4 神の吐息は手首を濡らし、聖なる泉は口を潤す

「どこに居るの……」

「どこに居るの、ショーン!! ショーーーン!!!!」

 紅葉は地下倉庫を飛びだした。図書館中を絶叫して駆けずり回り、奥まった本棚の裏や、スパイ小説が詰まったからくり部屋、3階の魔術師のコーナーやゴブレッティ家のコーナーを覗いても、どこにも居なかった。

「どうしよう……どこを探せばいい! どこを探せばいいの!?」

 図書館から出て、辺りを見回した。町は恐ろしいほどいつも通りだ。

 3月22日地曜日、午後6時半。

 仕事勤めが終わって帰宅する者、夜に向けて一杯繰りだす者、あるいは神殿へ地曜日の祈りに訪れる者もいた。

「……どうしよう」

 紅葉が怒りと焦りで立ち尽くしていると、

「おお、町長。おイタワシヤ~。大丈夫デスかああッ」

「えぇ……あたくしは平気、平気だわ……」

「サッ、もうすぐ神殿デスよ! 地父神マルクのお清めをして貰いましょう」

 黒のどでかいギャリバーを、ちっちゃな体躯の秘書ナッティが、ブロブロと慎重に転がしている。

 横のサイドカーには、ヴィーナス町長が縮こまって座っていた。


「ヴィーーーナスッ! あんたの娘、エミリアがっ——」

「……エミリアがどうかしたかしら?」

 青ざめて唇を震わせているヴィーナスを見て、紅葉は己の怒りをグッと鞘に収めた。

「いえ……失礼しました。どうされたんですか」

 つい昨日まで、はちきれんばかりに露わだった彼女の乳房は、今は何があったのか、両腕で押さえつけられ、全身の震えを止めようとしている。

「ふぅ……何も無かったのよ。 “何も起こさずに済んだ” と言った方が正しいかしら……。久々に命の危機を感じたの。……紅葉さんもピンチのようね」

「んモォ~! ジャマしないで下さいマシッ、町長は今から神殿にお清めにゆくのデス! 特別にめちゃくちゃ焚いてもらったんデスッ」

 振り返ると、神殿の煙突から、モウモウと煙が立っている。

「ふふ、あたくしとしたことが情けないわね……これからマルク神のご加護をいただくの。小麦の束で、全身を擦って祓ってもらうのよ。香ばしい匂いで落ち着くわよ」

 サウザスでは聞いたことの無い習慣だった。こんな事態じゃなければ興味はあるが……


「町長——エミリア刑事とショーンが見つからないんです。居場所をご存知ないですか?」

 紅葉は【鋼鉄の大槌】を握りしめて聞いた。

「居場所? さあね、あの子は秘密主義だから……でも自宅の場所を教えてあげるわ。ナッティ、地図を書いてあげて」

 ナッティは自身の体ほどもある大きな手帳から、小さく紙をちぎり、ササッと書きこんだ。

「一応、トランシーバーも持っていきなさい。ナッティ、予備のを貸してあげて」

 紅葉は彼女たちのご厚意を受けながらも、心は別方向に走っていた。

(エミリア刑事は秘密主義……きっと親姉妹にぺらぺら話す人じゃない。ヴィーナスさんも、アンナも、組織との関わりは知らなそう……)

(私が、私が問い詰めなきゃ……! 拷問してでも……吐かせて)

「ハイッ! こちらが地図とトランシーバーです。使い方は分かりマス? 仕様書とダイアル番号は、裏地に入ってるんで確認くださいマセ。腰ベルトがあるんで着けてあげまショ」

「わ、ども……」

「一台2500ドミーもするんですヨ! 後でちゃんと返してクダサイッね」

「に、せんご……は——はいっ!」

 シャボン玉が弾けるように、現実に引き戻された。紅葉は一礼して胴体をひねり、町長たちを振り返ることなく、停めていた木工所のギャリバーに飛び乗り、地図が書かれた場所へ向かった。





 熱気と湿気がサウナ中を包み、もはや物体と気体の境目すら曖昧になっていた。

 かろうじて耐えていたエミリアも、ついに意識を失った。

 ショーンはいち早く昏倒し、全身の力を虚脱させ、脳の活動をほとんど停止していた——が、唯一、右手だけは意識を残し、抜け出そうと神経を集中させていた。

 何も考えず、何も恐れず、ただ縄を緩めるだけの存在になっていた。

 その時、【火の神 ルーマ・リー・クレア】がふいごを踏んで、サウナ室内に炎の息を吹きかけた。暖かくも湿り気を帯びた火神の息吹はぐるりと巡り、ショーンの指先に吹きかかり、その手首をじわりと濡らした。

(…っ、)

 きつい指輪が、ぬるま湯に漬けて外れるように。手首を縛っていた縄が、大量の汗でぬるっと緩んだ。

(今だ——!)

 ショーンは最後の力を振り絞り、できた隙間をこじ開けた。

「………ぬ…ぬ……ぬけ、たっ……!」

 手首が抜けたら、後は早かった。体をよじらせて尻尾を外し、尻尾と手首の力でもって、何とか全身の縄もずらし、左手を完全に開放させた。

「はっ……はっ…………」

 光明が見えた。だが、まだ尻尾と左手が外れただけだ。全身の縄は強固にショーンの動きを封じている。

 サウナ室の片隅に放られていた、サッチェル鞄の所まで這いずり、リュカの短刀を取りだした。一度は汗で手元を滑らせ、左親指の付け根に血が吹きつつも——ついに麻製の縄を切断するのに成功させた!

「よ、よひ……っ!」

 そして硬い革製の口轡をずらして、渇いた喉で呪文を叫んだ。



【聖なる泉は、鹿をうるおし愛をはぐくむ! 《コンクルードの泉》】



 帝都の中心地にある聖なる地、コンクルードの泉を讃えた水源呪文だ。

 ショーンは口の周囲を水色のマナで光らせて解き放ち、その場にゴポゴポオッと水を噴出させた。水は大きな噴水のごとく波を広げ、たちまちサウナ室の中に冷たい泉を作った。

「っ、あ、あひ~……つめたっ、つめた~い。これで何とか……」

 狭いサウナ室内に水が溜まり、今は腰まで浸かっている。気を失っているエミリアの体を、水面上にぐるりと回し、気道を確保した。

「ふぅ……ぎりぎりセーフ」

 ショーンは右手にサッチェル鞄、左手にエミリアの胴体を抱えて安堵した。2人とも皮膚が林檎よりも赤かったけど、かろうじて命はつなぎとめた。後はここから脱出できれば……

「……えっと、どうやって出ればいいんだ?」

 サウナ室はぴっちり四面体。巨大なタイルが敷き詰められ、ドアらしいドアも無ければ、窓もない。

「ここからどうやって出ればいいんだ?」

 水源呪文 《コンクルードの泉》によって湧いた冷たい泉は、サウナによって容赦なく焚かれて、徐々に熱湯になっていく。

「どうしよう、どうしよう……」

 壁を破壊しようにも、ここは神殿……構造はピラミッド……もし壊した先が、極端に分厚い壁だったら……

「…………どうしよう、どうしようっ!!」

 上半身は異常な熱気、下半身は熱湯に晒されている。手からは血がだらだら流れ、エミリアの金髪を赤く染めた。働かない頭でパニックになり、ショーンはただひたすら叫んだ。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330664752539057

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