5 死んじゃうかもしれないもん

「なぁにい!? この木工所内に、サウザス事件の凶悪犯・コリン駅長が潜んでいるだとぅ!」

「ええ社長。トレモロ警察は、当社が匿っていると睨んでおり、捜査をひそかに進めています」

 木工所『レイクウッド社』の社長宅兼事務所は、にわかに騒ぎになっていた。慌ただしく行き来する秘書たちの出入りを、鹿の木工像が静かに廊下から見守っている。

「社長、これからどうしましょう。警察に全面協力しますか?」

「社長、警察が来る前にコチラで調査するのです! とっ捕まえてやりましょう」

「社長、警察が来たらマズイものがありますぞ。隠蔽しなければなりません!」

 巻鹿族、虹猿族、重犬族の秘書たちが、次々とアルバート社長に進言した。

「ぬぐぅ……わかった、捜査には協力する、だがこちらで調査もするし、隠蔽も進めろ。——くそっ、ショーン様にいち早くご相談しなければ。テオドールと連絡を取れ! こういう時のために帯同させておいたんだ!!」

「それが、社長……ご子息のトランシーバーが応答しません。30分前からかけ続けてますが……」

 昼羊族の秘書が震える声で、アルバート社長に告げた。

「……ひょっとして、行方不明なんじゃないでしょうか」





「テオドールさぁあ~ん、いませんかー!?」

「ショーン! 居ない? メリーシープさんも……」

 3月22日地曜日、午後5時半。

 紅葉たちが苦労してこじ開けた地下倉庫の中は、誰もおらずガランとしていた。

「イヤだわイヤだわ、なんて事でしょう。誰もいないのに、地下倉庫の扉を壊してしまったなんて!」

「いやでも、温泉の匂いが残ってるような……」

 自身もすっかり汗臭くなってしまった紅葉は、自信がなくなってしまった。

「うわー全部『ゴブレッティの設計図』だ、あたし初めて入りましたよ。すごーい、壮観っ!」

「久々ですわ、この倉庫。もう少し活用できないかしら。空間がもったいないわ」

「…………っ」

 一番最後に入ってきた、オリバー・ガッセル設計士が、整然と並ぶ『設計図』に身震いした。1冊1冊の本の表紙に、祖先の亡霊が立ち、睨みつけて襲ってくるようだった。

「……大丈夫ですの? お父さま」

 青白い顔で棒立ちになる彼に、アンナが右手をぎゅっと掴んだ。

「オリバーさ、いえ——ロイさん。あたしたち図書館にある『隠し部屋』が知りたいんです。何か秘密が眠ってるはずなんです。ロイさんなら分かりますか? 教えてください!」

 マチルダも左手をぐっとつかみ、亡者の世界へ入りかけていたロイ・ゴブレッティを引き戻した。



 紅葉が先に『トレモロ図書館』の設計図を探していたが、ここはゴブレッティ歴の長いマチルダが、いの一番に見つけ出した。

「ありました、これでっす! 350番目、14代目ゴードン・ゴブレッティによる『トレモロ図書館』の設計図。この原本になら、館内の隠し部屋がどこにあるか書いてあるはずですっ。ノアの大工事のために盗まれた『設計図』の動向も、分かるかもしれません!」

「ノ、ノアの大工事……ですか? 『設計図』が盗まれたとは?」

「ちょっと、初耳ですわ! どういう事ですの?」

「えっ、えっとぉー」

 ……面倒な事情を、オリバーとアンナに1から説明するハメになってしまった。慌てるマチルダの背後で、紅葉はガラスケースの鍵を破るべく、図書館職員ヤドヴィと相談していた。


「このケースの鍵、どうしたら開きますか? スペアはあります?」

「イヤだわ、予備はありませんのよ。イシュマシュクル館長しかお持ちでないの。1本で全てのケースが開きますけどね」

 ——またあの鍵束か。風呂に入ってる場合じゃなかった、こんな事なら温泉施設『ボルケーノ』で奪っておくべきだったと、紅葉はフゥーとため息をついた。

「じゃあ簡単に開きます? 棒かなにか突っ込めば……」

「そうですわね、これは古い型のレバーロック錠なんですの。中の構造が分かればすぐに開いてしまう単純な作りですわ。セキュリティを考えるならピンタンブラー錠に変えるべきなのですが……これだけ大量のケースがありますもの、予算のケチりましたのね」

 実家が鍵屋であるヤドヴィが、一家言をもって苦言を呈した。

「じゃあ、今朝ショーンが開けた宝箱も、レバーロック錠だったのかな……ガムを鍵穴に突っ込んで、硬化させて開けたんです」

「イヤだわ、ガムですって? まあ古い宝箱でしたら、鍵内部も単純ですし可能ですかも——ヒヤァアア!」

 ——フンヌッ!

 と紅葉は力を込めて、ケースの錠前をぶっ壊した。こんなものに鍵屋を呼んでる暇はない。

 2枚の鉄が合わさってできた、錠前の中には……

「ウソ……ガムが入ってる……」

 奥にピンク色のイチゴパプリカ味——『アライグマ・ソフィアの風船ガム』の滓がこびりついていた。





「いる? アルバ様も風船ガム……」

「んーっ、ンーッ!」

「……食べられないわよね、はは……」

 エミリアは暗い顔で笑い、ピンク色の缶をふって、風船ガムを噛み始めた。

 サウナ内はジットリとした湯気が立ち、膨らんだガムにまで汗が滲んでいるようだった。

「いったいどういう事だ。きみは【Faustusファウストス】の組織の人間なのか、エミリア!」

 ショーンはそう叫んだつもりだったが、モグモゴモゴォーッと、くぐもった声が出てくるだけだった。体だけでも、エミリアの所へ這って行こうとしたが、彼女の右脚の黒ブーツで阻まれた。

 ねえ、これが聞きたいんでしょ、と汗まみれの指で、黒い円環のタトゥーを指し、エミリアが笑った。

「……は……ショーン様……アタシはね、あんたが思うような組織とやらには属してないよ……。ただ、同じモノを入れたかっただけなの」

 エミリアは天を仰いだ。壁を突き抜けて神殿を超え、空を見つめてるようだった。

「そう……アタシが愛した人に」

 元神官長ボラリスファスの秘密のサウナは、濛々と湯気をたて、ショーンとエミリアの肉体と精神を着実に蝕んでいく。2人の体から今まで出たことのない量の汗が、マグマのように噴き出していた。



「 “あの子” とはクレイトの警察学校で出会ったの。寮で一緒だった……ラヴァ州の一番田舎から来て、戸惑ってたアタシに、真っ先に仲良くしてくれた……初めてできた親友だった……恋もした」

 ショーンは、エミリアが身の上話をする間にも、何とか縄を解けないか試行錯誤していた。脚もぐるぐる巻きに固定され、膝を曲げることもままならない。額はエミリアの黒ブーツによって、真鍮眼鏡ごと押さえつけられていた。

「ふふ……出会ったときから、危険な香りがしたのよ。それは分かっていた……でも惹かれてしまったの。尻尾は絹のように滑らかで、雷豹らいひょう族の強引さと蠱惑的な美しさを持っていた……アタシは恋人だと思ってた!……けど、 “あの子” にとっては、ただの肉食動物の獲物だったの。……美味しい餌だったら良いんだけどね、ふふ」

(クソ、口さえ……口さえ開けば、呪文を使えるのに!)

 んーっ、んーっと黒球体の口轡を外そうと顎を床に擦りつけてる間、エミリアによる懺悔を込めた話は続いた。

「 “あの子” は魔術のことに詳しかった。アルバの知り合いも多いって……生まれた時からマナの多量保有者だったのよ。呪文はほとんど使えなかったけどね。できる事といえば、刺青の痛み止めくらい。あれはありがたかった……アハハ。おかげでいっぱい入れちゃった」

 エミリアは自分がいれた刺青を、一つずつ懐かしそうに見ていた。


「 “あの子” は、なんでも教えてくれた。なんでも知ってた……そう、アタシの父親の秘密も、教えてくれるって約束したの……本当の父親が誰なのか、呪文を使えば分かるからって。ありがたい話よね……」

 呟くように首を傾げた表情は、姉のアンナに少し似ていた。

「そんなワケで、あの子の知人であるアルバ様に、実父調査を依頼することになったの。その調査への対価が——『ゴブレッティの秘密の設計図』。……トレモロのどこかにある、ゴブレッティ秘蔵の設計図よ」

「んんーーーーっ!」

 ショーンはがんじがらめに縛られた縄から、かろうじて少し出ていた尻尾を振った。どんどん湯気で視界が曇っていく。

「ハハっ、アタシは人生で2度目の盗みを働いた……警備で倉庫に入ったときに中を調べて……イシュマシュクルから鍵を盗んで……『図書館』の設計図から、隠し部屋の場所を突き止めた……。ふふ……半年もかかっちゃった……。アルバ様は数日で行きついちゃったみたいだけどね」

 エミリアは逆側のブーツをこつこつと鳴らし、恍惚とした表情を浮かべていた。


「……で、隠し部屋の中に入ったら、本当にそこにあったのよ!……ほかの『設計図』はオリーブ色だったけど、その設計図は緋色の表紙だった。あの子に渡す前にチラ見したけど、訳が分からなかった……暗号で書かれていたみたい。……ノアの大工事で使うらしいって……ハッ、何を作るんだかねぇ~、はっ……は」

 どんどん息が上がってくる。2人とも限界に近かった。体中の水分が蒸発し、血液が沸騰して、脈が凝固していく感覚がする。

「あハッ……悪いと思ってるよ。ショーン様——あんたは見かけより遥かに有能だった……もっと警護官の捜査でマゴつくかと思ったのに……まさか速攻で終わらせて、『設計図』の捜査も始めちゃうなんて……さすが本物のアルバ様だよ、権威と能力が違うのね」

「ん、んんーッ」

 エミリアはショーンを褒め讃え、彼の前髪をブーツでぐりぐり踏みまくった。

「——でも “あの子” のジャマはさせないよ。あなたが “あの子” が追っかけ始めたら……」


  死んじゃうかもしれないもん


 エミリアはピンクの風船を膨らましながらそれを呟き、ガムを噛む気力すら無くなって吐き出した。

「ん……んん……っ……んんっっ…………」

「……はっ……だいじょうぶ……アンタを1人でデズ神のもとに送らないよ、ショーン様……ちゃんと責任を取ったげるね……っ。町長ヴィーナス様の娘だもの……武勲をあげなきゃ……っ、あはははっ」

 白い壁で囲まれたサウナの中で、視界も皮膚もすべてが赤くなり、赤い風呂に浸かったように水びたしになっていた。

「大丈夫、大丈夫。ロイ・ゴブレッティが死んだのだって21歳だった! アタシと同い年。父親かどうかは結局分かってないの、人生まで掛けて本当にヴァカみたい!」

 ドクンドクンと心臓が活火山のように鳴っている。命の活動が最後を迎えようとしていた。

「署長にも姉にも町長にも、こんな事を起こして顔向けもできない!

 でもアルバ様をみすみす見逃すわけにはいかない!

 アンタは “あの子” の敵! 【Faustusファウストス】の敵対者!

 アタシは武勲を立ててやるんだ!

  “あの子” の為に! あんたの為にーーー!」

 絶叫の狂声が四角いサウナ室に何度も跳ね返って反響し、もはや最後の言葉はショーンの耳では聞き取れなかった。


「アタシが!一緒に!死んであげるねっ!アルバ様っ!!……アァーハハハハハハハッ!!!!」


「んんんーーーっ!」

 グルグルに縄を巻かれ、生命の危機に瀕しながらも、ショーンは犯人からけして目を離さなかった。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330663263123160

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