3 ラランダ、バンダ、跳ねる、跳ねる
3月22日地曜日、昼飯時。
サンドイッチをつまみながら、トレモロ警察は慌ただしい雰囲気に見舞われていた。
「州警察は、何名かすでに町に潜入している。彼らに応援を頼みたい……が」
「ですが、彼らは諜報部の人間です、表に出たがらないでしょう」
「早急に呼ぶとすれば、ダコタとの関所にいる州警察ですよ!」
警官らはゴフ・ロズ警部のもとに集い、口々に提言した。
「しかし、オパチの言うことが本当なら、関所の者はもっと動かせん。サウザスにいる州警察に要請しよう。ブーリン警部もまだ居るはず——」
「ねえ、警部さん。コリンの居場所が分かったって本当? あたくしも町長として聞いておきたいわ」
むさくるしい仕事現場に、我らが麗しの町長ヴィーナス・ワンダーベルと、その第一秘書ナッティが、日傘を差しながら燦然と降臨した。
「ちょーーっと、ガッセルさん。アンタまだ部屋にいたのぉ?」
「えっ、な、なんでしょうか。サラさん」
重犬族のアパート大家、サラおばさんが、設計士オリバー・ガッセルの部屋の扉をたたいた。
「ぼ、ぼくは今日は非番でして……」
「あっそ。昼からアパートのネズミ退治するってお知らせしといたでしょ。駆除剤を地下から屋根までパンパンに焚くから、出てってちょうだい。午後8時までよ、いいわね」
休みの日はいつも部屋に籠もり、愛するヴィーナス (写真)と時を過ごすオリバーだったが……大家からハタキを掛けられるように、追い出されてしまった。
「……よ、夜までなんて、どこに行こう」
木工所は、働く人数が多いぶん、休みの日もまちまちだが、地曜日と森曜日に休みを取るケースが多い。家族といっしょに散策したり、ひとり修行に打ちこんでいたり、湖畔で魚釣りをしたり、日光浴したり、みな思い思いに休日を過ごしていた。
「どうしよう……」
なるべく誰も居ないところへ移動しようと彷徨っていたが、思ったよりどこもかしこも人がいて、世界に入れそうにない。今も
『サウザスのアルバ、ショーン・ターナーです。どうぞ、お近づきの印に……』
『ど、どうも……キャンディーは結構です』
初めて出会ったあの日、お近づきの印を突き返してしまった。悪いことをしたなと思う。あれが運命の分かれ目だったのか、色々な出来事がこの身を襲った。
彼からいろいろ探りを入れられ、ヴィーナス (本物)と社長室で遭遇し、アンナに部屋へ襲撃され、自分がほんとうの父親かどうか聞かれてしまった。
——父親の件は、たまたま秘書ナッティのおかげで誤魔化せたが、次に会ったらきっと逃げられない。
「……なんだって、こんなことに」
アンナが自分を父親だと言い出したのは何故だろう。
あのアルバ様の、魔術的な力で知ったのだろうか。
あの日、彼からちゃんとキャンディーを受け取っておけば、こんな騒動になって無かった……気がする。
「ぼくはまた、選択を間違えたのか……」
オリバーは道端の、腰まで生えている雑草を抜いた。モグモグと細い草を噛みながら、木工所内を彷徨っていた。
『ちょっと良いかしら、何の本をよんでらっしゃるの?』
『……っ!』
心臓が止まりそうになった。森曜日の午後1時。トレモロ図書館の読書室で、ヴィーナス・ワンダーベルが急に話しかけてきた。
『ねえ、毎週この時間に来てるわよね? 話しかけようかなって、いつも思ってたの』
彼女は学校では2つ斜め前の席に座っている。同学年だが、あまり話したことはない。……いや、自分と話す生徒なんて、同学年だろうが別学年だろうが、ほとんど居ないのだ。
『あら、やっぱり。別の本で隠してたのね』
恥ずかしい。建築の本を読んでいたふりをしていたのに。学校で一番優秀な彼女には、簡単に見透かされてしまった。
『ふふふ、楽しい本を読んでたんでしょう。あたくしもよくやるわ、勉強しないとお父さまがうるさいの。でも時には空想の草原を駆けまわることも大事よね』
ヴィーナスは頬杖をつき、楽しそうに尻尾を振って、自分に喋りかけてきた。
『どんな本なの? ——まあ、詩集ね!』
『……み、みないでくれ……』
『タイトルは『アーン・ナン・ムア・ヘー (夏の日差し)』……ふうん。夏の少年少女が避暑地で出会って、ひと夏の恋をする……すべて詩で書かれてるのね』
指まで真っ赤になってしまった。この詩を書いた作者、ハイ・ダン (海灯)の詩に登場する少女は、みなヴィーナスに面影が似ているのだ。本人に知られたら、どうしよう……。
黄色いヒナギク畑、散歩にきた夏の午後
彼女の三つ編みが、揺れる僕の目の前で
ラランダ、バンダ、跳ねる、跳ねる
青空に焼いたトースト、
苺ジャムが頬をかすめた
ラランダ、バンダ、
彼女の尻尾をつかみかける、
咎めて、僕の帽子をつかんだ
ラランダ、バンダ、跳ねる、飛ぶ
麦わら帽子が空へ飛ぶ……
『ステキ! あなた、こういう詩を読むのね!』
ヴィーナスの10歳の小さな笑顔が、頭の中で満たされて、××は幸せな気分になった。
「ラランダ、バンダ……」
昔を思いだし、鼻歌をうたっていたら、いつの間にか木工所を出て、トレモロ市街地まで歩いて来てしまった。これからどうしようか思い直し……
「……やり直そう、選択を」
はるか昔の選択はもうやり直せないが、一番直近の間違いなら、今からでも間に合うはずだ。
サウザスから来たアルバ、ショーン・ターナー氏に対し、改めて非礼を詫び、代わりのお菓子を渡そう。サウザス事件の慰労と、トレモロ町の治安に貢献してくれることに感謝しよう。
そしてできれば、我々のことを嗅ぎまわるのを、辞めてほしいと伝えられたら……これは少し難しいけど。
「……ぼくがこんな事を思いつくなんて」
体は中年になってしまっても、少しは成長しているのだろうか。
ラランダ、バンダ……と歌いながらさらに歩いた。
ラランダ、バンダ、
エプロンドレスが舞っている
ヒナギクの花びらが1枚、1枚
光のソナタのように横切っていく
彼女はこれでコーダと、尻尾でくるっと円を描いた
僕は彼女に尻尾を重ね、シュッと線を十字に切った
ラランダ、バンダ、ラランダ、バンダ
2人きりの舞台だ……
「どこへ行こう……」
菓子折りを買うなら、お菓子屋さんに行かなければ。出不精のオリバーが、かろうじて知っている菓子屋は2店舗。新規開店した『ジョンブリアン菓子店』と、昔ながらの駄菓子屋さん『グッドテイル』だ。
高級菓子『ジョンブリアン』は、開店当時、ヴィーナスが盛んに宣伝していたから場所はよく知っている。だがこんな汚れた作業着姿では非常に入りにくいし、たとえ高級な服を身に着けていたとしても、入るのは気後れしてしまう。
「あそこへ行くか、数十年ぶりに」
引っ込み思案な性格だったとはいえ、子供の頃は人並みに、駄菓子屋へ行くことくらいはあった。当時は、よぼよぼのムロワ婆さんが店当番をしていた。今は娘さんが引き継いでいるらしいが……
「……えっと……あ、ど、どこだっけ」
さすがにあれから30年も経てば、路地裏の様子もあちこち変わっている。しかも、何だか妙に人が多い。
みんなヒソヒソと噂を立て、深刻げな顔をしている……何だろう、何があった? 悪夢を見ているみたいだ。怖い。つい足が速くなってしまった。
「……うわわ、わっ……!」
長年閉じこもり、体がなまっていたオリバー設計士は、慣れない行動と感情に、バランスを崩して道端に倒れてしまった。
「——キャアアーーーッ‼︎」
「だ、大丈夫、セーフ! ひいてないから!」
ギ、ギギ、ギィーッと、鋭い金属音が火花を散らした。
死ぬかと思ったが、ケガはしてない。
わずか3センチほど目の前にある、古くて大型のギャリバーには、なぜか木工所・レイクウッド社のロゴが入っていた。
「わわっ、オリバーさんじゃないですかーっ、どうしてこんなトコにっ」
「ウソ、なにか事件と関係が——!?」
若い女の子たちが頭上でギャーギャー喋っている。土煙で目が痛い。
かくして謎多き男オリバー・ガッセルは、地父神マルクのお導きか、紅葉とマチルダに偶然出会ってしまった。
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