第4部 王族集う

第8話

 王宮にほど近い、数多く並ぶ貴族の屋敷は静まり返っていた。


 とっぷりと夜は更け、月は昇り、星が瞬いている。

 騒々しい艶街の明かりも消え、王都はついに寝静まった。


 ドォン!


 その音は空気を揺らす衝撃とともに、王都民たちの耳を騒がせる。

 誰もがベッドから飛び起き、窓の外を恐る恐る覗いた。

 貴族屋敷の方が煌々と赤くなり、黒い煙を吐く。


「な、なんだ……。何が起こっているんだ、一体?!」


 命からがら火元から逃げ出してきたのは、レインダー伯爵だった。


 着の身着のまま出てきたのだろう。

 全体的に丸い餅のような身体を、ゆったりとした寝間着の中に収めている。

 煤けた額には脂汗が浮かんでいたが、対照的に顎の部分には、いくつものキスマークが貼り付いていた。


 彼の側には娼婦というには、あまりに若すぎる子どもたちが不安そうに怯えている。


「旦那様、あれを……」


 老齢の執事長が、屋根を指差す。


 そこにいたのは、全身を鎧とマントで覆った謎の人物だった。

 白銀の鎧に、青のマントという派手な出で立ちは、所謂丑三つ時にあっても目立ってしょうがない。


 当然のその顔はフルフェイスの兜に覆われ見えないが、確実にその双眸がレインダー伯爵を貫いていた。


 その挑発的な態度に、怯えるしかなかったレインダー伯爵は、怒髪天を衝かんばかりにそのマッシュルームカットされた髪を振り乱す。


「貴様! 何者だ!?」


 レインダー伯爵は叫ぶ。

 すでに私兵が燃える屋敷の包囲に取りかかっており、包囲網が完成するのは時間の問題だった。


 状況を見ればすぐわかることであったが、白銀の鎧姿の人物は慌てることはない。

 屋根の棟に足をかけ、叫んだ。


「私の名前は『マスク』。仮面騎士『マスク』だ」


「マスクだと? はっ! まさか最近、貴族の屋敷を襲っているという」


 レインダー伯爵は「はっ」と何かに気付く。


「私はドラガルダ王国の圧政を許さない。度重なる重税、貴族の専横、既得権益にあぐらを掻く大商人たち。そして、それを許す王族たち……」


 芝居がかった動きで演説すると、『マスク』と名乗った騎士は、手を広げた。


「私はそれらすべてを許さない。私の目的は、1つ。このドラガルド王国をぶっ壊すことが……。そして新たな秩序を構築し、真に自由な国を作り上げるのだ」


「言わせておけば、調子に乗りおって! 誰かヤツを召し捕れ! 王国に仇成す者だ。討ち取ることができれば、褒賞は思いのままだぞ」


 私兵の士気が上がる。


 消火作業そっちのけで、大捕物が始まるかに見えた。


「フッ……」


 マスクは笑う。


 その時、再び屋敷から火の手が上がった。

 濛々と黒煙がマスクを包み、覆い隠す。


「何をしている! 逃げられるぞ!!」


 レインダー伯爵も加わり、マスクの姿を捉えようとする。


 だが、そこに件の義賊の姿はどこにもなかった。



 ◆◇◆◇◆



「ふわ……」


 王宮の廊下を歩きながら、俺は大きく欠伸をする。


 側付きのライサは心配そうな顔で俺を見つめた。


「ライハルト様……? 最近よく眠れてないのですか?」


「うん? ああ……。ちょっとね。昨日面白い本を見つけてね。読み始めたら、止まらなくて。結局朝まで読んでいたんだ」


「それは……。読書は大変よろしいことと存じますが、過度に熱中されるのは、お身体に障りますよ」


「心配してくれてありがとう、ライサ。会議が終わったら、少し昼寝をすることにするよ」


「それがよろしいかと。よく眠れるという香水を枕元に用意しておきましょう」


「さすが、ライサ。気が利くね。じゃあ、ここで」


「いってらっしゃいませ」


 ライサは頭を下げ、部屋の中に入っていく俺を見送った。


 読書に熱中しすぎて、寝不足か……。

 社畜時代には考えられないことだ。

 きっと現代だったら、読書がゲームになっていただろう。

 ああ……でも、漫画やラノベも積み上がっていたし。


 思えば、俺が死んだ後、あの漫画やラノベはどうしたんだろうか。


 ぼんやりと以前の世界のことを考えていると、何やら視線に気付いた。

 大きな円卓に1人、女性が座っている。

 アンナだ。


 俺を見るなり、何か恨めしそうに見つめている。

 挨拶しようとしたが、「ふん」と早速嫌われてしまう。

 何なんだ、その態度は?

 先日は人の膝枕で、爆睡してたくせに……。


「他の連中は?」


「知らないわよ」


「場所はあってるよな」


「優秀なライハルト様が、場所を間違えると思う?」


 なんだ、それ皮肉か。

 双子なのに、アンナが考えていることが1番わからん。


 どうやら今日もご機嫌斜めのようだ。

 とりあえず触らぬ神に祟りなしだろう。

 俺は少しアンナから離れて席に座る。


 とはいえ、アンナが不機嫌なのもしょうがない。

 本日の会議の出席者は、全員王族。


 実は今日は、緊急の家族会議としてエニクランド国王直々に呼び出されたのだ。


「おっっっにぃいさまぁぁぁああああああ!!」


 バン、と扉が勢いよく開く。


 跳ねるように部屋の中に入ってきたのは、銀髪の少女だった。


「ルヴィ! おわっ……!」


 ルヴィは一直線に俺の方へ向かってくると、胸に飛び込んできた。

 スリスリと己の匂いを擦りつけるみたいに、甘えてくる。

 パッチリとした明るい碧眼は猫のように細くなり、小さな喉からゴロゴロと泣き声が聞こえてきそうだった。


 彼女の名前はルヴィル・ヴィクトール・ドラガルド。

 第3王女にして、7人兄妹の末っ子。愛称は『ルヴィ』だ。


 末っ子で生まれたせいか、ルヴィはとても甘えん坊さんだ。

 エニクランド国王陛下も、ルヴィを溺愛していて、甘い。

 王宮の中では、ちょっとした問題児として見る人間が多い中で、何故か俺の言うことだけは聞いてくれるのだ。


「こら! ルヴィ! 会議の場なのよ。スキンシップも程ほどになさい」


 声をかけたのは、アンナである。


 何か蔑むような目で、俺と俺に引っ付くルヴィを睨んでいた。


「あ~ら、ごめんあそばせ、お姉様。お胸がちっさくて見えてなかったわ」


「う、う、うっさいわね! あんたよりはあるわよ。てか、胸とか関係ないでしょ?」


「ルヴィは今から成長するのですよ。対してアンナお姉様は、とっくに枯れ尾花……。一生そのちんちくりんの身体で過ごすのですのよ。おかわいそうに」


「違うわよ! あたしの身体は大器晩成型なの。見てなさい! ここからボンキュッボンを目指すんだから」


 ぬぐぐぐ……、2人は睨み合う。


 まさに虎と竜の戦いだ。


「2人とも落ち着いて。喧嘩はダメだよ。アンナ、ルヴィはまだ小さいんだ。いちいち目くじらを立てる器量じゃ、次期国王にはなれないぞ」


「ライハルト! あんた、ルヴィの方に肩入れする気?」


「おーーーーほっほっほっ……。勝負は決まりましたね、アンナお姉様。ライハルトお兄様が、いつもルヴィの味方でしてよ」


「別にルヴィに肩入れしてるわけじゃ。姉妹で争うのは――――」


「このロリコン!」


「なっ!」


 その時、俺の脳裏にアメリカの妖怪バックベアードが思い浮かぶ。


 違う! 違う! 断じてそんなじゃないぞ。


「ご、誤解だ、アンナ」


「銀髪幼女を膝に置いて何を言ってんのよ」


 ふん、とアンナはそっぽを向く。


 やれやれ……。結局嫌われてしまったな。

 まあ、いつものことだけど。


 うっ、今の自分の言葉で傷付いてしまった。


「ルヴィ、あまり兄様や姉様を困らせてはダメだよ」


 落ち着いたトーンの声が聞こえる。

 続いて入ってきたのは、ルヴィと同じ銀髪の少年だった。


 1度も日に当てたこともないような青白い肌に、触れるだけでポキリと骨が折れてしまいそうな華奢な身体。


 瞳こそ大きく見開き、強い生気を感じさせるものの、その目の下にはうっすらと隈ができていて、何より細い足は歩くことすらままならず、車椅子に腰掛けている。


「ユーリー、お前も呼ばれたのか?」


 俺は席を立ち、弟ユーリー・ヴィクトール・ドラガルドを迎え入れる。


「フィニア、俺が代わろう」


 ここまで車椅子を押してきた側付きのフィニアと後退する。

 大きな眼鏡とカシスカラーの髪が印象的なフィニアは、黙って頭を下げると、会議場を後にした。


 ユーリを円卓へと導くと、俺の隣の席に車椅子を勧める。


「ここでいいか?」


「はい。ありがとうございます、ライハルトお兄様」


「ちょっと! ユーリー! そこはルヴィが座ろうと思っていた席なのに!」


 ルヴィがプンスカと憤る。


「我慢してくれ、ルヴィ。ユーリーはとても身体が悪いんだ。俺が見ててあげなきゃ」


「むぅ……。みんな、ユーリーに甘いんですから」


「ごめんね、ルヴィ」


「ふん。別によくってよ」


 ルヴィは頬を膨らます。

 仕方なく、もう片方の空いてる隣の席を選ぶが、実はその横は先ほど喧嘩したアンナの隣の席でもあった。


 結局、ルヴィはユーリーの隣の席を選ぶ。俺とルヴィがユーリーを挟む恰好だ。

 一応ルヴィも病弱な兄のことが心配だった。


 髪の色で分かると思うが、ルヴィとユーリーとは異母兄弟に当たる。

 ドラガルド王国北方の民族を束ねる大族長の娘の子たちだ。

 つまり、南の大部族の血を引くステルノとは、真逆ということになる。


 そして、噂をすればなんとやらだ。

 そのステルノが、遅れてやってきた。


「随分と賑やかね、あなたたち」


 と言った瞬間、会議場は沈黙に包まれた。

 同時に強い香水の香りが鼻を突つ。


 アンナ、ルヴィが押し黙り、入ってきたステルノを警戒した。


「あら、ユーリーも来ているのね?」


「こんにちは。ステルノお姉様」


「こんにちは、ユーリー。あなたぐらいね。私に挨拶してくれるのは」


「そんなことはありませんよ、姉上」


 ユーリーに近づこうとしたステルノを、俺はさりげなくブロックする。


 7人の兄妹の中で、この人が一体何を考えているかわからない。

 それはおそらく他の兄妹も同じことを思っているのだろう。

 ステルノを忌避するような空気が、何よりの証拠である。


 姉上もそれを知ってか知らずか、1度一睨みを返したところで、ルヴィの隣の席に座った。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


第9話へ続く。

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