2 オラクルをもたらすデビルのワイフ

「ええと、知っているだろうけど……。サウザスのアルバ、ショーン・ターナーです。よろしく」

 ターバンを取って髪はクシャクシャ、ベッドシーツに挟まれ、皺だらけの服のまま。みっともない格好に気後れしながらも、都市長のお子さんたちに挨拶した。

(町長のお子さんって言えば、エミリアとアンナもそうだっけ。こっちの子もあんな感じかな? それとも、都会の子はもっと気取った——)

「うふふ、わたくしのことはベルゼコワとお呼びくださいまし。冥府の王であり神託をもたらす悪魔、ベルゼブブの妻ですのよ」

「はい?」

「お前の名前はペトラだろう。ペトラ・シュナイダー」

「やめて! わたくしに現世の性名は存在しないの。次元を超越し、深識を隠匿し、時の間を移流せし超異物者なのよ!」

 ペトラ……あいや、ベルゼコワの黒ドレスがフワリと舞った。スカートの中にはパンパンの夢とパニエが詰まっており、父と同様、大きな宝石が持ち手についた黒レースのパラソル傘を、室内にも関わらず、全開でひらいて振り回していた。

「そうか。凄いね、ベルゼコワ」

 ショーンは、彼女の言葉をすべて受け入れて握手をし、(魔術学校には、こういう子はたくさん居たのだ)もうひとりの兄に向き合った。


「ジークハルト・シュナイダー。ゲアハルトの次男です。年齢は18、よろしく」

 ベルゼコワと同じくらい喋るかと思いきや、意外とそっけなく終わってしまった。

「ああ、よろしく……いや待って、今朝、君について何か聞いたような……」

 都市長とお会いする前に仕入れた記憶だ。

『おかげでノア新聞のゴシップ記事まで読んでしまいましたよ。都市長の息子さんが帝都の数学コンテストで金賞を取ったとか——』

「そうだ! 息子さんが数学コンテストで金賞を取ったって言ってた。君のことかい?」

「……ご存知でしたか、我々はともにアクインテンスという訳ですね」

「うん、そうだね」

 彼の紡ぐ言葉……あいやワードセンスは、妹ベルゼコワよりも少々難解でイレジブルであったが、ショーンはノリと感覚で応対した。

「じゃあつい最近まで帝都へ? 帝都に行くには3日はかかるし、疲れてるだろ」

「いえ、大会自体は去年の12月に開催でしてね。1週間ホテルに篭もり、ひたすらノッティパズルを解くのです。先週ようやく合格者が発表され、僭越ながらゴールドメダルを受賞しました」

「お兄ちゃまは数学者を目指してますのよ、殊更騒ぐまでもありませんわ」

 ふん、とベルゼコワが自分の手柄のように肩をそらした。


「へー、数学者の卵なんだ! 凄いじゃないか」

「いえとても……数学者というものは、何がしかの法則や定理、未知のフォーミュラを自ら発見し、追い求めて研究していく生き物です。与えられた数式を解くのはただの数学マニヤ……学者ではない」

 ジークハルトは、苦悩の表情をつくって顔を伏せた。父親に似た、黒い眼下の隈がいっそう暗く濃くなる。ショーンは慌てて明るくフォローした。

「ま、まあ、若いんだし、これから見つけられるんじゃないかな。研究したい対象をさ。そうすれば学者として——」

「そう、自分はアルバ様のお話をお聞きしたかったんです。『アルバはみな、魔術以外に何がしかの学者でもある』と耳にしています。ショーン様は何の分野をインベスティゲイトされているのですか?」

「えっ……と」

 突如ショーンのアルバ人生のなかで、もっとも聞かれたくない質問を聞かれ、寝汗のような滝汗が流れた。



『アルバは、魔術以外の学問も探究せねばならない』



 これは魔術学校にて、オーストーリー・バロメッツ先生から教わった、最初の授業の一言である。

『なぜですか?』

『私たち、せっかく魔術を学びにきたんですよ!』

 教室中から悲鳴をあがった。

 自らの知的好奇心を胸に抱き、家族の期待を一身にうけ、入学してきた生徒にとって、衝撃的で酷な一言であった。

 ショーンも、せっかく退屈なサウザスの授業とおさらばして来たのに、と文句を言おうとしたけれど……自分の両親が行っていた、謎のキノコと、苔の研究を思い出し——点と点がつながった。

 バロメッツ先生は『今年の子らは元気がいいな』と両腕を上げ下げし、憤る生徒を静かにさせた。

『誰か、理由が分かる者はいないかね? よし、黒髪の巻鹿族の君、答えたまえ』

『はい! 魔術というのは、幅広い分野の学問が下地となっています。魔術を発展していくには、アルバ自身も下地を学び、知識を深めなければなりません。よって、アルバの資格を得るためには、【魔術以外の学問も研究する】と誓約する必要があります』

 彼女はハキハキと、入学生としては満点の答えを回答した。

『素晴らしい、名前は何かね?』

『はい、エリ・エクセルシアです!』

 

 その名を耳にした瞬間、教室中がざわつき、ページを捲る音が天井に響いた。

 ショーンも思わず、彼女の顔を見ようと背を伸ばした。

『ね! エクセルシア家の子だよ!』

 編纂者アディーレ・エクセルシアの名前は、【星の魔術大綱】の1ページ目に記載されている。

 華々しい家系をもつエリに対し、周囲は嫉妬と敵視の目が流れていたが、困ったらあの子を頼れば良さそうだと、ショーンはちょっぴり安堵した。

『はい、こちらに注目して』

 バロメッツ先生が、コツコツと黒板を叩いた。


『いいかね諸君。

 魔術を扱えるのはマナを多量にもつ者——アルバにしかできぬことだ。しかし魔術のみ学んでいるようでは、その分野は発展しない。先人が作りし呪文をなぞるだけでは、いつまで経っても【星の魔術大綱】が改訂されることはない。

 そう、魔術と呪文は、古くから様々な学術的知見をもとに研究され、考案され、学問として成り立っている。

 『知見』とは誰かを頼るのみならず、自ら未開拓の畑を掘り起こし、深層の根に到達することによってこそ、真の理解を得られるものだ。

 すべての物事は、魔術師の知恵の源になり、知識の集大成になってゆく。

 それにはアルバ1人1人が、何らかの学問に的を絞り、探究していく必要が……』



「ショーン様は何の分野をお学びに?」



 ジークハルトとベルゼコワの兄妹は、アルバ様のお言葉を拝聴すべく、洞穴熊族の小さな耳を傾けていた。

「ええっと……」

 ショーンは羊猿族の尻尾を力なく揺らした。

「い、言えないんだ」

 胸の中の溶岩がボコリと湧き、炎の泡がフツフツと吹き出した。

「そう——言えない。これには犯罪捜査が関係している。関係者以外の第三者に開示することはできないんだ」

 ショーンはキリッと左胸に手をあて、返答を誤魔化した。

「ですが、事件が起こる前は……」

 兄ジークハルトが疑問の声を上げたが、

「いやー、お待たせしましたよ。お腹ペコペコでしょう。僕は気が利く人材ですからね。ちゃんとお2人の分も用意しましたよっと——おや?」

「ショーン、お待たせ〜。どれにしようか迷っちゃって、結局キノコとトマトの素揚げの冷製パスタと、トウモロコシとインゲン豆のペーストパイとー……あれ?」

 ドヤドヤと大量の弁当箱をかかえ、ロビー・マームと紅葉が戻ってきた。

 冷たい休憩室の温度が、いつの間にか2度上がっている。


「あら、良い匂い! 下々しもじもの者がランチを買ってきてくれたのね、ありがたく頂戴するわ」


 ベルゼコワはにっこり挨拶し、冥府王の妻としてふさわしい振る舞いを見せつけた。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16818093076127637571

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