2 女スパイ・マチルダ

 トレモロ神殿——

 【森の神様】と【地の神様】の2柱を主軸としている神殿だ。町の西南西にあり、すぐ隣にトレモロ図書館がある。

 トレモロでは珍しくレンガ作りの建物で、6代目のゴブレッティ、ザラードの設計だ。ピラミッドを彷彿とさせる巨大な台形のかたちをしており、高さは一応3階立てだが、実際の階数以上に大きく見える。

 建物底部に敷かれた黄橙のレンガは、【地の神 マルク・コエン】の慈悲深さと豊穣を表しており、台形の頂に上がるにつれ、レンガの間に蔦がうねるように施されたカラフルなモザイクタイルは、【森の神 ミフォ・エスタ】の知恵と生命力を示している。


「神殿内に自宅ねえ……ずいぶん住みやすそうだな。匂いもぜんぜん無いし」

 ショーンはぐーっと伸びをして、ピラミッドから何本か生える、いっこうに煙を出す気配のない長い煙突たちを観察していた。

 【火の神 ルーマ・リー・クレア】を第一信奉神とする、サウザスや木炭職人の神殿とは違い、ここでは常時火を焚き、死者を燃やして灰にすることはない。

 トレモロの墓は土葬だ。



「ショーンさん、知ってます? トレモロのお葬式って、レイクウッド社の大工たちが、ぜーんぶ執り行うんですよ。あたし、ここへ来てはじめて知ってビックリしました」

 マチルダは木棺を組み立て、墓を掘るようなポーズをした。テオドールは埋葬し、神に祈る様子を軽くジェスチャーしてみる。

「……えっ、何だそれ……神殿の役割は? 神官と神官長は?……サウザスじゃいつだって葬儀のために待機してるのに」

 まさか、たった一つ隣の町でもここまで風習が異なっているとは。思ってもみない所でカルチャーショックを受けた。

「お金を払えば、健康やら成就やらお祈りしてくれますけど……高額のね、誰も払いませんよ……葬儀も婚礼も行いません。逆に、サウザスはぜんぶ神殿で行ってくださるとか……マチルダに聞いて初めて知りました」

「そうそう結婚式もですっ! 専用の式場が別のトコにあるんですよ! 銀の神官もそこに常駐してるんです、神殿では行えません!」

 むがーっと、恋に憧れる少女は、納得できずに手足を振り回した。

「えっと、じゃあ……トレモロ神殿って何のためにあるの?」

 激昂するマチルダに、紅葉がおそるおそる聞いた。

 春の鳥たちがピュイピュイと、ガゼボの上でさえずっている。

 日課の祈りにきた、信心深そうな腰の曲がった婆さんが、小汚い若者集団をジロリとにらみ、神殿内に入っていった。



「…………ゴブレッティが生きてた頃は、新作の設計と建設が行われるたび、儀式を執り行っていました。地堀式、上棟式、竣工式……安全祈願、達成祈願、その他もろもろ。よその町の建築には、毎回帯同して祈祷して、ツアーの主催までしていたとか。ゴブレッティにかこつけて、裏で相当荒稼ぎしていたようです。……僕も生まれる前の話なので、また聞きですがね」

 ふぅーっとテオドールがため息をつき、苦々しく過去の遺物を見つめた。

「町民の生活に根ざした宗教活動は、何一つ行ってません。ゴブレッティが没落してから、神官長の権威も失墜……町長やレイクウッド社とも揉めていて、長らくその席が不在でした」

「イシュマシュクルは『請われて請われて仕方なく』って言ってた。いったい誰が斡旋したんだろう?」

「さぁ……」

 テオドールとショーンが腕を組むなか、マチルダが工具から長いロープを引き出し始めた。ガチャガチャと金属音を鳴らしている。

「……何してるんだ? マチルダ」

「決まってるじゃないですか!」

 ロープを腰に巻きつけ、安全装置をガッチャンと取りつけた。

「侵入ですよ、侵入っ! イシュマシュクルの謎を突き止めましょう!」

 追う相手が、トレモロ図書館の設計図から、すっかりイシュマシュクルという人物単体にシフトしてしまっていたが——正義感に燃えるマチルダの言葉で、ショーンは深く考えずに頷いた。



 3月22日地曜日、時刻は午前10時。

 朝とランチに挟まれた、ちょうどもどかしい時間帯。

 ショーン一行は、テオドールに神殿の裏手に誘導された。もうこの辺りは町外れで、西側を振り向くと、ぽつぽつと民家と畑があるだけだ。

 イシュマシュクルの自宅がある背面側は、西日であるにも関わらず、斜めの台形に燦々と陽光が照りつけ、等間隔に取りつけられた楕円型の窓に振り注いでいる。

「へー、神殿裏には窓があるんだ。表側には無かったのに。ますます住みやすそうだな」

「私室は3階の中央の窓になります……が、本当にやるんですか?」

「もっちろんですよ、行っきましょう!」

 鼻息荒く、なぜか持っていた登山道具、ハーケンを取りだすマチルダに、ショーンは待ったをかけた。むやみに神殿壁面を傷つけるわけにはいかない。


「いったん構造を確認しよう。ここから窓まで何mある?」

「確か神殿の高さは……14mです。屋上が20m、底部は48mあります。台形の角度は確か45度で……ええと、あとは」

 トレモロ中の建物知識を父から仕込まれたテオドールが、幼少期の製図の記憶を引っぱり出した。

「てことは三角形が√2だから——斜面の長さは約19.6mか。マチルダ、窓の長さを教えてくれ!」

 ショーンはマチルダの方を向いて聞いた。ピラミッドの壁面に、窓は3階分、等間隔についている。

「縦の長さなら90cmですよーっ!」

 マチルダは巻き尺をビュンビュン伸ばし、1階にある窓の身幅を測った。

「……じゃ一番上の窓までは……えー窓のない部分が4.225mだから…………14.475m! 約15mあれば充分か」

 ショーンは羊の角をぐるぐるさせて、ピラミッド斜面にある3階窓までの長さを計算しきった。紅葉は終始、宇宙人を見るような目で背後から見ている。

 再度脳内でマナを計算し終えたアルバ様は、トレモロ町で使うのは初めての呪文を披露した。

 


【恐れるな! 人生は針山より容易い。 《ディー・レトゥングハリネズミデスナーデルキッセンレスキュー》】



 登山呪文 《ナーデルキッセン》。

 荒針鼠あらはりねずみ族であり、登山家としても有名な呪術家、シュテファン・フーバーバーグが考案した呪文である。

 岩壁を登るときに使う登山道具、ハーケンをその場で生み出し、壁に打ちこむ。マナでできたハーケン 《ナーデルキッセン》は、壁面を傷つけることなく、数日で消えて跡にも残らない。

 ショーンは、約15mの斜面に、1メートル間隔で14本の針を打ちこんだ。

「ふおおーっ、これなら楽に登れます!」

 マチルダはロープを垂らしながら、巨人のまち針のようなナーデルキッセンをつかんで軽快に登っていき、目的の窓までたどり着いて合図を送った。ショーンと紅葉も、マチルダのロープをつたって登り……

「私はここで見張ってます」

 テオドールは心配そうに、崖下から3人を見守っていた。

 スパイ活動に夢中なショーンたちは、《単純移動呪文》で鍵を開け、図書館長かつ神官長・イシュマシュクルの私室に滑りこんでいった。

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