5 ロイが死ぬまでの話 Ⅰ

『ステキ! あなた、こういう詩を読むのね!』


 その夜は眠れなかった。陰鬱たる自分の人生で一番幸福な夜だった。彼女のかわいらしい金髪の三つ編みと、群青色の瞳が忘れられない。ヴィーナスは文字通り、美しい愛の女神なのだ。

 学校では話しかけられなかったが、(彼女はいつも大勢の友人たちに囲まれていた。同学年はもちろん、年上も年下もみんな彼女に夢中だった。)唯一、森曜日の図書館では、ゆったり2人で過ごすことができた。


『ここ、良いわね。日当たりがいいのに誰も来ないわ!』

 迷宮のように入り組んだ図書館で、2階の南南東は、秘密部屋のようだった。難解な専門書の本棚の奥にあり、子供はめったに来ない。大人もなかなか来ないため、勉強と読書に打ち込むにはもってこいの場所なのだ。

 ヴィーナスはあれから頻繁に話しかけてくれるようになった。ぼくは他の生徒に見られるのが嫌で、(からかわれるのが恥ずかしかったのと、本音を言えば彼女を独占したかったからだ。)図書館中を探し回り、このとっておきの部屋を見つけた。図書館はいい場所だ。家は××××がいるから、集中しづらいからね。

 森曜日の昼過ぎ、4人がけのテーブルに向き合って座り、おのおの勉強を進めつつも、悶然とした人生の悩みを話しあった。


『それでね、15歳になったら、クレイトの高等学校に行こうと思うの。本当は帝都を目指したいんだけど、さすがに敷居が高いし、合格しないと思うのよね』

『き……君ならいけるよ……』

『そうかしらねえ、そうだわロイはどうするの? クレイト高等学校にも建築科があるわよね』

『い、いや、たぶん……家で修行することになる』

 まだ12歳なのに、もう家のことを考えなければならない。設計を学ぶことは好きだったが、はたして自分が、天才建築家一族の名に連なる人物になれるだろうか。

『まあ、おうちで修行なんて大変ね! あたくしなんて、早く家を出たくて仕方ないわ! お父さまから一刻もはやく離れたいの』

『……そうなんだ』

 彼女の父……グレゴリー町長は、トレモロ町で誰もが知る横暴な人間だった。なぜ町長に就いているのか分からなかったし、前まで町長とは粗暴な人物がなるものだとすら思っていた。しかし、隣地区のカルマ町長は、温厚篤実な性格で町中から尊敬されていると知り、現在の疑念が高まった。

『やだいけない、もう4時。そろそろ帰らなくちゃ。楽しい時間はあっという間ね』

 今日ここに来たのは昼の1時半。勉強しながらおしゃべりすると、時の神リビチスは容赦なく回転していく。ぼくはぐっと息をのんで、緊張しながら彼女にいった。


『……ヴぃ、ヴィーナス……来週は、お、お昼をいっしょに食べないか?』


 告白のようなものだった。

『あら、いいわよ。ランチボックスを作ってもらうわ。どこにする?』

『ええと……る、ルクウィドの森で……もちろん、森の奥じゃなくて、畑のそばとかで……』

『じゃあジャリッスさん家の裏手がいいわ。リンゴの木があるの。ステキなのよ!』

 彼女はまるで女友達とでも行くかのように、想像よりはるかに気軽に応じてくれた。ぼくは緊張が破裂して、風船がしなびたかのような脱力を覚えた。

『本当はレイクウッド社の湖に行ってみたいのだけどね。ボートがあって、ピクニックが出来るんですって! 変てこな灯台もあるっていうじゃない、こないだアルバートくんが教えてくれたの。でもオズワルドさんが父と喧嘩し始めちゃって、続きを聞きそびれたわ』

 ヴィーナスは急に肘をついて不満を呟いた。怒った顔もとても綺麗だ。

『えっと……レイクウッド社の湖の灯台には、たしか水鳥とおじさんの像がくっついてるんだ。写真があるから持っていくよ。……金曜日にあった君んちの晩餐会の話だよね。ぼくの父上もその場にいたよ……議論ばかりしてて晩餐が進まなかったって』

『そうね、みんなちょおーっと仲がわるいみたいよね。だいたいお父さまのせいだけど』

 ふぅーと、肘をついたまま溜め息をついた。悩む顔もまた美しかった。



 それから月日が過ぎた。彼女は高等学校の進学にむけて勉強と準備で忙しくなり、ぼくに情をかけてくれる場合では無くなった。ぼくはぼくで、父から次々に課題を要求され、先祖の設計図を読み解き、知識を吸収するのに忙しかった。

 父ヴォルフガングと母マルグリッドの体調が日に日に悪くなっており、(それは主に心労面からだった。)××××の世話も難しくなっていた。秘書のフレデリックとぼくが主な世話係になった。こういう時、昔メイドだったライラックが居てくれたらすごく助かるのに。ライラックは子供の世話が得手だから、××××の扱いも上手かったんだ。

 ××××のことは嫌いじゃないけど、意思疎通ができないし、でも顔も性格もぼくにそっくりだから、自分の嫌な部分を見ているようで辛いんだ。

 あまりにも辛い夜は、(本当は辛い夜じゃなくても毎晩だけど。)ヴィーナスの写真を見つめながら眠る。この写真はトレモロ雑誌の表紙を飾ったものだ。ヴィーナスは美しい上に、次期町長の期待をかけられているらしい。きっとトレモロ創始者のひとり・キャロライナのような、立派な町長になるだろう。

 もしそうなったら、

『ぼくにはもう手が届かない……』

 いや、最初から手が届かない存在だった。同じ崖牛族で、同じ創始者一家の生まれとはいえ、人間的魅力に大きく欠けていたぼくに、子供のころ少しだけ仲良くしてもらえたのは、本当に奇跡的なことだったのだ。


 ヴィーナスを愛している。


 でも、自分が彼女にふさわしい男性だとはとうてい思えなかった。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330659996525945

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