第2話

 会社帰りに立ち寄ったスーパーは、いつも通りの閉店間近。総菜や生鮮食品には三十%オフの値引きシールが既に貼られ、店内には蛍の光が流れていた。


【毎週水曜日はポイント三倍!】


 商品棚にはこれ見よがしにポップが並び、来店客の購買意欲を刺激する。しかし残念ながら今は月末。庶民が小さな贅沢を味わうのは多少潤う月初めと相場は決まっている。かく言う私の懐も寂しく、五千円札が一枚だけ。いや、それを昨日の買い物で崩したから千円札が四枚か。


 売れ残りの弁当と缶ビール二本、買い物カゴにそれだけ入れてセルフレジへ一直線。商品を清算しようとしたところで、本日何度目かの驚愕に襲われた。


「五千円札がある……だとっ」


 ビトン的なパチモンの財布、その札入れスペースで鎮座ましますのは澄ました顔の樋口一葉。昨日の買い物で泣き別れして英世カルテットになったはずが、いつの間にかお戻りになられたご様子。このパチモン財布は再生機能付きなのか。


 まさかね。


 それならやはり原因は、今朝から続く不可思議現象以外に考えられない。もしや昨日の色々がリセットされてるとか、そんな感じ?


 帰宅するといつもの二十二時過ぎ。シャワーを浴びて下着を履いて、面倒くさいからパジャマは却下。ローテーブルの前に座り、レンジで温めた弁当の蓋を開ける。モワッと広がる熱気と匂い。代わり映えのしない日替わり弁当ってどうなのかと思いつつ、録った番組を再生開始。


『唯たん、ボクのアサガオ隠しただろ』

『仮にそうだとして、某にどのような罪があるのだ』

『ボクのは世界一なのに。唯たんの意地悪!』

『ほう、大きく出たな小童。妖刀の錆にしてくれる』


 決闘の後に唯たんがデレて、そこから二人は愛を確かめ合う展開。うん、記憶通りだ。何回見てもさっぱり意味が分からないけど、間違いなく絶対確実に昨日見た。やはり今日はウェンズデーナイト。休み明けの心地よいダルさや休日前の伸び伸び感から最も遠い、一週間のド真ん中。自分の中では二度目になるが、なぜか他人は初めて迎える水曜日。もしやこの水曜日が永遠にループするのか。そうだとしたら土日を迎えられない。際限なく繰り返される水曜日に、私は過労死させられる。


「…………寝よ」


 きっと時間が解決してくれる――



 無情に響き渡る目覚まし音。布団の中から腕だけ出して、勘で弄りそれを止めた。そこから微睡みの余韻が抜けるまでに十五分。ようやくパイプベッドに上体を起こす。寝ながらやることを整理したので、ここから先の行動はスムーズだ。まず最初にスマホで曜日確認。


「水曜日か……って、スマホうすっ!」


 カードくらいの厚みしかない。しかも情報が画面から飛び出し、立体映像的に文字が空中に浮かんでる。曜日は変わってないクセに時代だけ変わった感が否めない。これはもう、スマホとは別の何かだ。次にスマホの情報が確かなのかテレビで確認。


『――本日水曜日に運勢最悪なのは……ごめんなさい、蠍座の人です』


「全然ごめんなさいって顔してないな、この女子アナ」


 星占いで運勢が悪いのは、なぜかダントツで蠍座だ。占い師は十一月付近が憎いのか。それとも蠍ってネーミングの不吉さから悪運にしておこうと思うのか。どちらにせよ占い結果は当ってる。

 そして最後に確認するのは財布の中身……、思った通り五千円札が復活してる。ゴミ箱の中を覗くと、昨夜食べた弁当の空箱や缶ビールの空き缶が消えていた。でも私は空腹を感じていないから不思議だ。


 日付も曜日も財布の中身も昨日と同じなのを確認し終え、身支度を整える。いざ出陣と靴を履いたら、玄関ドアが無音で左右に開いた。


「え、今度は何?」


 そのまま表に出るとドアは普通に閉まった。指紋認証のパネルはなくなり、チャイムのあった場所に少し大きめのパネルができている。何だこれ……と顔を近づけた瞬間、再度左右に開くドア。


「虹彩認証……だとっ」


 玄関ドアだけ無断で進化し続ける安アパートの不可解さよ。何度か試して、こういうものだと納得してから階段を下りた。どうせならこの階段もエスカレーターになれば良いのに。まあそもそもうちのアパートは二階建てなので、必要性は皆無だけど。


「グッモーニン、アユミ」


 いつも通りにリュックを背負い直し、愛車のクロスバイクに跨ると機械音声が聞こえた。今日のこいつはAI搭載か。今日も宜しくね、一緒に風になろうぜ、最短距離を表示して、などと面白がって喋りかけてみるも、「グッモーニン、アユミ」以外の音声は返ってこなかった。AIじゃなかったらしい。

 アパートの下で貴重な通勤時間を潰してしまった。電光石火の立ち漕ぎでストリートを駆け抜ける。光超えたと思う。


「水見先輩、おはようございます」

「ん、誰?」


 会社の駐輪場で話しかけてきたのは、バックにキラキラのエフェクトが散ってそうなイケメン男子。今までの生涯で、こんなハイレベルな外見のやつと知り合った記憶はミクロンもない。


「朝から冗談が上手いですね、篠原ですよ」


 金髪ロン毛で、ウェーイとかやってそうな篠原君がまさかのイケメン化。改めて見ると顔は同じだし背丈も同じ。こいつ黒髪ショートにして爽やかに振舞えば最強男子だったのか。人生の何割損してたんだ?


「ところで今日は遅い出社ですね、もしかして男性トラブルですか」

「うっ……く。貴様如きが私の男関係に口出しするのは百年早いぞ」

「だって先輩のこと、気になるじゃないですか」


 魔改造された篠原君、恐るべし。今の台詞、ちょっとだけグッときた。若干セクハラ発言気味だが、端正な笑顔でそれを打ち消すとは侮れない。人は顔で決まらないって言う人もいるけど、八割くらいは顔で決まると思う。


「はいはい、さっさと行くぞ」

「本音なのに……」


 篠原君と少しだけ気になる会話を重ねながら階段を上って行った。フロア入口に表示された会社名が、【葛飾ジャスト経理】でも【葛飾ジャスト警備】でもなく【葛飾ジャスティス正義】になっていたことには目を瞑ろう。


「さて、正義の方程式には幾つかあって――」


 あいも変わらず心底どーでもいい社長の訓示が終わり、ぞろぞろと各部署へ散っていく従業員。半数以上が戦闘服着用で見慣れない小型科学兵器を持っていたから驚いた。この会社はどこに向かっているんだろう。色々聞こうと思って薄井課長を探したが、その姿はどこにも見えず。


「課長はまだ来てないの?」

「いえ、餌を待ってると思いますよ」

「餌って?」

「いつもので良いんじゃないですか」


 後輩の女性社員に声をかけたら、意味不明な返答が返ってきた。いつものって何だよ、私はそんなことが聞きたいんじゃない。餌を待ってることの意味を聞きたかったんだ。


「ああ、そうね。いつもの」

「ええ、いつもので。では失礼します」


 これ以上の会話は、お互いのメンタルを削り合いそうだったので切り上げる。とりあえず課長の席へ向かうと、デスクの上には小さな羽をパタパタさせたヒヨコが乗っていた。


「ピーピー!」

「何でヒヨコ?」

「ピーピー!」


 よくよく観察すると頭頂部の羽毛が他の部分より薄い。まさかこれが課長ですか、そうですか。この生物に餌をやるのが私の仕事、と。ヒヨコの餌とかマジで分からないので、取り敢えず目についたコピー用紙を千切って与えてみた。黒ヤギさんの好物なんだから大丈夫だろう。


「ねえ、なんで鳥類が課長してるの?」

「仕事ができるからだよ」


 近くを通りかかった顔見知りの男性社員は、私の疑問を一刀のもとに切り捨てた。ヒヨコのスペックが高すぎる。この小さな体に、どれだけのポテンシャルが隠されているというのか。

 差し出したコピー用紙を条件反射でムシャムシャする課長の世話をしながら、私は一つの結論に達した。


 今日は早退しよう。

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