第7話

 あたしはライハルトがいるという中庭に向かう。


 剣の稽古でもしているのかと思って恐る恐る覗いてみた。

 たらい回された挙げ句、嫌いな姉妹とも遭遇し、それなりに苦労してここまでやってきた。なのに、当の本人は燦々と注ぐ午後の太陽の下で、青銅のベンチに寝転んでいる。


 顔を貴重な本で隠し、胸を上下させているところを見ると、本当に寝入っているらしい。


 不用心な……。

 王族なんて誰がどこからその命を狙っているかわからないのに……。


 ん? ちょっと待って?


 これは日頃の仕返しをするチャンスなんじゃない?

 特に何かされたわけでもないけど、あたしから言わせればライハルトは存在自体が害悪なのよ。きっと今日ぐらいは好きにしていい、と神様があたしに機会をお与えになったに違いないわ。


「ムフフ……。ちゃ~んす!」


 思わず悪い顔を浮かべる。


 こんなこともあろうかと、密かに練習していた魔法があるのよ。

 その名も【精神操作マインド・ロール】。

 あたしが覚えることができた唯一闇属性魔法よ。


 ホント言えば、ライハルトと同じ光属性が良かったんだけど、闇魔法には人間の精神や記憶を操作できる魔法があると効いて、直前になって切り替えたの。


 ククク……。覚悟なさい、ライハルト。


 あんたをあたしの思う通りに操ってやるわ。


 【精神操作マインド・ロール


 早速、あたしはライハルトが寝ているベンチの裏からそっと近づくと、魔法を放った。


「かかったよね」


 精神系の魔法って、火属性とかと比べると派手さにかける。

 一言で言うと、地味なのよねぇ。

 かかったか、どうか全然わからないんだけど……。


 とりあえず、ものは試しだわ。


「ライハルト、起きなさい」


 あたしは命令すると、ベンチに寝転んでいたライハルトは、顔にかけていた本をバサリと落として、起き上がった。


 お、おお……。ちゃんと魔法がかかってるぅ!


 ――っと、まだ油断してはダメだわ。


 もしかしたら普通に起きただけかもしれないし。


「じゃあ……、ライハルト! 右手を上げて」


「…………」


 ライハルトは黙って、右手を上げた。


「よしよし。じゃあ、今度はお手……」


 というと、私の右手に手を置く。


 お、おおおおおお……。


「おかわり……。待て……。伏せ……。回れ! えっと、チン――――はやらなくていい」


 あのライハルトが、あたしの命令を忠実にこなしてる!


 や、やばい……。ちょ、ちょっと気持ちいいかも……。


 思わず涎が出てしまい、あたしは人目がないことをいいことに、ドレスの袖で拭った。


「つ、次はどうしようか?」


 あたしはベンチに腰掛けて、考える。

 隣を見ると、ライハルトの横顔があった。


 あんまりマジマジと見たことがなかったけど、やっぱりあたしと似てる。

 ていうか、ライハルトって結構睫毛長い? あれだけ剣術の修行をしているのに色白だし、一見華奢だし……。まるで女の子みたい――――って、そりゃそうよね。


 ここに女の子あたしがいるんだから。


 でも、可愛いっていうよりは、ちょっとカッコいいかも……。


「ら、ライハルト……。あたしの横に座って」


 あたしはライハルトに命じた。



 ◆◇◆◇◆  ライハルト 視点  ◆◇◆◇◆



 えっと……。これはどういうことだ?


 アンナの気配がしたと思ったら、いきなり闇属性魔法を放ってきた。

 残念ながら、アンナが頑張って習得してきたと思われる【精神操作】は不発だ。

 というか、この魔法は互いの魔力の総量が成否を分ける。

 平たく言えば、魔法使いとして未熟であれば、早々かかる魔法ではないのだ。


 そうとは知らず、アンナは俺がかかったと思ってるらしい。


 最初は同じ姉弟のよしみで付き合っているが、段々悲しくなってきた。


 といっても、今からネタばらししたら、絶対怒るよな。


「ら、ライハルト……。あたしの横に座って」


 次なるアンナの指令が飛ぶ。

 午後の強い日差しのせいか。

 顔が少し赤いように見えた。


 俺は大人しく従う。

 すると、アンナは俺のすぐ側に座り直す。


「そのままよ。何があっても、そのままだからね」


 お、おう。わかった。

 わかったから、何をしようとしているかぐらいは教えてくれないか。


 こ、個人的なことだが、こっちとしても心の準備が必要なんだよ。


 とまあ、心で訴えかけても、アンナが従ってくれるはずもない。

 しばらく双子の姉の行動を観察する。

 すると、その身体がゆっくりと横へ傾き始めた。


 最終的には、ポスッと柔らかい音を立て、アンナの頭が俺の太股の上に乗る。


「ふむふむ……。普通の枕よりもさすがに硬いけど、寝心地は悪くないかしら」


 ああ。そうかい。そうかい。

 硬くて悪かったな。

 こっちはお前と違って、剣術やら槍術やらの訓練に明け暮れて、感覚として体脂肪率7%ぐらいでキープできてるんだよ。


 最後に実施した健康診断では、メタボの1歩手前って判断されたのに、劇的な変化だ。


 ――――って!


「(ちがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああううううううううううううう!!)」


 違う違う。

 そういうことを言いたいんじゃないんだよ。

 何これ、どういう状況?


 アンナが俺の太股で膝枕してるよ。


 どういうことだ?

 俺って嫌われてるんじゃないのか?

 なんかもっと意地悪な命令とかされるかと思ったら、膝枕ってなんだよ。


 しかも、アンナじゃなくて、俺がするのか。

 普通逆だろ?

 主人公おとこヒロインおんなのこの膝枕で寝るのが、ラブコメの王道なんじゃないの?


 いや、落ち着け。

 俺はいつからラブコメ系だと錯覚していた。

 違う違う、そうじゃない。

 この世界はどっちかと言えば、異世界転生もののはず。


 むしろこんなラブコメ展開、誰も求めていないはずだ。


 いい加減、アンナにネタばらしをして、元の路線に戻ってもらおう。


「スゥ……。スゥ……。スゥ……。スゥ……」


 ね――――。


 寝てるぅぅぅぅぅううううううう!!


 ちょ! 待てよ。

 寝付き良すぎないか?

 さっき寝転んだばっかりだぞ。

 お前、ま〇ちゃんかよ!


 いや! 待て! 寝付きの良さなんてどうでもいい。


 問題はこの状態でアンナを起こすべきかってことだ。

 そりゃあまあ、起こすのが正解だろう。

 アンナが起きるまでじっとしてられる自信がない。

 動かないって、結構体力使うしな。


 そう考えたら、ラブコメのヒロインって化け物じゃないか。


 待て待て。話を脱線させるな。

 とりあえず起こすぞ。

 きっとアンナが驚いて、そして怒るだろうが、もう覚悟の上だ。


「うぅぅん……。ライハルト…………」


 ひっ! 起きたのかと思ったら、寝言か。


 完全に寝入ってるみたいだ。

 幸せそうな顔をしやがって。

 赤ん坊みたいに笑ってやがる。


 ……なんか思い出すなあ。


 そう言えば、昔はアンナと一緒に部屋で寝ていたんだよな。

 こっちは社畜の魂が入ったままだから、幼いとはいえ女の子と同衾どうきんするってのに、変な罪悪感を覚えたものだ。


 けれど、一緒に暮らすうちに異性って感じがなくなった。

 同じ顔をしていたのもその要員だろう。

 子どもの頃は特に俺たちはそっくりで、アンナの提案で着る物を逆にしたりして遊んでたっけ?


 この国では15歳になると成人と見なされるんだが、それからどこか疎遠になってしまった。同じ王宮で過ごしているのにな……。


 だからなのかなあ。


 今、アンナがすっごくお姫様に見える。

 眉毛は長いし、色白で、身体も柔らかい。

 髪もサラサラだ。


 仮に俺が王になったら、アンナはどうするんだろうか。

 有力な貴族の跡取りと結婚したり、同盟を結ぶ周辺諸国に嫁ぐというのが、基本路線だろう。

 もしかしたら内々では、すでに話を進んでいる可能性すらある。


 優秀な弟の影に隠れるあまり敵視されることが多いが、アンナがいなくなると思うと、少し寂しいように俺は思う。


 仮にアンナが国王になれば、俺はどうなる?

 アンナの路線を、俺が引き継ぐことになるのだろうか。

 もしかして、他国の王様になったりしてな……うん、今それを考えるのはよそう。


 もしアンナが許してくれるなら、影ながらサポートしたい。

 影で操るとかじゃなくて、純粋にアンナがやる政治には興味があるし、王として足りない部分を俺が埋めたいと思ってる。


 聖剣の件は失敗してしまったけど、またチャンスを作ってアンナにチャレンジしてほしい。


「頑張れよ、次代の王様」


「当たり前でしょ! あたしが次の王様になって、ライハルトを顎で使ってやるんだから!!」


 突然、アンナの拳が飛んでくる。

 あっぶねぇ。危なく顎にヒットするところだった。

 というか、ついに起きたか?


「スゥ……。スゥ……。スゥ……。スゥ……」


 まだ寝てる……。

 どんだけ盛大に寝言をかましてるんだよ、こいつ。

 というか、いつまで寝るつもりなんだ。

 ちょっと足が痺れてきたんだが。


 寝る子は育つっていうけど、お前は十分もう魅力的に育ってるぞ。


 目にかかった髪を払う。


 仕方ない。部屋まで運んでやるか。


 俺は転送魔法を使い、その場から消えるのだった。



 ◆◇◆◇◆  アンナ 視点  ◆◇◆◇◆



 あれ……?


 目を覚ますと、視界に飛び込んできたのは自室の天井の模様だった。

 自分の寝具の上で、たっぷり5秒ほど固まる。

 あっ、と飛び起きた時、外を見るとすでに太陽が西の山の稜線に隠れようとしていた。


「ゆ、夕方?」


「やっと起きましたか、お寝坊さん」


 振り返ると、リーリアが立っていた。


「リーリア、あたし……。えっと――――」


「やれやれ……。もしかして何も覚えていないのですか? おつかいに向かった王女様は、道中で悪い魔女に捕まって、王子様のキスで目覚めたってとこでしょうか?」


「何を言ってるのよ。王子様って――――――あ゛っ!?」


 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!


 ちょ、ちょっと待って。

 え? これはどういうこと?

 あたし、なんで自分の部屋で寝てるの?


 確かあたしは、ライハルトに【精神操作】をかけて、その後膝枕をしてもらって……。


 はわわわわわわわわわわわわわわわわわっっっっ!!


 っず!! 恥っず!! 恥ずかしい!!


 顔が熱くて燃えそうだわ。

 いや、もう燃えたい。

 燃え広がって、塵になりたい。


 あた、あたし何をやってんのよ。


 ライハルトはライバルなのよ。

 例え血を分けた姉弟で双子でもよ。


 なのに、あたしぃぃいいいいいいいいいいいいいいっっっ!!


「落ち着いて下さい、アンナ様」


「これが落ち着いてられるかってのよ! あたしったらなんてことを……」


「ライハルトの所にいったら、折しもちょうど良いタイミングで【精神操作】の魔法が成功。ライハルト様にあーんなことや、こーんなことをさせた挙げ句、最後はライハルト様の膝枕で寝落ちしたと」


「ちょ! リーリア! 見てたの」


「ああ。図星でしたか。割と適当に言ったつもりだったのですか。これも今日の日記に――――」


「書くな! 絶対書くな! 書いたら、お父様に言ってクビにして――――」


「そしたら、1年後ぐらいにアントアルナ様とライハルト様との禁断の愛を描いた出版物が、王都で大ベストセラーになっていると思います。タイトルは『家政婦が見た。双子の王子と王女の失楽園』ってとこでどうでしょうか?」


「やめなさい! それだけはやめて。お願いします。なんでもしますから」


「大泣きしながら謝るぐらいなら、軽率なことは言わないことですね」


「はい。すみません……。と、ところであたし、なんで部屋に? リーリアが運んでくれたの?」


「絶賛体重が成長中の主君を、ここまで担ぎ上げるなんて側付きの仕事じゃないでしょ?」


「じゃあ、あんた誰の側付きなのよ……」


 ツッコミを入れてから、あたしは考える。


 はたとある可能性に気付いた。


「もしかして……」


「もしかしてじゃなくても、当然でしょう。あの場にいる人間を差し引いていけばいいことです。子どもでもわかる引き算ですよ」


 あたしの他って、まさか――――。


「え? うそ……。あいつは、【精神操作】で……」


「最初からかかっていらっしゃらなかったのでは? まんまとからかわれたんですよ。ライハルト王子に」


「か――――」


 からかわれた……。


「でも、まさか膝枕まで許すとは……。是非その時のライハルト様の顔を見たかったですね…………って、どうしましたか、アンナ様?」


「弄ばれた……」


「はい……」


「またあたしの弄ばれた」


 おのれぇえ! ライハルト! 


 女の心を弄ぶなんて許せないわ!


 絶対に超えてやる!


 そしてあたしが王になって、あんたを顎で使ってやるんだから!!

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