3 白く太った猫おじさん
ヌヌッと、黒いオシリス神の彫像が、ドアの両側から生えていた。
「あの人らしいや……」
イシュマシュクルの部屋は、彼のイメージと寸分違わず、金と黒でキンキラキンに構成されていた。
まずはピラミッドの斜面側の壁、一面が本棚になっており、本の間を縫うように彫像や金製品、エジプトの神像が飾られている。
右奥にある大量のフリンジ付き天蓋ベッドの周囲には、大小様々な壺と陶器がびっしり置かれ、異様な雰囲気を醸し出していた。
左奥には馬鹿でかいウォッシュスタンド(色はもちろん金色だ)。刺繍入りのタオルはもちろん、身だしなみを整えるハサミや櫛、化粧水に薬瓶などがジャラジャラとカトラリーのように飾られている。
右手前には石油ストーヴが置かれ、暖を取りながら、クッションが積まれた絨毯の上で、じっくり本を読み思索に耽るスペースがある。
そして窓から見て左手前……ここが書斎だ。壁全面が本棚になっており、今ではめったに見ることのない古びた巻物がたくさん収蔵されている。中央には立派なビューローデスクが備え付けられ、机の上はガラス張りの棚になっており、中には写真、証書、トロフィーなどが飾られていた。
「う〜むっ、この棚の中が怪しいですねっ!」
マチルダが、個人情報の塊であろう、机の上部にある棚をガバッとつかんだ。幸い鍵はかかっておらず、すぐに開いて中身を漁れた。
「むー、お偉いさんの写真がいっぱい! ウチのシャッチョもいますよ!」
「ちゃんと元に戻せるようにしとけよ、マチルダ!」
「おっ、警察署長サンも写ってますねぇ〜、前の神官長サンもいますっ!」
「ねえ……ここにも何か入ってないかな」
紅葉は、部屋の左角に鎮座している、大きなトランクに目をつけた。アーチ型の上半分に、長方体の立派な下半分、見た目は海賊船の宝箱のようだ。宝箱にはもちろん……
「うわ、鍵がかかってる。おっきい」
鍵はイシュマシュクルが持っている、例の鍵束のうちの一本だろうか。大きな錠前だ、ここは呪文を使って開けてもいい……が、
「そうだ…………ガムを使おう!」
ショーンはおもむろに、昨日買った『ソフィアの風船ガム』を3粒取りだし、白色ミルクバター味をクチャクチャさせて、急いで口の中で柔らかくした。
「ええっ、何してんの! ガムなんか入れたら、開かなくなっちゃうよ?」
「大丈夫ッ!」
ショーンは鍵穴にガムを押しこめ、ミチミチに詰め、キュッと小動物を包むような手つきで、呪文を唱えた。
【ダイヤモンドは屈しない! 《ソリディファイ》】
硬化呪文 《ソリディファイ》。
その名の通り、ダイヤモンドなみに物質をガチガチに硬化させる呪文だ。高温で燃えるダイヤモンドが、灰すら残さず消えていくように、長時間はもたないが、マナ消費は最小で済むため、こういう時は役に立つ。
ガッチガチに硬くなったガムを、グリっと回すと……!
「開いた!」
きちんと鍵として機能してくれた。
「すごいじゃん、ショーン。いっそ怪盗に転職したら?」
「いいから冗談いってないで、早く中身を確認して……!」
ここには絶対、イシュマシュクルの秘密が入ってる。
血のように赤い布地が張られた、金ピカの宝箱の内部には——
「本だ」
「ホンダね」
本しかなかった。古くて高価そうだが、事件とまったく関係なさそうな、ごくフツウの専門書や小説本が10数冊ほど入っていた。
「ふーむ、『皇暦年代別 シュタット州法律大全』『魅惑のクッキーレシピ』『或るトカゲメイド嬢の情熱』……きわめて “重要な証拠” になりそーだね」
「クソっ、おかしいな」
ゴソゴソと宝箱の奥に手を突っこんでいると……ショーンは、クシャッと妙な感触を皮膚に感じた。
「見ろ、本の間に封筒が……ッ!」
「しっつれいしまーす。マジリコ通販でー……んんにゃっ⁉︎」
その時、不在のはずの私室ドアが開かれ、太った円猫族のおじさんが現れた。
「ぎゃーーっ!」
「ンニャーッ! ユーたち、ドロボウですかな⁉︎ ——んんっ、待てよ、貴方は⁉︎」
それはショーンも見覚えがある人物だった。サウザスに住んでいた頃、月に一度は顔を合わせ、本や雑誌を頼んでいた。
「おっほっほ、お久しぶりですなあ、ショーン様。トレモロにいらっしゃるとは聞いてましたが、まさかこんな場所でお会いするとは……」
アルバ御用達、魔術書専門の『マジリコ通販』。その有能なる配達員のなかでも、とりわけ敏腕なラヴァ州担当の販売員——白猫のロンゾだった。
「ロンゾ! 頼む、通報だけはしないでくれ! 今ちょうど【帝国調査隊】の捜査中なんだ! ほら、知ってるだろ? サウザス事件のっ!」
サウザス時代の旧知の登場に、ショーンも早口で対応した。
ロンゾはフムッ、と白い楕円形のお腹をふくらませ、マチルダと紅葉をじぃーっとにらみ、荒らされたビューローの本棚と、開けてしまった宝箱を交互に見つめ……ゴロゴロと、むずかしそうに喉を鳴らした。
「ま、ミーも商売人の端くれですから、取引先の “ご活躍” にはたしょー目をつむりますがね」
バチンと細い片方の目をつぶり、大福餅みたいなウインクを飛ばした。
「ただねえ……イシュマシュクル先生は、ショーン様のような若ゾーより、ずっとずっと長ぁーく懇意にしてる仲でしてね、分かりますかね?」
「……ああ、うん」
まさかイシュマシュクルとこんな接点があったとは……。しかもどうやら彼と彼は同類らしい。ロンゾの猫撫で声を聞くたび、むず痒くなる背中を、猿の尻尾でぐるぐる払った。
「んま、さすがにミーも警察には言いませんがね、センセイにはちゃんとご報告を——」
「あの……どうして『マジリコ通販』さんが、ここにいらしてるんですか? まさか……イシュマシュクルも……呪文を、使える……?」
黒い【鋼鉄の大槌】を構えた紅葉が、白い息を吐いて、ロンゾに詰め寄った。
その場に強烈な磁場が発生した気がした。ロンゾは猫のヒゲをビビン! と揺らして、彼女がまとう怒りの空気を読み取った。
「ままま……まさか! 先生は古書販売のスペシャリストでしてね、相場をよーっくご存じなんですよ、へへ……ミーたちも、センセイには頭が上がらなくって! ヘーシャ、魔術書以外のフツーの本も取り扱ってますし、毎月こうして鑑定のご相談にあがってるわけなんです。あ、もちろんショーン様にも頭が上がりませんよッ!」
急に営業販売員らしく、ヘコヘコと両手を丸めて揉みはじめた。
「ご相談ってホントか? 部屋の鍵を勝手にあけて?」
「フンヌッ、もちろんです。へーシャは置き配も承っておりますので! さぁ失礼、ちょっと通りますよッ」
置き配とは……家の外に配達するものだと思っていたが……
ロンゾはここの鍵を2本、カチカチ見せつけながら、んふふっと背骨を曲げて部屋の奥に入ってきた。背負っていた木の籠から、分厚い本の束を取り出し——ショーンがせっかく呪文で開けた、宝箱の中身を入れ替えてしまった。
「見てください、この美文! あーどんな数字が出るか楽しみだッ、グフフ」
そして、先ほどショーンが見つけた謎の封筒を、ペチペチと肉球で見せつけてきた。真っ赤なインクで『マジリコ通販 ロンゾ殿』と、象形文字のような筆体で書かれている。
「待て、何か怪しい本はないのか? 例えば、魔術書とか……禁書とかさ」
「タッハッハ、ききき禁書ッ、まっさっかっ! この中に魔術書は一冊もござぁません! ヘーシャで鑑定を依頼した一般書籍ですので、怪しい本なぞあるワケなしっ。センセイもさすがに魔術関係はご専門ガイですからねっ!」
敏腕販売員は宝箱に鍵をかけ、フンムッと威張った。
てことは、イシュマシュクルは魔術師ではないし、呪文に詳しくもない……でいいのだろうか。いまいち信用できないが。
自分の仕事を終えたロンゾは、ニャゴニャゴと喉を鳴らし、部屋から去ろうとした。
「待ってくれ、イシュマシュクルに会いたいんだ! 今どこにいるか知らないか?」
ショーンは、10ドミー札をグッと白猫の手に握らせた。
「ふーんぬ、ミーのクチからは何も言えやせんが、……先ほどから臭いますね、ショーン様」
「にっ、匂い?」
ショーンは焦って肘の匂いを嗅いだ。ロンゾは目をいっそう細くさせ、頬のヒゲをヒクヒクさせる。
「オフロに入ってはいかがでしょう。近くに良い温泉がありますよ。そう、たまには思いっきり高いコースで楽しむのです……そんでタマでも洗って……ウんッニャッ、ニャニャニャッ」
自分のジョークに自分でウケて、白く太った猫おじさんは、神殿から去っていった。
「……近所の温泉って知ってる? マチルダ」
「はい、温泉施設『ボルケーノ』だと思います。駅の向こう側にありますよっ」
「私がトレモロに来てから通っていたお風呂屋さんじゃん! いいお湯だよ」
「思いっきり高いコースってなんだ?」
「えーと、たしか『ボルケーノ』には、VIP専用の露天風呂があるんですよぉ。町の有力者じゃないと、入れないってウワサです!」
マチルダが写真立てをふりふり振りながら説明した。
「…………なるほど」
そこにイシュマシュクルがいるに違いない。いつの間にか硬化が解けた風船ガムが、ショーンの手のひらにべっとりくっついていた。
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330658149296236
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