第3部 残念王女は、今日も空回りする

第6話

 ◆◇◆◇◆  アンナ 視点  ◆◇◆◇◆



 あたしの名前はアントアルナ・ヴィクトール・ドラガルド。


 誉れあるドラガルド王国の第二王女よ。

 愛称はアンナ。まあ、自他共に認めるお姫様ってところね。


 え……? あたしのことを知らない?


 ちょ! ウソでしょ!

 王国の第二王女よ。

 知らないって、あなたどこの国の人間よ。


 ピンとこない?


 待って! よく見て!

 あたしの顔よ、顔! どっかで見たことあるでしょ?


 何? 見たことあるけど、その時は男装で髪も短く……って!


 それってライハルトのことでしょ!

 あたしはアンナ! 姉の方よ。

 そっちは双子の弟!


 やっとわかったって! それどういう意味よ、もう!!


 失礼しちゃうわね。


「お嬢さま……。お茶が入りました」


 振り返ると、そこには側付きのリーリアが立っていた。

 金髪に、やや物憂げな碧眼。

 肌の色なんてあたしよりも白くて、腹立たしことにスタイルもいい。


 おかげで何度か、リーリアの方を王女と間違えられたことがある。


 最初お人形のように可愛くて、思わず選んでしまったのだけど、まさかこんな落とし穴があるとは思わなかった。


 いや、今はそれどころではない。


「り、リーリア……。あんた、いつの間にそこにいたの?」


「お嬢さまが、『あたしの名前はアントアルナ・ヴィクトール・ドラガルド』って突然熊のぬいぐるみに話しかけ始められたところですが何か!?」


「ち、ちがぁぁああああああああああううううううう!!」


 あたしは持っていた熊のぬいぐるみを慌てて放り捨てた。


 しまった! あたしのお気に入りが!!


「違う! 違うのよ、リーリア!」


「何が違うのですか? 16にもなって熊のぬいぐるみに話しかけるところですか? それとも独り言なのに、自虐ネタが入っているところでしょうか?」


「や~~~~め~~~~て~~~~。マジでこれ以上、あたしの胸を抉らないで。あたしのライフはとっくにゼロよ」


「?? なんですか、今の?」


「ん? 昔、ライハルトが言ってたのよ。死にかけた時に言う表現なんだって」


「……意外と余裕あるんですね」


「いーい! リーリア! 今のことを他の人に言いふらしたらダメだからね」


「言いませんよ。使える主君の恥部をさらすようなことはいいません」


「さすがリーリアだわ。ありがとう。ところで、さっきから親指と人差し指で丸を作ってるけど、なんのジェスチャーかしら?」


「今度の給料査定の時の脅しとして、今日の日記に記録しておこうかと」


「主を脅すな!!」


 とまあ、リーリアはこう言うヤツよ。

 この主君を主君と思っていない言動がなかったら、可愛いメイドなんだけど。


「ところでリーリア様。ライハルト様にまた助けられたと伺いましたが」


 リーリアはトポトポと音を立てて、ティーカップに紅茶を注ぐ。

 白い湯気とともに芳しい香りが、部屋の中に満ちていった。


 その紅茶をリーリアは薄い口元に付け、飲み始める。


「って! あんたが飲むの」


「なかなかおいしいですよ。今日の紅茶は少々奮発しました」


「あたしにも淹れてよ! あんた、あたしの側付きでしょ」


「淹れてもいいですが、明日には王女の恥部が王宮の給仕や家臣に知れ渡ることになるかもしれませんが、それでもよろしいですか?」


 いきなり王女をゆするな、この不良給仕。


 ああ! もう! わかったわよ。


 あたしは観念して、自分で紅茶を淹れる。

 飲んでみると腹立つぐらいおいしかった。


「先ほどのご質問の件、答えていただけていないのですが?」


 質問?

 ああ。ライハルトに助けられた件ね。


「べ、別に……。ちょっと転んだ先に、ライハルトがいただけの話よ」


「ライハルト様に背後から抱きつかれたアンナ様が、頬を真っ赤にして満更でもない様子だったと、多数の目撃証言があるのですが?」


 ひ、ひぃ!!


「そ、そそそそそんなわけないでしょ! 何であああああああたしが、ライハルトに抱きつかれたぐらいで……。そもそもあいつは双子で弟なのよ。か、顔だって、その……あんまり変わらないし」


 そ、そうよ。

 ライハルトは弟で、しかも双子なのよ。

 べ、別に意識なんてしてないんだからね。


「あ-。はいはい。ツンデレ、ご馳走様です」


 つ、ツンデレ?


 な、なんかリーリアまでライハルトみたいな言葉を言い始めたわね。

 あたしも人のことを言えないのだけど……。


「返礼の品をご用意いたしました。出来れば、アンナ様が直接お渡しになられてはいかがかと?」


「あ、あたしが……? べ、別にそこまで気を遣わなくてもいいんじゃない? そ、そもそもあたしたち血の繋がった姉弟なんだし」


「親しき仲にも礼儀あり、と申します。それに逆の立場であれば、ライハルト様は間違いなく返礼の品を持って、アンナ様の下に訪れたでしょう」


 ぐ……。否定できない。


 ライハルトの人気は何も文武に優れているだけじゃない。

 他人に対する気遣いが非常に細やかなところも、王宮の中で高く評価がされている。


 会ったこともない王宮の騎士の結婚記念日に、花を贈ったというのは有名な話だ。


「アンナ様が本気でライハルト様を押しのけ、玉座に座りたいというのであれば、そういう部分にも手抜かりないようにするのが、肝要かと……」


 ダメ押しとばかりに、リーリアは頭を下げる。


 ここまで言われては、さすがのあたしも立つ瀬がない。


「わかったわよ。渡せばいいんでしょ! 渡せば!!」


「では、よろしくお願いします」


 リーリアは私に小さな箱を渡した。

 返礼というのには、少々小さいが、中身を聞いて納得した。


「今、飲んだ紅茶です」


 なかなか悪くない返礼チョイスだわ。

 あたしと同じで、ライハルトも無類の紅茶党。

 味も悪くない。きっと喜んでくれるだろう。


「安心しました」


「何が?」


「アンナ様が、ライハルト様のように笑っていたので」


「悪かったわね! 同じ顔で!!」


 こうしてあたしは、ライハルトの下に赴くことになった。





 改まって見ると、緊張する。


 成人(15歳)してからは、お互い部屋の棟が変わって、それからというもの行事や国賓を迎えるような式典でしか顔を合わせていない。


 そもそも先日の聖剣騒動の時、久しぶりに話したぐらいだ。


 ……相変わらずいけ好かないヤツだったけど。


 ライハルトの部屋に行くなんていつぶりだろうか。

 子どもの時は同じ部屋で暮らしていて、毎日喧嘩ばかりしていたけど、別々の部屋になってみると、名残惜しいというか。


 ええい! ビビるな、アントアルナ!


 高々、弟に会いに行くだけじゃないの。

 しかも、双子の……!


 あたしは第二王女。ちょっとの差だけど、生まれたのはあたしの方が早い。

 堂々と年上ぶればいいのよ。


「ライハルト様ですか? おそらく中庭におられるかと……」


 勇気を持って部屋をノックしたら、出てきたのはライハルトの側付きだった。

 確か名前はライサだっけ?

 なかなか可愛いと思うけど、ちょっと私の美的感覚でいうと、ちょっと地味すぎるのよね。黒髪黒瞳だし。


 ライハルトってこういう地味な女の子が好きなのかしら。


 ああ! 今はメイドのこととかどうでもいいのよ。

 部屋までやってきて、不在とか。相変わらず空気が読めないわね。


 あたしが何回ノックしようとして、躊躇ったと思ってんのよ。


 仕方なく中庭に向かうと、つと足が止まった。

 ライハルトの次ぐらいに嫌いなヤツと出会ったからだ。


「あら? アンナ? こんな所で会うなんて珍しいわね。もしかして、自分の部屋を忘れたのかしら? ふふふ……。あなたの頭の悪さも、ここに極まったわね。弟があんなに優秀なのに」


 ステルノ・ヴィクトール・ドラガルド。

 第一王女にして、あたしの姉だ。


 スラリとして背が高く、ウェーブがかった真っ黒な髪を腰の辺りまで垂らしてる。

 やや面長の顔に、唇は厚く、大胆に開いた胸は同性であっても目を引くほど大きい。

 やたら露出度が高く、スリットが入ったスカートからは、褐色に焼けた太股が見え隠れしていた。


 容姿からもわかる通り、ステルノとあたしは正確にいうと異母兄弟だ。

 ドラガルド王国と同盟関係にある南の大部族ガル族の血を引き、性格は獰猛で、狡猾なのだけど、それをおくびにも出さないのが、この女の最大の特徴であり、油断ならないところよ。


「へぇ……。知らなかったわ。ステルノお姉様でも、ライハルトのことを、優秀と認めているのね」


 あたしは皮肉で返したと思ったが、ステルノの反応は実に涼やかだった。


「勿論、ライハルトちゃんは優秀よ。あなたはそう思わないかしら」


 ステルノが「優秀」と言っても、全然真実味がない。


 そもそもあたしと出会ってからずっとステルノは、笑ったままだ。

 仮面を縫い付けたような笑みを湛え、愉快げにあたしを嘲弄ちょうろうしている。


 ライハルトもそうだけど、この女が1番姉弟の中で何を考えているかわからなかった。


 同性であってもだ。


「悪いけど、急いでるの。そこを通して下さらないかしら」


「あら、ごめんなさい。どうぞ!」


 ステルノは大人しく道を譲る。

 それがまたあたしをより一層警戒させたけど、特に何をするわけでもなく、あたしはステルノの横を通った。


「ご機嫌よう、アンナ」


「……ご機嫌よう、ステルノお姉様」


 あたしとステルノは、お互いスカートの端を摘まんでお辞儀する。


 結局、互いに挨拶し合っただけ。

 なのに、あたしの胸には気持ちの悪いしこりのようなものが残っていた。

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