6 みんな大好きお風呂回

 温泉施設『ボルケーノ』——のVIPルーム

 4階丸ごと使ったお偉いさん専用部屋には、くつろげるソファにベンチ、冷えた酒とミルクコーヒーが楽しめるバーカウンターに、金箔が貼られた便所、竹細工の涼しげな簡易ベッドに、檜をふんだんに使った内風呂、そして溶岩洞を彷彿とさせる露天風呂がある。

 露天風呂は少々建物から張り出した所にあり、左手には緑の絨毯のようなルクウィドの森が、右手には草原色をしたファンロン州の山々が、中央に蛇行したウィスコス峡谷、峡谷の果てにはダコタ州の街並みが広がっている。

 使用料金は当然のことながらお高くて——イシュマシュクルは、この絶景の湯で寛いでいたところを確保された。



「眺めのいい場所ですね。毎週この時間に利用されてるんですか?」

 テオドールは、トクトクとシダワインを優しく注いだ。

「ええ、まあ、小生のユイイツの贅沢ですので!」

「お金もかかるでしょう。図書館長と神官長を兼任とはいえ、町は財政難と聞いてますが……そんなにお給料が?」

 ショーンは酒は好きじゃなかったが、警戒を解くために付き合いで飲んだ。

「ヌゥ……まあ、副業があるのですよ、副業が。小生ほど優秀な頭脳があればね……」

「それって、古書の転売ですか? そんなに儲けがでるもんですか」

 ——まさか、それで『設計図』も転売したのだろうか……『マジリコ通販』は魔術書専門、アルバ御用達の本屋だ。もしやイシュマシュクルはロンゾ経由で 、【Fsの組織】とも繋がっている……?


 ショーンの懸念をよそに、イシュマシュクルが語り出した。

「ふふ、愛好家ほど初版本を欲しがり、一般人ほど新品を欲しがる……。一般のご家庭から古い初版本を譲り受け、最新版を献上するのです。そして愛好家に高値で売る、これは序の口」

 ワインをガブガブ飲み、気持ちよくなっている。

「また、出版社ごとに散らばってる同一作者の本をかき集めて、全集セット化するのです。これで売値がグッと上がりますな……」

 だんだん饒舌になってきた。シダワインを注ぐ速度が速くなる。

「民族や地域によって、人気の本は大きく異なります。誰だって、自分と同じ出自の主人公や、作者が活躍していれば嬉しいもの……リサーチ力が問われるのですよ、リサーチ力が……ふふ」

「はあ」

 副業……というより、もはや本業の、古書販売のちゃんとしたテクニックを教えてくれた。

 ショーンとテオドールは、お互いに目を合わせた。これ以上、自慢話を聞いてるヒマはない。

「そんなに情報網がおありなら、サウザス事件の犯人や、『ゴブレッティの設計図』の行方に心当たりはないですか? 例えば……ノア地区の大富豪・キアーヌシュ氏との関係は?」

 この反応ですべて決めよう。

 ショーンは固唾を飲んで、イシュマシュクルの答えを待った。





「ふぁー、気持ちいいですねえぇぇ〜。泡になっちゃうううっ」

「ホントだねええぇ〜」

 翠色の温泉に、赤泥色の火山を模した壁、モウモウと漂う湯気に、ココンと時おり鳴る桶の音、昨日まで野心と闘志に燃えていた紅葉とマチルダは、風呂の魔力にすべてを忘れて、すっかり身も心も委ねていた。

 温泉施設『ボルケーノ』は、風呂以外にも、様々なリラクゼーションを展開している。なかでもプロの美洗師に、背中や尻尾を洗ってもらい、髪を切ったり毛を剃ったり、何でも頼めるのが一番人気のサービスだ。

 紅葉も自分の長い黒髪を、美洗師のお姉さまに洗ってもらい、(もちろん金はショーンが払う)、マチルダは巨大な毛ブラシを持ったおばちゃんに、背中から尻尾まで全身をゴシゴシ擦ってもらった。


「あぁ〜ん、おフロに入る時間が後15分しかないっ! 1時間後なんて言わなきゃよかったですよ〜」

「そうだねえ、でもVIP室にも露天風呂があるんでしょ? そっちにも入ればよくない」

「そうだっ、上にもおフロがあったんだ! こ、混浴ですよっ、混浴!」

 マチルダは入浴前の脱衣所で、フリフリと土栗鼠族の尻尾を振った。

「…………混浴したいの?」

「えーやだぁ、テオドールさんと混浴したいだなんて、そんなハシタナイこと言えないですよ〜! 昨日の今日じゃないですかぁ、ああ〜ちょっと、ドゥえっへへ……」

 マチルダがひとり鼻息あらく欲情してる横で、紅葉は冷めた目で浴場へ入った。



 1階の大浴場は、大量の木材が敷かれ、あちこちにある黒溶岩を模した大石の間から、お湯がこんこんと湧き出ており、巨大湯殿に洗い場、打たせ湯、蒸し湯に行き渡っている。

「——アラ、あなたたち、見ない顔ね。ライラック夫人の子供たちかしら?」

 巨大湯殿の温泉に浸かっていると、急に近所のオバさんに声を掛けられた。

「えっ、違いま——」

「ヤダ、違うわよ! この子、アルバ様のお付きの子でしょ? 写真で見たことあるわ‼︎」

「あっ……じゃあ、あの10年前のサウザス駅の……?」

「そう! アタシちょっと詳しいのよ。ウチの旦那なんて、わざわざサウザス新聞まで取り寄せたんだから!」

「そういえば、トレモロに来てるんですってね。エミリアちゃんが付きっきりでアルバ様と捜査してるって聞いたわ。今日は彼女いないのかしら?」

「やーだ、エミリアちゃんなんてあんなにいっぱい刺青入ってるじゃない! こんなとこ来にくいでしょう、一度も会ったことないわよ」

「ええ、ワタシここで何回か見たわよ、アンナ様のほうが見ないわよ、あの子ってばヴィーナス様よりお高く止まっちゃって!」

 オバさんたち特有の、こちらに話しかけてるのか、自分たちが勝手に会話してるのか、よく分からない状況に巻き込まれ——紅葉とマチルダは肩をすくめた。


「むー、そういえばエミリア刑事さん、どうしてるんでしょうね〜。朝は警察署でお見かけしなかったですっ」

「そうだねえ、今日どうするか予定を話し合わないまま、こっちに4人で来ちゃったし……」

「カンカンに怒ってたらどうしようっ」

 紅葉は、昨夜エミリアと2人きりで会話したことを思い出した。連日の出来事と、モウモウと立ち込める湯気のせいで、もう何を喋ったか記憶は朧げだ……。

 その時、ワタワタと大浴場の扉がひらき、さっきマチルダを施術してくれた美洗師のおばちゃんが、常連さんに向かって叫んだ。

「ねえ、聞いた⁉︎ さっきそこの菓子屋さんで大捕物ですって!」

「まあ、どうしたの。強盗かしら? 『ジョンブリアン菓子店』で?」

「違うわよ、『グッド・テイル』よ、アロナさんとこの! 何チャラカードがどうのこうのって、エミリアちゃんが大活躍ですってよー!」

 紅葉とマチルダは驚いて見つめ合い——すぐに湯殿から立ち上がった。

 


「キッ……キアーヌシュぅううう! あ、あの哀れな老人ですかな! 何の商才もなく、教養もなく、たまたま偶然キンバリー社の真向かいに住んでただけで大金を手にした……! ダマされて富豪になってしまった、ロクに文字も読めなそうな……見栄と教養だけが取り柄の金持ち連中と、金の亡者どもに取り囲まっれて、可哀想に、んはあはははっ……‼︎」

 イシュマシュクルはンハハハハハ、と狂ったようにふんぞり笑ったあげく、ザブンと湯船にひっくり返った。ワインのせいで、ザリガニのように茹だっている。

 ショーンとテオドールは苦労して引き揚げて、タオルで水気を取り、竹製のベッドに寝かせ……彼は夏休みの午後を過ごす少年のように、グッスリと眠っていた。

「これからどうしますか。ショーン様」

「いいや、面倒だから寝かせておこう。鍵の束だけ借りていく。ここへ来る前、マチルダが図書館の隠し部屋を見つけるには、図書館自体の『ゴブレッティの設計図』を調べることだ。って言ってたんだ」

 だいぶ変に遠回りしてしまったが、ショーンとマチルダの目当ては、元からイシュマシュクルよりも、その『設計図』だった。

「ああ、14代目ゴードン設計の、『トレモロ図書館の設計図』ですか! なるほど、それなら確かに……じゃあ今から図書館の地下倉庫へ……館長なしで入れます?」

「分からない……鍵があれば何とかして入れるかもしれない。行ってみよう」

 見栄と教養だけが取り柄の、金の亡者をその場に残し、ショーンとテオドールはVIP室から立ち去った。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330658629780306

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