第37章【Scarlet】緋色
1 森でリスを見かけた事はある?
【Scarlet】緋色
[意味]
・鮮やかな濃い赤い色、火の色。
・(緋色)銅器の着色に使われる赤い色。緋銅。
・(Scarlet)性の罪の象徴色、売春。
[補足]
ペルシア語「saqalāt (赤い布)」に由来する。古代日本では、植物のアカネで染めた「明るい赤」を緋色と表した。のちにベニバナで染めた「黄色味のある赤」も緋色と呼ばれるようになり、また銅器の着色技法のひとつである緋色は「黒味のある赤」をしている。すなわち物や時代により異なる顔を見せる赤が「緋色」であると言える。
「うぃっ、12ドミー。おいらの勝ちだ、へへへ」
「そりゃあ無しだべぇ、12もありゃー3日食えるっぺよ」
「ぎゃっはっは、ドミーの次は何を賭けるよ。帽子か? 傘か?」
「思いきってコートにすっべぇ、3月の夜はまだ寒みいっからよぉ——っヒック」
歯の欠けた爺さんたちは、最後の酒瓶をカラにして、空き瓶をルーレットのように回し始めた。
「——相変わらず楽しそうね、カブジ船長」
唐辛子入りの梨ウイスキーを嗜むカブジに、凛とした声の女性が話しかけてきた。
「おンや、ヴィーナス町長。いきなり船長はよしてくださいや、駅長ですぜ。どこかにお出かけで?」
「ええ、ちょっとね。コリン・ウォーターハウスの居場所を知りたいのよ。あなた元ご同僚でしょう。ご存知かしら?」
カブジは海賊船のような帽子を目深にかぶり、ウイスキーに漬け込んだ唐辛子をガリッと齧った。
「……さぁてね、知ってたらとっくに教えてますぜぃ」
3月22日の黄昏の風は、いつもより少し肌寒く、トレモロ駅の構内を駆けていく。
「力になれなくて悪ぃな町長。さ、役場に戻っちくれ。これからキップを買うワケじゃあないんだろ」
「あら残念、ご存知かと思っていたわ。せっかくだし、列車が来るまで少し世間話でもしましょうよ。——あなた森でリスを見かけた事はある?」
ヴィーナスはその場から動かず、カブジ船長に話を振った。
「いんや、森は嫌いなんだ。昔から海に憧れててよ」
ラヴァ州には海がない、内陸の州だ。海へ行くには、東にあるダコタ州か、北のオックス州へ行くしかない。
「そう。あたくしは子供の頃、いつもルクウィドの森で遊んでいたわ。森の手前にある畑で、ピクニックデートをしたの。林檎の木がたくさん生えてたのよ。しょっちゅうリスがやって来て齧っていたわ」
「……あんたのノロケ話に付き合えってのかい、町長さんよ」
後ろにいる爺さんたちはルーレットの手を止め、カウンターに立つ彼らを見つめている。
「その林檎の木はね、ごちそうだったの。森って案外、美味しい食べ物はなかなか生えてないものよ。草食動物だけのご馳走じゃないわ、肉食動物にとってもそうなの。蛇がとぐろを巻いて、よく根元で待っていた。獲物が来るのをね。あたくし達はサンドウィッチを齧りながら、ワクワクして観察していたわ。これほど面白い見世物があるかしら?」
「そりゃーまた、お楽しみなこって」
カブジは不貞腐れて斜めになりながら、ヴィーナス町長を警戒していた。
「そうして、程なくしてリスがやって来たわ。ピョンと草むらにジャンプして、林檎の幹に抱きついたの。蛇はがぶりと嚙みついた。ふさふさの大きな尻尾に! すると尻尾は——スルッと取れてしまったの! リスの本体は一目散に逃げだしたわ。蛇の口に残ったのは、大きく膨らんだ房毛と、こびりついた血と肉片だけ! 凄いでしょう。あたくしの子供時代のなかで、いちばん刺激的な出来事だったわ!」
「……ああ、そうかい……」
熱弁してしまったヴィーナスは、コホンと咳払いし、傘の先でコツンと床を叩いた。
「で、そうそう本題よ。尻尾が切り離された森のリスは、一体どんな見た目になると思う?」
「さぁ……」
「ネズミの尻尾のようになるのよ。毛を剃って綺麗にお手入れをすれば、鼠そっくりの長くてピンク色の尻尾になれるでしょうね。ま、尻尾の骨までひっこ抜いたら、土栗鼠族のように短くなってしまうけど」
「……ほう」
時刻は午後5時50分。もうすぐ夜が始まろうとしていた。
「森栗鼠族の特徴は、ふさふさの尻尾と、もさもさの前髪よ。コリン元駅長もずっと前髪が覆われていた。考えてみればあたくし達、誰もコリンの本当の顔を知らないのよ。昔、駅長時代にお会いした時も、前髪と帽子で覆われていた。カブジ船長、あなたは彼の本当の姿をご存知?」
カブジは応えなかった。あと10分で、次の列車がやって来てしまう。
ホームには数人、クレイトからの列車を待っていた……が、秘書ナッティがホームの柵から身を乗りだし、彼らをこっそり避難させようと、必死で両手を振っていた。
「つまり何が言いたいかというとね、森栗鼠の特徴である尻尾の毛をすべて剃り、前髪を切れば、稀代の犯罪者でも、周囲に溶け込めるんじゃないかしら」
「そうかもしれねぇな、町長。——だけどよう、オレ様はそんな風体のコリンが視界に入った所で、見抜ける気がしねえし、ここにいる爺さん達も分からねえよ」
「ふふ、そうね。ペンチで歯を抜き、唐辛子で頬を赤く染め、酒に酔った浮浪者のふりをしていれば、コリンの特徴である下戸体質の紳士とは、まったく真逆の人物になれる。警察の捜査を切り抜けられるかもしれないわね」
ヴィーナス町長はにっこり笑った。
爺さん達は、空き瓶や農具を手に持ち、戦闘準備をし始めている。
乗客はナッティの誘導で逃げ出し、ホームから全員居なくなっていた。
カブジ船長は、ギチィと布張りの椅子に深く腰かけた。
「……あいにく浮浪者ならそこら中にいる。最近サウザスから逃げてきたガキどもだってそうだ。ここが怪しいと思った理由は?」
「ギャリバーカードの盗難事件があったでしょう。犯人のオパチ・コバチが、司法取引のためにコリンの逃走先を警察に流した。彼はどこからコリンの情報を仕入れたのかしらね」
「さあて、闇市じゃねえか。どっちも後ろ暗い連中だしよう」
「あら、闇市場はあなたも精通しているはずよ、カブジ船長。あなたには借金がある。サウザス北区の賭博場でかなり注いだらしいじゃないの。知っているわよ。神様と税務署は、この世でなんでも知ってるんだから」
ヴィーナスは、ドレスの肩にある大きな膨らみを揺らし、赤い口紅を斜めに持ちあげた。
「そう——ここにいる爺さん達はあなたのお友達じゃない。ラヴァ州の地下深くに根をはる闇市場の回し者よ。駅に居ついているのは、あなたの監視、犯罪の手引き、情報収集の為よね」
3月の夜は思ったよりも肌寒い。寒冷の突風がホームに舞いこみ、皆の肌が粟だった。
「ハッ、……つまりは前から知ってて見逃してたのかい、お優しい女神サマだな」
カブジは観念したような不貞腐れたような、どっちつかずの感情と口調で吐き捨てた。
「まあね、ダコタやファンロンの暗黒組織よりマシですもの。彼らが州内に入ってくる方が厄介になるわ。ラヴァの地下動脈は “歴史ある” 人たちにお任せしましょう」
ヴィーナス町長はスカートを翻し、浮浪者の爺さん達のもとへ振り返った。
「ねえ、あなた達——サウザス事件の犯人・コリンを匿っているなら伝えて。もしトレモロに潜伏しているなら速やかに去り、どこか他所の州へいって欲しいと。ダコタでもファンロンでもオックスでも構わない。ラヴァ州から永久に出てって。そうすれば、トレモロ町長として何もかも見逃すわ。もちろん貴方のこともね、カブジ船長」
「ハン…………ウィスコス峡谷の向こう側が、惨禍にまみれても構わねえってのかい」
「あら、あたくしはそんな冷徹な人間じゃないわよ。心の痛みだってちゃんと覚えるし、毎日祭壇で平和をお祈りしてるわ。言いたいことはそれだけ。じゃあね」
午後6時になり、駅に列車がやって来た。
トレモロに帰郷してきた学生や家族づれ、疲れた企業戦士が降りてくる。
輝くようなレモン色のドレスの町長は、ヒールと傘をコツコツ鳴らしてその場を去った。
爺さん達の中で、ネズミの尻尾持ち、ひときわ背が低く、ぶかぶかの帽子で耳を覆い隠したひとりの爺さんが、深い井戸よりも暗く鋭い眼光で、立ち去るヴィーナスを見つめていた。
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330664177139877
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます