病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈27〉

 オランから脱出するのを急遽取り止めて、リウーたちと行動を共にすることを決断したランベールは、「もはや自分は、この町と無縁な人間ではないのだ」と言う。それはただ単にこの数ヶ月の間、彼が現に町の人たちと多く関わってきたからというだけの話ではないだろう。むしろ彼は、もしこのままオランを離れることによって、逆に町へやってきた以前よりさらにずっと、この町とは無縁な人間に自分自身がなってしまうだろう、ということに気がついたのだ。

 このオランの町と、その町の中で日々生きる人々のことをいっさい知らずに、それらと何の関わりもなかった頃よりもさらにずっと、自分はそこから無縁な人間になってしまう。そもそもいなかった人間以上に、自分は「無」になってしまう。そんな自分に一体、どのような幸福が望めるのか、そんな自分自身に対してさえ自分は、無縁な者になってしまうのではないか。

 ランベールは、オランに残ることで幸福を断念したのではなかった。彼は、「◯◯のために」という観念に固執することで、つまり「ために」ということに固執することで、むしろ「◯◯」の方自体を断念しなければならなくなることがあるのに気づいたのだ。そしてそれは、ある意味では「自分自身を断念する」ことにもつながりかねない、そのことにも彼は同時に気がついたわけであった。

 ランベールという人は、「それはけっして自分のためにはならない」と感じられるなら、それを躊躇なく止めることができる人間なのである。そのような考えや振る舞いは、あるいはあたかも「自分の利益」を基準にしたエゴイズムであるように思えるかもしれないが、しかしむしろ彼が基準としていたのは、「自分自身の人間性を毀損するようなことはしたくない」というようなことなのではなかったか。その意味でランベールは、きわめて倫理的な人間なのだと言えるのではないだろうか。


 「望むと望むまいと」もはや自分とは無縁ではなくなったこの世界に居残り、自ら関わりを続けようとすることで、さらにこれから先においても「何かを望みうる」人間で、自分はあり続けられるかもしれない。そのときランベールは、そのことを望み、選んだのだった。幸福とは、結果であるよりむしろ、可能性としてあるものなのだ。彼は、そのことにも気づいたのではなかったか。

 「あなたたち」もそうなのではないのか、とランベールはリウーに問う。あなたたちは、今のこの状況を「選んだ」というのか、「望んだ」というのか。そうではないというのならば、むしろあなたたちは一体「何のために」こんなことをしているのか。

 ランベールの問いに、しかしリウーは答えることができなかった。ただ絞り出すように、「自分にもわからない」と言う他はなかったのだった。

 一連のランベールの行動は、たしかにある意味リウーにとっての「望み」でもあったのかもしれない。そしてそんなランベールの翻意は、そのときリウーにとっての「断念」にもなってしまったのだろう。

 彼もまた、気づいてしまった。やっぱり自分も「離されたまま」でいるより他はないのだ、自分の愛する者から、あるいは「自分の愛する者」という観念からも。本当に自分には、そのようなものがあったのかどうかさえ、もはや忘れてしまいそうなほどに。


〈つづく〉

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