第56話 宗一郎とチャプマン

「僕がここに居ると知って、呼んだのですか?」と尋ねると


彼は「いや・・・君の考え方が正しいと思った。それだけだった。」


理論的に言って、そうである。シミュレーションでそれらしい数値を出しても

実際のエンジンとは異なる。



物理的にヘンな設定を与えて、実物に近い数値が出たら

そのシミュレーション・モデルは失敗作である。






「ここを出て、どこへ行きますか?」



彼は「わからない。だが、リカルドと仕事していてもいいマシンは出来ないだろう。

ここの会社も、F1には勝てない

あいつらは、クルマが好きじゃないんだ。

いや、何も好きなものがないんだろう・・・」





それは僕も思った。どことなく皆がお座なりだ。

大企業病、と言うか・・・・。

家庭用品のような自動車を高品質、低価格で作る技術に長けているメーカー。



スポーツカーを売るためにF1で優勝したい・・・・、なんて。



お金持ちと結婚する為にTVアナウンサーになる女子大生のようだ(笑)。

と、僕は思った。



魂、Spirit。soul 、nirvana。


そういうものが、ない。





・・・・ただ、大企業でF1に出るためにはそういう「大義名分」が必要なのかもしれないが。




ソニーの創始者、井深大は晩年「小さなソニーに戻りたい」と言っていたそうだ。

大きくなりすぎた組織は、何を決めるにも柵が生じる。


それで、魂のあるものを作ろうとしても、できない。

商売、損得勘定が先に立ってしまう。





ソニー、で僕はホンダ、を連想した。


それで、彼に「本田宗一郎さんをご存知でしょう?あそこなら・・・」と。



彼は「ああ、知っている。だが、今の連絡先は知らない。」と言って

「宗一郎が居れば、なんとかなるかもしれないな」と、少し微笑んだ。



僕は・・・さらに連想した。

ホンダ。ガレージで今は眠っているCR-X。

トリッキーな操縦性で、危険な挙動を示す事もあり・・・生半可な腕では

乗りこなせない、それを乗りこなす人物・・・。


3台CR-Xを乗り継ぎ、次はインテグラtypeRを乗っていた

元F1ドライバー、ポール・フレール。



彼なら、雑誌・カーグラフィックにも顔が利くから・・・・。

宗一郎の連絡先もわかるだろう。


なにせ、その雑誌記事が原因で

コーリン・チャプマン(?)は南アフリカから逃亡する羽目になったのだから。



「ポール・フレールさんをご存知ですか?」と、僕が尋ねる。


彼は「おお、知っているとも・・・そうか、彼なら宗一郎の居場所が解るな。」と、にんまり。




あまり長居すると、会社の警備に知れるので



彼と、電話番号とメール・アドレスを交換して

僕は、誰にも気づかれないように、そっと部屋を出た。

リカルドの連中は、相変わらず不毛なことを言い合っている。





階段を静かに下りていく。

1階から外に出ると、爽やかな高原の風が頬をなでた。


悲鳴のようなV型10シリンダ・エンジンの音が響く。


開発中のスポーツカーと・・・・・ナゾの試走車である。

低く蹲った、レーシングカーのような代物。

それが何なのか、見てはいけない。聞いてもいけない。

研究所はそういう所である。




だから、仮にここにコーリン・チャプマンに似た人を見ても

コトバに出してはいけない。

そんな事をすると、研究所から追い出されたりする。

それは社員でもそうである。



「その代わり、僕らのような・・・外部から取るんだけど」

もっと状態は過酷で、外部の人間が・・・情報を漏らすと

有形無形の方法で闇に葬られる、そういう噂があったし

事実、ここから出ると他所でエンジンの仕事はできない。

そういう暗黙の了解があった。




「そうだ・・・・河井くん」


河井は、若手のエンジニアである。ここの会社に魂がない事を嘆いていて

僕が「ホンダに行けば?」と、ホンダにいる知り合い、長崎に紹介したら

あっさり辞めて行った。



長崎は、かつてホンダのGP500マシン、NR500のピストン・リングを担当していた

人物である。


楕円ピストンの為、ここが決め手。であった。


果たしてNR500は成功した。実質8気筒である・・・が。

2stには勝てなかった。


後のMotoGPでは楕円ピストンは禁止である。


「河井くんも、長崎も元気かな」と、僕は懐かしくなった。

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Lotus7と、Road 深町珠 @shoofukamachi

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