病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈38〉

 コタールのように、ペストに乗じて個人的な欲望を果たそうという「小悪党」は登場しても、なぜかこの『ペスト』という作品には、病禍とともに本当に町を全滅させてしまおうなどというような、悪魔的な発想をする者は現われてはこない。もちろん、そういう意図をもって何らかの行動を実際に起こすまでには到らなくても、「世界は滅びよ、たとえ正義はなされずとも」くらいのことをちょっと口に出してみるとか、あるいは頭の中でふと思い浮かべてみるとか、そういう者が誰かいてもおかしくないはずだ。

 たしかにコタールも、「大地震でも起こればよい」と口では言う。しかし、彼はそれを心から望んではいない。もし本当にそのようなことが起これば、むしろそれはコタールにとっても都合の悪い話なのである。

 コタールは、そういう急激な破壊を求めない。彼にはまさにペストのような「緩やかな騒乱」が、自身の生活を維持していられる程度の騒ぎとして、実にちょうどよいものだったのである。


 実際にはそんな力を何一つ持たないのに、世界の滅亡を願わずにいられない。そんな不幸な魂を抱えた人間を拾い上げるのもまた、文学の仕事ではある。

 しかし、そういう人間をカミュは作品に登場させない。たしかにそういった「黙示録」的な印象を作品に取り込みたくないという気持ちもあったのだろうし、何か倫理的な基準によってそれを自らに禁じたものかもしれない。ともあれこの作品の中では、最も悪くてコタールどまり、ということである。それがこの作品世界なのだ。

 もし、オランにおけるペスト拡大の罪を問うとするなら、むしろ初動対応に消極的だった医師会長のリシャールや、県知事はじめ当局の責任者の無為無策を追及するのが筋であるはずだ。しかしなぜかリウーの手記においては、それらの者に対する描写は、ただ皮肉めいた言及にとどまるのである。彼らのふるまいは、あるいは本当に街全体を滅ぼしかねない事態にも至り得たのに。まさにこれこそ「無知という悪」ではなかっただろうか。

 

 現在の話から一つ例に挙げると、コロナ禍序盤の頃に「日本では引きこもりが百万人いるおかげで、若者に感染が拡がらずに済んでいる」などと、何のエビデンスもないバカな発言をしていた某精神科医がいた。現在ではこのような妄言が全く誤りであったことは誰の目にも明らかであろうし、「若者」に話を限定したことについても、この発言が二重に過ちを犯していることは明白なことである。

 ところでこのような発言の先には、「人間が世界からいなくなれば、いかなる疫病も存在しなくなるだろう」という、「悪魔的」な発想もまた成立してくるだろう。しかしこのような愚言を臆面もなく言い放つ連中は、別に悪意からではなく全く正義の信念から語っているのだ(上記の発言主である精神科医も、「割と本気で」と自ら言っている)。これこそタルーやランベールの言う、「理念が犯す悪」というものだろう。そして、歴史上で大きな悪を為してきたのは、まさしくこういう人々なのである。


 ともあれコタールのことを、まるで悪の権化であるかのように詰るのは、彼にとってはいささか酷に過ぎるような気もする。コタールの「悪」とは、実際には実にささやかなものではなかったか。それはただ、自分自身を守るためだけのものであって、別に誰かを傷つけようと意図したものでもないし、実際にそれで誰かを傷つけたわけでもなかった。

 とすればリウーやタルーは、コタールの担うべき「本来の罪状」とは全く別の、むしろコタール自身としては何ら自覚のないところに、悪やそれに伴う罪を見出していたのではなかったか。たしかに「無知」という観点からすれば、そのような悪や罪も生じうるとは言えよう。しかし、それを彼が為した「唯一の、また本当の罪」として断罪するだけの「具体的な証拠」を、彼らははたしてどのように示しうると言うのだろうか。


〈つづく〉

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