第42章【Gothic】ゴシック

1 シュナイダーさん

【Gothic】ゴシック


[意味]

・ゴート人の、ゴート族の

・12世紀中頃の北フランスの教会建築をきっかけに、16世紀初頭まで流行したヨーロッパの建築様式。大きな窓にステンドグラス、尖塔アーチの扉、張り出したフライング・バットレス、無数の小尖塔ピナクル、リヴ・ヴォールトと呼ばれる突起付きの交差天井などが特徴。

・20世紀後半に流行した、黒ずくめの悪魔的でミステリアスなファッション。


[補足]

英語「Gothic (野蛮、未開の)」、ルネサンス期のイタリア人が、フランスのゴシック建築を評し『ゴート人のように野蛮な見た目だ』と批判したことに由来する。そのゴシック建築とは、教会内部の天井を高く保つために考案された建築様式である。内部には尖塔アーチの扉、突起付き交差天井(リヴ・ヴォールト)を採用し、外観には無数の小尖塔(ピナクル)と飛梁(フライング・バットレス)を設け、石造りの重い天井を、中と外から支えることに成功した。これにより高天井の吹き抜けが可能になり、聖堂内は大きな窓や大ステンドグラスが設置され、白い陽光がふりそそぐ開放的な空間となった。一方で、無数の小尖塔と飛梁によって要塞のごとく厳つくなった外装は、黒く禍々しく悪魔的であり、これは20世紀後半に流行したゴシック・ファッションを好む人物を彷彿とさせる。





 彼は魔術師のような黒いローブを着込んでいた。

 灰銀色の長い髪に長いヒゲ、両眼は黒々とした隈で縁取られ、黒涙のような筋が、頬にひとすじ流れている。宝石をあしらった長ステッキを突き、アルバ様に一礼した。

「あなたは!……ゲアハルト・シュナイダー都市長ですね、僕は……」

「存じております。ショーン・ターナー殿、こちらへ」

 部屋の主人に促され、都市長室へお邪魔した。秘書室のドピンクとはうってかわって、落ち着いた紫鈍色の空間だったが、ショーンにそれを気にする余裕はなかった。

「都市長、その……!」

「すぐにでもお話を伺いたいところですが、私はあと2分で出ねばなりません。ですが、今日中に時間を作りましょう。今から12時間後、午前5時ではいかがですか」

「は、はい、ありがたいです!」

 双方の秘書役——ロビー・マームは、サラサラと手帳に変更時刻を書きこみ、オーレリアン・エップボーンは、万年筆でカッカッと耳障りな音を立てて書きこんだ。


「貴方のことは、錚々たる面子から頼まれましてね。サウザス町長オーガスタス君に、トレモロ町長のヴィーナス嬢、そして我が同胞たるヴィクトル・ハリーハウゼンからも……フッ、これは助けぬわけには参りません」

「——本当ですか、病院長から⁉︎」

 ヴィクトルには捜査の詳細を告げず、別れの挨拶をしたはずだ。もうノアにいると知られてるなんて。

「ええ。あの男が頭を下げるのは、実に39年ぶりです……クレイトの高等学校で、あいつが研究室から実験薬を持ち逃げするのを、見逃してやった時以来だ。クックック」

 ゲアハルト都市長は、懐かしそうに顎髭をひと撫でし——帽子を被り直し、再びステッキを突いた。

「では、約束の時間にて再会しましょう。それまで秘書のオーレリアンをお頼りください」

 若者よりビシッと背筋の伸びた、厳格な老人は、コツコツと去っていった。


「良かったですね、これもオーガスタス町長の根回しの賜物ですよ」

「あ、はい……」

 ロビー・マームがニコニコして、ショーンの肩を叩いてきた。

 どう聞いても、ヴィクトル病院長との、旧来の友情のおかげのようだが……ここは肯定しておいた。

 

  “  ユビキタス——  ”


「…………ッ‼︎」

 急に、ヴィクトルと親友だったはずの、ユビキタス・ストゥルソンの顔を思い出してしまった。

(……そうだ、ユビキタス……‼︎ 今はどうしてるんだろう!)

 コリン駅長や警護官と違い、ユビキタス校長はきちんと捕まったせいか、存在を忘れていた。

 いや、忘れようとしていた。

(先生……いったいどんな罪に問われてるんだろう。殺人未遂か? それとも傷害罪ってやつか? 関係者は全員逃げちゃったから、証拠はオーガスタス町長の証言しかないはずだ……まさか証拠不十分で無罪になりうる? いやまて、確か横領罪ってことで捕まったんだっけ、余罪はこれから……)


「————ショーン‼︎」


「……ハッ、ハッ、ハァッ……ッ」

 考えてる間に、過呼吸になっていた。顔色が赤と青の点滅を繰り返す。紅葉がかけよって左腕をにぎり、背中をさすってくれていたが、まだ元に戻れてなかった。

「どうしました、ショーンさん。ははーん、さては午前5時に遅刻しないか緊張でしょう。大丈夫、僕が起こしてあげますよ」

「うっわ、やーだ、ここで吐ーかないでくださーい。おトイレはそーとでーす」

 呑気な秘書役2人の声を浴びながら、必死に喉のつかえを取り除いていく。

「紅葉……紅葉はこういうとき……」

「あるよ……私も、あるよ……」

 助けをすがるのが情けなかった。違う。

 僕が助けてもらう代わりに、紅葉がこうなってたら助けなきゃ。違う。

 僕はアルバなんだから、常に助ける立場じゃないとダメなんだ。違う。

 そうだ、僕は紅葉を助けたことなんかない。そうだ。

 いつも、助けられてばっかりだ……


「はっ、はっ……はあ、はあ」

「ショーン、良かった。落ち着いたみたい」

「っ……ゲロッ、オロロっ……」

 呼吸と顔色が戻ったぶん、昼の食べ物まで戻してしまった。

 小豆冰餅の切れ端がビチャビチャッと床に溢れる。

「ヒィイいいいいいいいい!!!」

 秘書オーレリアンの悲鳴が役場中にこだましたが、誰も意に介す者はいなかった。





「……うー」

 3月26日金曜日、夜7時。

 ショーンはひと通りおトイレで吐いた後も、体調がすぐれず、4階の一番奥にある休憩室で寝こんでいた。

「……はあ」

 ビル街に酔ったつけが一気にきたのだろう。電動昇降機のゴウンゴウンという音が、いつまでも羊角の奥で鳴っている。紅葉は【鋼鉄の大槌】をかかえ、木製ベンチでじっと待機していた。

「紅葉、マームさんは?」

「夕飯買いに行ったよ、駅の周りに商店街があるんだって」

「そっか、もうそんな時間か……紅葉も行ってきていいよ」

「ダメだよ、ショーンを一人にできない」

 大槌がゴトッと床を鳴らした。空気が一段と黒くなった気がする。

「いいって……、それに僕だってご飯食べたいし、なんか買ってきてよ」

「やだ。マームさんが戻るまではここにいるよ」

「……あいつがすぐに戻ってくると思うか?」

 果たして、どこまで一緒に行動してくれるんだろう。

 トレモロの同行者とは、夜になったら解散していたけど、ロビー・マームの業務時間はいつまでなのか、確認するのを忘れていた。

 朝9時に彼と出会ってから、もう10時間も経過している。

 最悪、都市長との約束の時間まで、ホテルに帰って先に寝ててもおかしくない。

(夜行性民族が3割も住んでる、都市ノアか。

 ここじゃ予定外の時間行動が多くなりそうだ……)

 ショーンが、枕と首の間に腕を挟んで、ブツブツと考えだし——つまり元気になったのを確認し、

「……わかった。行ってくる」

 紅葉は休憩室を出て行った。



「…………ふー」

 束の間の静寂と平穏が、休憩室に訪れた。

 タバコを愛飲する者なら、一服する頃合いだろうか。

「……いつもなら、太鼓隊の音を聴いてる時間なんだよな」

 目を閉じれば思い出す『酒場ラタ・タッタ』の夜の喧騒。あれほど大音量で、心休まる音はない。太鼓隊長オッズが号令し、紅葉がバチを振り、マーム夫妻がセッションを魅せる。

 オーナーのニコラスが酒を振る舞い、従業員ロータスが肉を炙り、親友のリュカが熱々のソーセージと蒸した芽キャベツ、ファンロンの高級茶を持ってやってきて……。

「——あら! ヨダレが垂れてるわ!」

 おっといけない。

「……えっ?」

「まあ、アルバ様としては少々みっともないお姿ですけど、仕方ありませんわね、暫しの休息ですもの! ここを駒鳥の巣だと思って、気安くお過ごし下さればよろしいわ」

「煩いぞ妹よ。アルバ様はマナを回復するために、精神のインテグレーションが必要なのだ。これからノアに迫るディザスターから護ってくださるとお聞きした」

「き、君たちは……?」

 そっくりな顔立ちの男女2人が、いつの間にかショーンの前で会話していた。 “やや小難しい” 言い回しをしていたが、年齢はショーンの少し下に見える。

「本当はわたくしとて、闇と願望の神モルグに祈りつつ、修行を重ねる時間に充てたかったのですけれど、お父様のお願いとなれば聞かないわけには参りませんわね。アルバ様のご面倒を見ろと、この わたくし に! 要請なさったのですわ!」

「家族に だろ。家内で最もアヴェイラブルだった我々が、アルバ様へ謁見しに馳せ参じたという訳だ」

「ええと……君たちは、ゲアハルト都市長のお子さんたち?」

 全身黒ずくめで、ゴシック調のドレスとチョッキを身に纏った兄妹たちは、2人揃って「ヤー」と答えた。

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