第5部 強襲の姫君
第10話
「まあ、すごい……」
馬車から降りたライサは、目を輝かせた。
遅れて出てきた俺も、雲1つない青空から降り注ぐ日差しに目を細める。
続いて視界に現れた風景を見て、思わず息を飲んだ。
そこは剣呑な山並みに囲まれた保養地だった。
色とりどりの野花や、涼しげな山の風に揺れる緑色の牧草。
右手には透き通った湖が広がり、左手奥には青々と葉を茂らせた森が見える。
湖畔に打ち寄せる波の音は穏やかで、耳を澄ますと時々野鳥の声が聞こえた。
そんな保養地の真ん中に立っていたのは、感じのいいログハウスである。
2階建てのロフトも付き。側にテラスもあって、紅茶を楽しめるスペースも用意されていた。
まさに俺好みの保養地だ。
だが、それもそのはず――ここは13歳の時に俺自ら場所を決め、建設した保養地なのである。
旅行誌の写真に乗っていたカナダやスイスをイメージして作ったのだが、結構気に入っている。
考え事をしたり、少々王宮の息苦しい雰囲気から逃げたい時に使うようにしていた。
「ライサは来るのが、初めてか?」
「いえ。これで2回目ですが、どちらも春だったので。夏に来るのは初めてです」
そう言えば、そうだったな。
ここには俺が金属性魔法で改良して作った桜も植えてある。
花見をするために、ライサと、ユーリーやルヴィ、アンナといった気心知れた王子王女を連れて、見頃である春の終わり頃にやってくるのだ。
それから2ヶ月しか経っていないが、こうして緑が溢れる景色を見るのは、ライサにとって珍しいのだろう。
「荷物はすでに運び入れてもらってる。ライサも少し休むといいよ。短い距離だったけど、馬車の旅は疲れただろう」
「そんなことはありません――――と言いたいところですが、ライハルト様の言う通り、ちょっと疲れました」
「俺はもう慣れたけどね。あの揺れはお尻に来るでしょ」
「お尻もなのですが、そのライハルト様とずっと一緒の……その、狭い…………客室の中で…………えっと…………」
みるみるライサの顔は赤くなっていく。
なんか可愛いな……!
おそらくずっと俺と狭い客室の中でいたから緊張していたのだろう。
思えば、今日のライサは大人しかった。
王子と一緒の馬車に恐縮していたのだろう。
「ライサ、ごめんな。王族の俺といると息が詰まるだろう。今度から馬車を2台用意させて」
「そ、それはダメです!」
「へっ?」
「あ。いや、ダメってわけじゃないですけど。ほ、ほら! わたくしはライハルト様の側付きですから、いついかなる時もお側にいるのがお仕事なので!!」
やや身を乗り出し、ライサは俺に向かって断言する。
ふん、と鼻息を荒くしたところで、我に返ったらしい。
再び顔を赤くして、顔を背けた。
可愛いなあ……。
アンナもこれぐらい恥じらいがあるといいんだが……。
「と、とにかく紅茶を入れますね」
「いや、俺が入れるよ。ライサは――――」
「私にも1杯いただけるかしら」
俺とライサ、ここまで連れてきてくれた馬車の御者以外、この
なのに、実に聞き知った声が俺とライサの耳朶を震わせた。
同時に振り返る。
黒いレースの日傘を差したステルノ・ヴィクトール・ドラガルドが立っていた。
「話には聞いていたけど、なかなか良いところね。風景も素晴らしいし、空気もおいしい。何より王都を一望できるというのも悪くない」
ステルノは回れ右をし、後ろへ振り返る。
切り立った崖の下には、ドラガルド王国の王都が広がっていた。
ドラガルド王国は2つのものに守られている。
1つは東側の海だ。広い海原が広がっていて、1番近い海向こうの国でも6000キロ以上離れている。
魔法が発達している世界ならば、6000キロの距離など容易いと思うかも知れないが、現在に於いて魔法技術を人間以外に代用する術はなく、また長期的に魔力を持続させることも難しい。
よって海運の主流は、中世ヨーロッパと同じく帆船やガレー船などの人力船が今も頑張っているような状況だ。
2つめは西側の山脈である。
南北に6500キロ続くドラガルド山脈は、峻険で名にし負う天然の要害で、ここを通って西へ向かうには、非常に狭い街道を通らなければならない。
馬車どころか、軍馬すら通ることが叶わず、西からの大規模な軍事行動に悩まされることなく、王国は発展してきたのだ。
山脈を背負う位置にあるのだが、ドラガルダ王国の王都。
俺はその王都を見下ろせるような場所に保養地を作ることにし、有事の際に備えることにしたのである。
むろん、陛下と国の許可をもらっている。
「これなら何かあっても、すぐに王都に駆けつけるというわけね」
「ステルノ姉さん、どうしてここに?」
「あらあら……。ライハルトったら随分と野暮ったいのね。可愛い弟に会いに来たに決まってるでしょ。あなたの方こそ、他の兄姉が躍起になって『マスク』を捕まえようと追いかけているのに、こんなところでバカンスかしら?」
「バカンスね……。当たらずとも遠からずかな」
「ふ~ん」
「『マスク』の目的が王族にあるというなら、王宮にいるのは危険だ。俺だけならまだしも、ライサや他の家臣が巻き込まれるのは看過できない」
「だから、王宮から離れたと……。なるほど。筋は通っているわね」
「だろ?」
「でも、王国の王子を覇気だけで倒してしまう達人のあなたにしては、随分と消極的に映るのだけれど」
「自分で言うのもなんだけど、それほど技が極まったからこそ逃げているんだ。危険なものに近づかない。それこそ生きる極意なんだよ」
「…………」
やっとステルノの口撃が止む。
涼しい顔をしているが、内心では忌々しげに舌を鳴らしているのだろう。
可愛いと評してくれてはいたが、4歳も年齢が離れた弟に腸が煮えくり返っているに違いない。
攻め手をなくしたステルノを追い返すのは、簡単だ。
けれど――――。
「姉さん、折角ここまで来たんだ。お茶の1杯ぐらい飲んでいきなよ」
「……! あら、いいの?」
「何を遠慮することがあるんだよ。俺たちは家族だろ。ライサ、姉さんの分も用意してくれないか?」
「は、はい!」
突如、大物の登場についていけず、惚けていたライサは慌てて頭を下げる。
ログハウスの中に入り、早速お茶の準備を始めた。
やや勢いがつき始めたのか。
何か盛大に食器を落とす音が、外まで聞こえてくる。
「大丈夫?」とログハウスの中を覗き込むと、盥を頭に被ったライサが座り込んでいた。
相変わらずおっちょこちょいだな、ライサは。
俺はクスリと笑う。
それにステルノ姉さんも同調した。
「なかなか可愛いメイドさんね。うちにも欲しいぐらいだわ」
「姉さんにもいたでしょ。あのマッチョなボディガードみたいな」
「コッペルね。ええ……。優秀よ。とてもね。でも、ちょっと面白味にかけるのよね、あの子。からかい甲斐がないというか」
「側付きは、王子王女の玩具じゃないよ」
「あなたに言われたくないわ。あなただって、さっきからあの子と私をからかっているでしょ?」
「ライサはともかく、姉さんも自分がからかわれていると思っているの? ……さあ、あちらのデッキへ。この景色を見ながら飲む紅茶は最高だよ」
俺はステルノ姉さんに席を勧めた。
大人しくついてくるかと思いきや、ステルノ姉さんは薄く笑う。
「からかってるわよ。だってあなたが――――」
『マスク』なんでしょ?
俺は立ち止まる。
「何を言っているのかな、姉さん。俺は――――」
すると、ステルノ姉さんは俺にそっと寄り添う。
冷たい手を俺に手の甲に添え、ギュッと握った。
まるで蛇に噛まれたようだった。
「『マスク』さん、つ・か・ま・え・た」
第1王女ステルノは微笑むのだった。
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