6 ロイが死ぬまでの話 Ⅶ

 皇歴4547年になった。それまでも頻繁だった父ヴォルフガングの咳が、ますます酷くなってきた。母マルグリッドも心療院から戻ってきたが、突然泣きわめくわ、ヒステリックに怒鳴るわで戻ってこない方がマシだった。

 この年、我がゴブレッティ家は、新たな局面を迎える事になった。


『ノア地区で大事業だと……? ゴフッ』

『ええ、ノアではこのたび大規模な都市計画を進行中でして、ぜひゴブレッティ様とレイクウッド様には総監督を務めて頂きたいのです』

『それは栄誉ある仕事だが……ゴホンッ! 協力ではなく監督……? オズワルドは何て言ってる』

『もちろん、オズワルド・レイクウッド様は前向きに考えて下さっています。木工所レイクウッド社の技術と人材、ゴブレッティ家の設計があれば、大成功は間違いなしだと!』

『……だが』

 ノア地区の役人が、新年の挨拶に来てからというもの、彼らはそのままトレモロ町に居座り、日毎に営業攻勢を仕掛けてきた。(役人というより押し売りセールスマンのようだった。)


『どうです? 前向きに考えていただけましたか、ゴブレッティさん』

『あれね、ゴホッ……協力ならできるが、監督などとてもとても……すでに別件の注文も幾つか入っている事だし』

『それらは全て断って頂きたい。こちらの事業に集中してもらえますでしょうか』

『——何だと? ゲホッ』

『無論、お金は支払います』

 いかがでしょう。と、小切手に書かれた数字を提示され……父は思わず顎鬚を掴んで立ちあがった。

 ノア地区は、ラヴァ州で一番金持ちだ。証券取引所があり(証券とは何なのか、ぼくは未だによく分かってない。)産業らしい産業がないのに儲かっているらしい。


『これは……ンホン、しかし、これほどの大事業となると、長期間ノアに滞在せねばならんだろう? あまり長くトレモロを離れるのは……』

『もちろん、ご家族で移住なさってください! お住まいは全て用意致しますし、メイドは何人でもおつけ致します。どんなご用事も指一本で駆けつけますよ!』

 ぼくは父よりも素早く息を呑んだ。——ご家族で?

『い、移住だと?……しかし、この家はトレモロの創始家だ、離れるわけには……』

『——ヴォルフガング様、これはラヴァ州の歴史に残る一大事業ですぞ! ゴブレッティの名がもう1、2段階、世に広まります! 息子さんの為にもいかがです、前向きに考えて頂ければ。とにかく又伺います』

 ギラギラした役人たちは、背後に立っていたぼくを横目で会釈し、去っていった。

 父はそのまま顎鬚を撫でながら、大量の資料を読み込んでいる。その様子からは、是とも否とも分からなかった。


『ど、どうするの……父さん』

 今までの人生ずっと、愛しのヴィーナスがトレモロから飛び出し、戻ってこない事を恐れてきた。まさかこの自分が、トレモロから離れて、ここより都会のノアへ行く日が来ようとは——予想もしていなかった。

『……数年前なら受けたかもしれんが、今は体力が持つ気がしない、もう65だぞ。ゴホッ、オズワルドはまだ57歳だから、やりたがっていたが。グレゴリー町長は、書類をまき散らして大怒りだと……ゴホン、ゴホッ! トレモロ役場の窓から紙をぶちまけたらしい……バカめ』

 咳が止まらぬ父は、ブランデーを一口喉に流した。ぼくも改めて資料を読んだけれど、地区のメインストリートを撤去し、土地の地盤から造成し直す、30年はかかりそうな事業計画だった。


『ふう……ロイ、なぜノア地区がゴブレッティ家に執着するか分かるか?』

『え、わ、分かりません』

『トレモロを創設する遥か昔、ゴブレッティの先祖が街の建設に関わっていた——ゴホゴホッ。2000年前だか1500年前だか……それくらい昔の話だ』

『それは凄い……と、はぁーい、今行きます』

 母さんがランチが欲しいと叫び出し、ぼくは応接室から出て行った。その時、父は何かブツブツ喋っていたが、髭と酒でくぐもった声で、ほんの一言しか聞き取れなかった。


 ——ノアの街の最深部に何かがあるらしい。



 ここまでが、ぼくらの普段の日常。それからが、どん底の始まりだった。

 もう既に酷い状況だったけど、これ以上の混乱があるのかと感心するくらい、めちゃくちゃな状況になってしまった。

『ヴォルフ! これは僥倖だ、歴史を変える転換期になるんだぞ!』

『そんなにやる気があるなら、レイクウッド社だけ行けばいい、オズワルド』

『それじゃあ意味がない、ノア地区はゴブレッティの設計こそ欲しいんだ。我々はおまけに過ぎない!』

『……しかし、私はもう高齢だ。こんな大事業は手に余る、ゴホッ』

『なら途中で息子のロイに引き継げばいいだろう、あと5年くらい頑張ってくれたまえ!!』

『…………いや』

 オズワルド社長はすっかり目を血走らせていた。連日、秘書と職人たちを大量に引き連れ、この事業でいかに収入が上がるか、家族を食わせてやれるか泣き落としにかかって来た。今まで仲良くやってきた木工所の人々が、金に群がる亡者となってしまったのが、父ヴォルフガングの背中にこたえた。


 もちろん、元祖の亡者・グレゴリー町長も、取り巻きを引き連れやってきた。

『ヴォルフガーング! トレモロを出ていく事は許さーん!』

『屋敷から出てけ、グレゴリー。ゴホッゴホッ』

『ゴブレッティ家とレイクウッド家が出て行ったらこの町はどうなる!? 産業がなくなり、浮浪者であふれ、税収が減ってしまうんだぞぉー!!』

『分かっている。分かっているから、出ていってくれっ……』

 彼らはちょうど屋敷にやってきたノアの役人たちに喧嘩をふっかけ、最終的には取っ組み合いになり、野次馬が叫び、警察を呼ぶ事態になってしまった。


 この喧嘩以降、噂は町へたちまち広がり、トレモロ全体が狂乱に陥った。

 創始者3家のうち、ゴブレッティとレイクウッドの2家が、町を出てノアへ移住する——大いなる災いが降ってきたかのように不安は伝播し、それはワンダーベル家の入り婿であるグレゴリー町長のせいだ——という話にまで派生した。

 前例のない、厭な空気が蔓延していた。人々の賞賛が嫉妬に代わり、尊敬が憎悪の念に変わった。創始者3家とも恨まれ、絶えず陰口が叩かれる……そんな異常事態に、母マルグリッドは耐え切れず、クレイトの心療院へ戻っていった。

 屋敷には、毎日ひっきりなしに誰かが訪れ、窮状を叫んでは帰っていく。父は仕事が手につかず常にイライラし、××××も怒りが爆発して、失望の部屋中を暴れまわった。


『——ゴホッ、ゴホゴホッ、ゲホ、ゲホッ』

『おっおっおっ。入院した方がよろしいのでは、ヴォルフ氏よ』

 腹をぱんぱんに膨らませた神官長ボラリスファスが、身を案じて背中をさすった。

『いや……ゲホッ……まだ、仕事が……』

『大丈夫。設計図は病院でも書けますでしょう。ペンと定規を持っていくのです。この環境からいったん離れた方がいい』

『しかし……ガハッ、ゲホゴホッ!』

『おっおっおっ。肺が枯れている音がしますぞ。クレイトの大病院に知人がいます。向こうでゆっくりするのですよっ!』

 胡散臭い肉欲の塊のような神官長ボラリスファスが、初めて頼もしさを見せた瞬間だった。すっかり瘦せ細ってしまった父ヴォルフガングを、背負うようにして、クレイトの大病院まで連れていってくれた。



『……はぁ……』

 皇歴4547年11月。

 両親が居なくなり、あんなに広かったゴブレッティ邸が、がらんどうになった。

 槍もって斧もって抗議しにきた町民たちに投石され、壊れたガラス窓から、すきま風があちこち入ってくる。

『…………さて』

 ぼくは4階の階段をゆっくり上がった。

 踊り場にある燭台を90度回転させて、ブラインドカーテンを逆方向にキイキイ回した。4回まわすと、壁の窪みが徐々に盛り上がり、丸いドアノブが出現してくる。ドアノブをひねって開くと、中から小さな赤い階段が出てきた。

 階段は8段ある。

 トントントントンと、踏みしめて上がり、頑丈な扉をガチャンを開けた。

『ここから出ていいよ、ツァリー』

 同じ顔をした双子の弟は、ギロリとぼくを見つめてきた。

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