息を吐き、次なる準備に取りかかるのだった。
◆◇◆◇◆
おお……。
レインダー伯爵家に入ってきた数人の平民たちは、初めて入った貴族の屋敷を見て驚いていた。
まだ火事の痕が生々しく残っているものの、比較的被害の少ない西側の建物はまだまだ使えそうだ。
玄関ホールを見て驚いている平民が、何か気落ちしているルルジアに声をかける。
「ルルジア、いいのか? この屋敷を反政府組織のアジトに使っても」
「構わないわ。ただ一応あんたたちは、あたいの家臣ってことになるけど、構わないわね」
「構わないさ」
「まさか貴族様の屋敷がアジトになるとはな」
「おい。こっち来てみろよ。ソファがふかふかだぞ」
平民たちは大はしゃぎだ。
部屋に押し入っては、並んでいる調度品や、寝具の柔らかさを試している。
「はあ……」
「ルルジア、何か元気がないようだが」
仮面騎士『マスク』となった俺は、ルルジアに話しかける。
「お気遣いありがとうございます、マスク様」
他のメンバーとは違って、ルルジアは『マスク』の俺にだけ貴族言葉を話す。敬ってくれるのはいいのだが、なんか調子狂う。
執務室で烈火のごとく猛っていた彼女を思い出してしまうからだ。
「特に何も……」
「そんな顔ではないな。王宮で何かあったのか?」
「何もありません!」
声を荒らげる。
これでは何かあったと言っているようなものだ。
「す、すみません」
「いいさ。君も人間だ。まして、父親を告発し、結果処刑された。すぐに整理がつくことじゃない」
「…………」
「どうした?」
「いえ。あの王子も、『マスク』様ほど人の心を読み解く能力があればと思いまして」
「王子?」
「あ、いえ……」
「察するに、ライハルト王子かな?」
「何故、それを!?」
思わず身を引くほど、ルルジアは驚いていた。
俺は思わず笑い転げそうになる。
「君のような女性が、どこか物思いに耽っているのは、ライハルト王子のような男のせいだと思っただけだ」
「別にわたくしはどうと思ってません。あんな、人の心を分からない男など……。あれが次期国王にもっとも近いなんて絶対に何かの間違いですわ」
そうだそうだ。
もっと言ってやってくれ。
「だいたいわたくしがこうやってレインダー伯爵の当主として返り咲いたのも、何か裏のことがあってに違いありません」
正解!
「『マスク』様、努々お気をつけ下さい。ライハルトは何か企んでおります」
がっしりと俺の手を取り、ルルジアは俺に告げた。
驚く程、真摯で澄んだ瞳を見て、騙してるこっちが申し訳なくなる。
しかし、計略の一貫だとはいえ、女の子に嫌われるのは傷付くなあ。
俺がわざわざルルジアにヘイトを買った理由は、1つだ。
彼女に反政府組織の活動を続けてもらうためである。
今回の件で、彼女自身の身辺は真っ白になった。ルルジア自身の復讐も終わり、積年の思いは成就した。
だが、それで終わってもらっては、俺が困る。
何も俺はルルジアが可哀想だから助けたわけではない。仮面騎士『マスク』の華々しいデビューにも使わせてもらったが、要は反政府組織の隠れ蓑として、レインダー伯爵家がほしかったのだ。
お取り潰しになりかけ、落ちぶれたレインダー伯爵家は、今は真っ新だ。これから貴族階級というしがらみにぶつかることはあるかもだが、今のところレインダー伯爵家に影響力はない。
蓋を開けても、屋敷にいるのは
敵にも、味方として期待されないことからも、レインダー家は反政府組織『ホープル』の絶好の隠れ家となるだろう。
そして、そのためには王族に対するヘイト、国に対するヘイトを持ってもらわなければならない。
勿論過剰になっては、俺がコントロールできなくなる。そこは昔MMOで鍛えたヘイト管理能力を活かして、制御していくつもりだ。
「さて『マスク』様、次はいかがしましょう?」
「決まっている……」
俺は居間にあった1人用のソファにゆったりと腰掛ける。
反政府組織といえど、俺たちに『義』があるかといえばそうではない。あくまで俺たちは、国にとっての敵、
そして王子王女たちに対する最大の障壁にならなければならない。
故にやるべきことは決まっている。
「悪いことだ」
俺は仮面の下でにやりと笑うのだった。
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