5 ロイが死ぬまでの話 Ⅸ
皇歴4548年1月。
ヴォルフガング・ゴブレッティが亡くなり、盛大な町葬が行われた。
僕一人では、何もできなかっただろう。ほとんど町の役人と、クレイトから帰郷してきたヴィーナスが手配してくれた。15年ぶりに行われた町葬は、昨年秋の勃興祭よりも盛大に執り行われ、飾り付けられた父の棺は、トレモロ町中を練り歩いた。しかし、慣例どおりなら最後に訪れるはずの、北部にある木工所の敷地内には入らなかった。
「ロイ、ヴィーナス。ちょっと良いか」
木工所レイクウッド社の現社長・オズワルドの代理で参列していた、跡取り息子のアルバートに話しかけられた。アルバートは少し年上で、子供の頃は一緒に遊んだり食事したりもしたが、最近の交流はぱったり途絶えていた。
「既に知っているだろうが、父の様子がおかしい。本来なら残されたロイを支えて、ゴブレッティ家と一丸となって仕事しなければならないのに……」
建築家の父ヴォルフガングは生前、自分が居なくなったらレイクウッド社を頼り、現場で学びつつ修行するよう言っていたが——肝心の現社長オズワルドから、ゴブレッティ家との絶縁宣告されていた。
木工所の一番南にあった事務所すらも、トレモロ最奥の北部へ移転してしまったそうで、これには彼の跡取り息子であるアルバートも、反感を持っていた。
「ノアの一件が相当響いてるんだ。とにかく、今は怒りが冷めるまでほとぼりを待つぞ。この状態がずっと続くわけじゃない」
「ありがとう、アルバート……」
「ふぅ……あたくしたちの代ではもっとこの町を良くしましょう、ひどく虚ろな空気ですもの」
ヴィーナスは昔からずっと言い続けてるこの言葉を、改めて口にした。それは葬儀の場で、一種の呪いのように聞こえてしまった。
48年のこの年、唯一良かったことと言えば、ヴィーナスが再びトレモロに住み始めたということだ。
だが、長らく待ち望んでいた筈なのに……仕事もなく金もない状況というのは、恋心を大きく阻害する要因だと初めて知った。
父の最期の仕事、レストラン『オニキス』の設計代は、ナッツコーヒーを飲み干すよりも、早く使い切ってしまった。
「ロイ、顔色が良くないわよ」
「うん」
「食べてないんじゃない、見るたびに瘦せ細っている気がするわ」
「……そうかな」
「うちへ来なさいよ。食べて行って。同じ崖牛族なんだから好みも合うわ。今日は両親がいないから平気よ、クレイトに州会議で出かけているの」
ぼくは未だヴィーナスに、ゴブレッティ家にお金が無いことも、障害を持つ弟ツァリーのことも、どちらも打ち明けられずにいた。
手紙ではいくらでも取り繕えていた事も、いざ実際に相対すると、ぼろぼろとボロが出てしまう。
頼るはずだったレイクウッド社との関わりは途絶えていたし(おまけに社内で設計士を育てるようになっていたので、こちらに来る仕事はますます無かった。)他所から自分に設計依頼が来るような実績もなかった。
無関係な仕事をしようにも、雇ってくれる所はなく、(試しに斡旋所に行ってみたが、ゴブレッティ家なら建築家をしてくれと断られた。)ぼくはいよいよ先祖代々から続くお宝に手をつけていた。
古めかしい装飾家具も、妖しく煌めく宝飾品も、それらは食いつなげる程度には高価だったが、元の値段の何百分の一かで買い叩かれ、質屋に流れていった。
「待ってて、食事を作らせてるわ。その間にクレイト土産を見てって頂戴。珍しい物がたくさんあるの」
「う、うん……」
彼女に手を引かれるがまま従い、ヴィーナスの部屋に初めて入った。
花とも香水とも違う、痺れるような甘い匂いに動悸がしたのも、ほんの一瞬で……、あちこち曲がりくねった部屋の意匠に、空腹のせいか目が回りそうになった。二代目モーリッツの設計だったか、テーブルもチェストもすべてが湾曲している。
「見て、白銀三路で買ったものばかりよ。まずはお帽子にお服に手袋。春用でしょう夏用でしょう、リンカネイ社の角花飾りをいくつか。お気に入りはマリーゴールドなの、秋の勃興祭にまたつけようかと思っているわ。この中で一番よく使うのは日傘ね、フリルがたっぷりついてて可愛いらしいの。傘の先端を外せば武器にもなるわ、護身用に持ち歩いて毎日練習してるの。このオイルランプは時代遅れだけど、柄が綺麗だから買ってしまったわ。小さなトランクは、一見メイクボックスに見えるけど、実はインクボトルのセットなの。ふつうの黒や紺色だけじゃなくて薔薇色や若草色まであるのよ。色によって使い分けたいわね」
「へ、へえ……」
ヴィーナスは土産物をベッドに広げ、一つ一つ解説していった。その間にもベッドボードのスフィンクス像に見られてる気がして、ぼくは落ち着かずに尻尾を揺らした。
「あらやだ、あたくしったら自分の物ばかりね、失礼。貴方にも良いものを買って来たの。お父さまのお式があったから、渡しそびれてしまったわ」
「ぼくにまでありがとう……気になるな」
ヴィーナスは銀色の箱を持ってきた。空気圧でひっつく箱をヨイショと開けると——中には白銀色のローブが入っていた。細かい銀色の刺繍が入ってて、冬の精霊のようだ。幅が狭いぴたりとした服なのに、着てみると吸い付くように体に合った。
「ふ、服? いいのかい……こんな高級そうな」
「よかったわ、ピッタリで! 白銀三路にあるホースリーブ衣装店のよ。仕立て直せるって聞いて、思いきって購入してきたの。直す必要はなさそうね。あたくしがクレイトにいる間、ずっと手紙を送って来てくれたでしょう。嬉しかったの。あまりお返事できなくて申し訳ないなって思ってて、去年の冬が始まる前にお店のディスプレイに飾られていたの。一目であなたに似合うと思って買っちゃ……ロイ?」
気づけば涙を流していた。
「いやだ、どうしたの?」
「君を愛したい」
「愛していいわよ。ようやくこうして一緒にいるじゃない」
「違うんだ、何の悩みもなく、苦しみもなく、枷もなく、お金があって、仕事もあって——……」
「…………そうね」
ヴィーナスは優しく抱きしめてくれた。口づける唇も、芳醇な胸も、今はただただ申し訳なかった。
「いつか事態は好転するわ。アルバート君が説得してくれるのを待ちましょう。彼に代替わりする頃には、レイクウッド社との関係も元に戻るわよ」
「……そんなの、いつになるか……そうだ。いっそトレモロを出た方が良いのかもしれない。それこそノアに仕事の口があるかも……」
「ダメよ、トレモロを出るなんて! どうしたの一体。遺言のことを気にしてるの? 屋敷を爆破しろだなんて無茶な要求、あたくしが実行なんかさせないわ」
「……う、うん。そうだね、それもあるね……」
ぼくはろくに考えられず、疲れたままヴィーナスを抱きしめた。
そして彼女の家のベッドで、スフィンクス像に見守られながら、角と尾と身を絡ませ、互いの体に証を刻んだ。
——こんなのは厭だった。もっと純粋に、情熱的に、恋ができる時にしたかった。
現実の焦りと苦しみが、幻想の愛と恋情を越えてしまった。
21歳のぼくらは上の世代に翻弄されきり、疲れきっていた。
終わった後も、お互いに納得できない想いを抱えて、無言で分かれた。
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330664933778790
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