3 ロイが死ぬまでの話 Ⅷ、そして緋色の光
皇歴4547年の最後。
ぼくはようやく双子の弟・ツァリーを、『失望の部屋』から連れ出すことができた。
去年の大寒波のような事態でも起きない限り、ずっと光の入らない自分の部屋にいた彼は、最初は全身をこわばらせ、廊下を這うように歩いていた。
とりあえず屋敷中を案内したけど、理解したかは不明だった。一番ちゃんと理解してたのは両親の部屋のようだ。両親の広い豪華なベッドをめちゃくちゃに破壊して、全てのシーツを引き裂いていた。
ぼくも一緒になって壊した。もうヤケクソだ。
トレモロ創始者一族にして、天才建築家ゴブレッティ家——
その名前からは現在、考えられないほどお金がなかった。ノアの大騒動により、父に予約が入っていた設計はほとんど白紙撤回され、入るはずだった前金まで無くなった。唯一残った仕事は、クレイト市のレストラン『オニキス』のみ。
あれほど熱心に通っていたノア地区の役人たちは、父が入院したと聞いたとたん、そそくさと地元に帰っていった。文句を言っていた町の人々も、ぱったり屋敷に寄りつかなくなったが、窓や庇は壊れたままだ。
ひもじかった。
ついに質屋を頼る事にした。宝石類や調度品は高く売れそうだったが、先祖代々の物に手を付けるのは、さすがに勇気が出なかった。本なら再度入手できそうだったので、建築関係以外の本をあらかた売り払う事にした。【星の魔術大綱】が一番高く売れた。なんと2000ドミー……20グレスももらえたのだ!
魔術の本なんて使わないし、かなり黒ずんでボロボロだったから、これはだいぶラッキーだった。
美味しい食べ物がたくさん買えたし、暖かくてきれいなコートも買えた。ミルクたっぷりのグラタンを作って、ガツガツ食べた。こんなに具沢山なものを食べた事がなかったツァリーは、大部分を吐き出し、むせていた。
そんな感じで、波乱に満ちた4547年が、まもなく終わろうとしていた。
ツァリーは『失望の部屋』から出た後も、相変わらず暴れてベッドや机を壊していたけれど、設計図や設計道具には何か感ずるものがあるのか、手を出さないでいてくれた。ぼくは心穏やかに建築の勉強を進めつつ、たまにヴィーナスへ愛の手紙を綴った。
去年の寒波よりはマシだったけど、今年の冬もまだ寒い。ノアの役人が残していった大量の書類は、良い焚きつけになった。点火する前につい読みふけってしまい、ツァリーから寒さで絶叫される事もしばしばだった。こういうのって本で読むより、妙に頭に残ったりするものだ。
そういう感じで、冬を過ごした。
翌年1月、雪がはらはらと散るように、父ヴォルフガングは、クレイトの大病院で亡くなった。
「どうしたんですの? お父さま」
「イヤだわ、気を失ってるわ。集中しすぎたせいかしら」
「——はっ」
22年後の、皇歴4570年の世界に再び戻ってきたオリバー・ガッセルは、首を振って回復させた。
彼の目の前には、自分を娘だと言い張るアンナと、口を尖らせ心配している図書館職員ヤドヴィだけ。
同じ木工所の仲間であるマチルダは、一足先に、紅葉へ『隠し部屋』の開け方を説明していた。
「という訳で、ここに隠し部屋の扉があるんですっ。表面はなんと天然スレートを使ってまして、天然石を加工したもので、ここまでピッチリ面を仕上げるにはかなりの加工技術が……」
「いいから早く開けて! ショーンたちが閉じ込められてるかも知れないよ!」
「わーヤダ! そうでしたっ」
マチルダはググっと伸びをして、黒々とした壁面タイルの一つ、通常なら誰も触らなそうな上方の右のタイルを、ぺこっ、と押した。
ゴゴッ……と内部が動く音がする。
マチルダは自分の足裏にグッと力を籠め、壁全体をググっと押した。縦3m、横幅2mほどの黒い壁が、少しばかり奥へ凹み……やがて、小さくカチッと音がした。
「よし、レールに嵌まりました。これでスライドして動かせるようになりましたよっ、けっこう重たいですけど……」
「——大丈夫!」
紅葉は居ても立っても居られず、タイル地の壁をつかみ、右から左へスライドさせると——
そこは、緋色の空間だった。
暗い色で統一された地下倉庫の中で、そこだけがルビーのように明るく輝いていた。緋色の壁紙と絨毯、ガラスケースは金色で縁取られている。ケースの中には緋色のビロードで覆われた『ゴブレッティの設計図』が——収蔵されていたと思われる、凹みだけが残っていた。
「これが、先祖の隠し部屋……ですか」
オリバー設計士は、思わず感嘆の息をついた。
地下倉庫には何度か訪れた事があったが、この部屋の存在は知らなかった。
ケースの中身は残念ながら盗まれた後のようだけれど、黄金のネームプレートだけは残っていた。
プレートに掲載された名前は……【
「ノア?……ノア地区のことか?……」
『トレモロを創設する遥か昔、ゴブレッティの先祖が街の建設に関わっていた。2000年前だか1500年前だか……それくらい昔の話だ』
父の言葉が脳裏によみがえる。この遥か昔に携わった、建設事業の内容だろうか……。
彼が『設計図』を夢中で見つめる一方で、他の女性4名は、床に倒れている人間を見つけ悲鳴をあげていた。
「イヤだわイヤだわ! メリーシープッ、起きてちょうだい!」
「テオドールさぁん!」
「まあ、おふたりともご存命でらっしゃいますの?」
「ショーンはどこ……?」
隠し部屋内で倒れていたのは、図書館司書メリーシープと、木工所職員テオドール。両者ともに意識を失っていたが、息はあった。
「——ショーンはどこーーーーーっ!?」
紅葉の絶叫が木霊した。その声は図書館を抜けて、町を飛び越え、ルクウィドの森まで届きそうだった。
「……はっ、ねえ、アルバ様……まだ息はある?」
ごうごうと熱音が鳴っている。
「………………」
「……は……もう……意識はないか……」
朦朧としたエミリアの群青色の瞳には、ショーンの輪郭がぼんやり映っている。
モヤモヤとしたベージュ色の世界の中で、ただ一つ、ルビー色の赤い光だけが見えていた。
「…あれ…なんだっ……け……あ、……あぁ、あれか……」
木炭職人の集落で、彼が【火の神 ルーマ・リー・クレア】のお守りだと言い張ってた赤い石——彼の頭の右上にある、緋色のターバン留めだけが、煌々とサウナ室内で光っていた。
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