4 ロイが死ぬまでの話 Ⅵ
皇歴4546年、10月7日。
トレモロの勃興祭は10月10日から始まる。町の人々は、枯れ枝を曲げてアーチを作り、ドングリや木の実のリースをあちこちに垂らし、祭りの準備に備えていた。
『うおっと!』
つい華やかな町の様子に見とれていたら、ギャリバーに引かれそうになってしまった。馬や自転車に代わる、新しい歩行機械だ。都会では爆発的に流行ってるって聞いたけど、ラヴァ州一番の田舎町・トレモロでも、最近そこそこ見かけるようになってきた。
『あら、ロイじゃない!』
黒びかりするゴツ目のギャリバーに乗り、全身スーツとマスクとゴーグルで隠すように覆っていたのは——なんとヴィーナス・ワンダーベルだった。
『ここっこ、こ、こわいよ、ヴィーナス……っ!』
『良いじゃない、気持ちいでしょう。風を感じるってこういう事なのね! フッフーゥ♪』
気づけばトレモロ町の西、州街道以外は何もない荒野を、爆速で走っていた。
ヴィーナスの手紙を交わしてから、ずっと悩んでいた。出会った時になんて言おう、どんな顔をすべきだろうかと……何度も何度も思考を重ねて、眠れない夜を過ごし、フラれるのか、結ばれるのか、どちらの場合でもなんて言おうか、色んなパターンを考えていたけど……これは想定していない。
ヴィーナスの背中に抱きつき、暖かく柔らかな肉体と甘く芳しい女性の匂いに、呼吸困難になりそうだったけど、ズドォオオンと尻に響く重低音と、皮膚に容赦なく突き刺す寒風、万が一に吹っ飛ばされて地面に叩きつけられる恐怖心で、何も考えられなかった。
『行きたかったトコがあるの、連れてくわよ!』
『は、……はぁい!』
買い物袋をギャリバーの荷台に積んだまま、2人で大地を突っ走った。
『ふぅ……ここよ、トレモロ町が一望できるの! ステキでしょう?』
数十分ほど走り、隆起した大岩が東に張り出した、ちょっとした岩石の丘に連れていかれた。
頂上に立って世界を見下ろすと、確かにカシューナッツ型をしたトレモロ町が一望できる。奥はルクウィドの森が豊かに町を覆い、右手には州鉄道の煙が風に流れていた。
『わぁー、すごいや、絶景だ……祭飾りもよく見える』
『でしょう。州列車の窓から見かけるたびに気になっていたの! ギャリバーで来れて嬉しいわ。親戚があたくしにお給料を出してくれてね、この子を買うまで溜められたのよ。A-18型【グレイス】。内緒にしてね、父がどうせ怒るから。町にいる間は駅で預かってもらう事にするわ』
彼女は黒いヘルメットを重そうに外し、細くきらめく金髪と……夢にまで見た美しい顔が出てきた。
『連れて来てくれてありがとう……きれいだ』
『こちらこそ、貴方と来れて良かったわ、ロイ』
ヴィーナスの顔が夕暮れに照らされ、赤と橙色が鮮やかに混ざったような色をしていた。
ここだ、と思ってキスをした。
柔らかな果実のようだった。辺りにばちばちと熱い激光が瞬いている。
『ヴィーナス、太陽を見るたびに明るい君の笑顔を重ね、満月を見るたびに美しい君の横顔を想う。愛してる、ヴィーナス。愛してる——』
今の自分を鏡で見たら、ルドモンドで最も幸せで、果報者で、情けない顔をしているに違いなかった。……けれど彼女は、なんとも言えない微妙な顔をしていた。
『あたくしは——ごめんなさい……』
……やっぱりだ。愛してもらえるなんて、間違いだったんだ。思わず後ずさりすると、ヴィーナスがぼくの両頬をつかんできた。
『待って、違うのロイ! あたくしは……あたくしは【トレモロを一番に愛してる】——そうなの、人を愛するって苦手なのよ! 言えない秘密ってこれのことなの。ロイのことは嫌いじゃないわ。貴方は誠実な人間だし、信頼もしている。詩を読むところも好ましいの。貴方があたくしを愛してくれて嬉しい、そこは本当よ、でも』
ヴィーナスが背中を丸めて、ぼくの胸に頭をうずめた。彼女がこんな風に、弱みを吐露するのは初めて見たかもしれない。
『い、いったん帰ろう……ね。もう寒いし、暗くなる』
そう言うしかなかった。帰りの道中はろくに覚えていない。何も考えられなかった。
それからヴィーナスは勃興祭の準備に追われており、なかなか声を掛けられず……3日後、トレモロの勃興祭が始まった。
トレモロの勃興祭は、創設者であるワンダーベル家、ゴブレッティ家、レイクウッド家のスピーチからいつも始まる。だが今年はゴブレッティ家——つまり父ヴォルフガングは、仕事と病気を理由に、ゴブレッティ家全体で出席を拒否してしまった。
これはトレモロ勃興祭はじまって以来の大事件で、町長のグレゴリーは、役場前の壇上で延々と嫌味を言い、『ヴィーナスに代われー』『そうだー!』とヤジを飛ばされていた。
ぼくは逃亡犯のように深くローブを被り、ゴブレッティ家の代わりにスピーチする、ヴィーナスの雌姿を見守った。
『皆様、本日は勃興祭です。今年も無事に迎えることができたのは、トレモロの皆様のおかげです。今年は残念ながら大寒波から始まりました。我々は大切な隣人を失ってしまった、心が冷える出来事でした。生き残った者同士、手に手をとって温めましょう。ルクウィドの森に住むリスのように、燃料と保存食をできるだけ蓄え、次の冬に備えるのです。ご先祖様に感謝を、実りある時を過ごしましょう。乾杯!』
人々は大喝采で乾杯した。
黄色いイチョウ色のドレスを身にまとう彼女は、創始者キャロライナの生まれ変わりのようだった。
トレモロを一番に愛してる——その言葉が心にのしかかる。トレモロ “も” 彼女を愛している。
ぼくはその場を後にした。ヴィーナスがこの先、誰かと結婚するのか、それとも本当にトレモロだけを愛するのかは、分からないけど……相手が自分じゃないことは確かだった。
夜中まで続く祭りの喧騒のなか、がらんどうの屋敷で課題をしながら過ごした。ずっと手につかなかった設計図が、何もかも諦めたとたん、かえって進む。日付が変わるまで手を動かしているうちに、うっかり居眠りしてしまった。
『——カツン』『コツーン』『タツッ』
……誰かがクルミを、うちの壁に叩きつけている……? 深夜2時、寝ぼけながら窓を開けると、庭先にヴィーナスが立っていて、一瞬で目が覚めた。
『明日の朝帰るの。それまでに会えて良かったわ。あなたスピーチだけ聞いて帰っちゃうんだもの。看板裏のとこにいるの見てたわよ。話したい事がたくさんあったのに、ずっと居てくれなきゃ困るじゃない』
頬っぺたをむぎゅッと挟まれて、叱られた。
『ご、ごめん……』
『ねえ、まだあたくしを愛してくれているのかしら?』
尻尾の先端がイチョウのようにビィーンと割れた。『も……もちろん』と、崖牛族の尻尾を彼女に絡ます。『君の事を想わない日はないよ、これからもずっと』彼女の腰を抱きしめ、先祖の墓の前で、溶け合うようにキスをした。
それからしばらく埃だらけの納屋に籠もって、尻尾を絡めあい、角を擦りあった。逢瀬という言葉が今までよく分からなかったけど、これが逢瀬なのだと知った。
そろそろ鳥たちが鳴き始め、空が白ばんできた。納屋の隙間から光がともり、彼女の睫毛を輝かせる。
『星の瞬きが去った後も、ここに僅かに残ってる……愛してる、ヴィーナス』
もう100回いったかも分からない告白を、睫毛に口づけながら囁いた。
『ありがとう、ロイ。あたくしは……やっぱりダメね。愛せないわ。あなたの愛を聴いたら心変わりするんじゃないかと願っていたけど、無理なの。どうしても理性が勝つのよ、町のこととか、家のこととか……おかしいでしょう。自分でもイヤなの、あなたに悪いと思ってるわ……』
『それでもいいよ、泣かないで。君には笑顔でいてほしい』
本当にそれでもよかった。この数時間でも、彼女と2人きりで居られたし、
『あのね、『愛してる』って、嘘をつこうと思えばつけるのよ、でも言いたくないの、分かるでしょ』
自信家で正直。そういう所に惹かれていたからだ。愛しく想う気持ちに何一つ変わりがないまま、しばし別れのキスをした。
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330663035841010
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