トレモロ建築家一族の謎 ③事件の究明編
第33章【Pyramid】ピラミッド
1 ゴブレッティが生きてれば
【Pyramid】ピラミッド
[意味]
・石やレンガを積み上げた巨大な四角錐の建造物。金字塔。
・ピラミッドの形をした尖塔状の物体。
・少数の支配的人間を頂点とし、階層の下に行くほど仕える人数が増えていく組織構造。
[補足]
ギリシャ語「pyramis (三角形の小麦のパン)」あるいは、エジプト語「pr-m-ws (ピラミッドの高さを表す言葉)」に由来するとされ、真の語源ははっきりしない。建築物としてのピラミッドは、古代エジプトの王族墳墓や、古代メキシコの神殿など世界各地に点在し、現代においてもなお輝きを放っている。組織としてのピラミッドは、世界各地に無数に存在する、巨大な墳墓のような構造である。
「ねえ、お母さま。ゴブレッティが生きてた頃ってどんな感じだったのかしら?」
満月の夜。
ワンダーベル邸の、スフィンクスの形をした大ベッドで、エミリアが本を読みながら聞いてきた。今日学校で配られた、トレモロの町史について書かれた本だ。
「あらエミリアったら。いつもより勉強熱心じゃないの、珍しいのね」
あぐらをかいて本を覗きこむ妹エミリアの隣で、姉のアンナはすました様子で櫛で髪をとかしている。
「ん〜? そうねえ」
猫脚つきのルームチェアで、マッサージをしていたヴィーナスは、ゆっくりと娘たちの方へ振り向いた。雲のような羽毛の球体をつけた棒で、全身をこすって疲れを落としている。
「ゴブレッティ家は3、4年に一度、新作を作っていてねー。みんな出来上がりを楽しみにしていたの。一番盛りあがる話題のひとつだったのよ」
「まあ、楽しみに? ……そんなに?」
アンナはピンとこずに首をひねった。エミリアは母の話に耳を傾けつつも、本に載っている色鮮やかな建築写真から目を離さなかった。
「ええ。どんなデザインなのか、コンセプトなのか……色や形、ギミックなんかが、毎月少しずつ新聞のインタビューで明かされててね。町の人みんなで完成図をあれこれ想像して噂するの! 懐かしいわねえ」
「……へぇ」
エミリアはやっと群青色の瞳を上げて、母の顔をみた。ヴィーナスは窓辺で、ネグリジェを翻して踊るように回想している。
「そんなにウワサが? 建築で? まるで映画やお芝居が来たときみたいだわ!」
今はじめて当時の様子を知ったアンナは、驚いて胡桃色の目を見開いた。
「ええ、それがこの町の娯楽だったの。完成した時はもうお祭り騒ぎよ! 朝刊に設計図と写真がズラッと詳しく載ってね、記念の絵葉書や切手が出たの。神殿に集まってお披露目会して、役所の広場で祝杯あげて、現地まで観覧ツアーもあったんだから! それで帝都まで見に行ったこともあるのよ! 楽しかったわ!」
うふふふふ、とヴィーナスはその場で少女のようにクルクル回った。
アンナも母に釣られて足と尻尾をパタパタさせる。
ひとつも体験したことのないエミリアは、ぐっと顔を曇らせ、低い声で呟いた。
「じゃあ、今も……ロイ・ゴブレッティが生きてれば、同じことができたのかしら……」
「それは——どうかしらね。カレに才能があれば、味わえたかもね」
ゴブレッティ最後の一人の名前を聞いたヴィーナスは、踊りを止め、含みのある笑みを浮かべた。
「……才能、無かったの……?」
「分からないわ。カレの設計の腕前は知らない。ずっとお勉強はしてたのよ? でも建物を作る前に亡くなってしまった……残念よね」
彼女は娘たちから顔を背け、時計を見た。「もう寝る時間ね」と、ヴィーナスはランプをひねり、部屋の明かりを落としていった。
「——どんな人だったの。ロイって」
エミリアは背中をすぼめて母に質問した。ヴィーナスに本を優しく取りあげられ、スフィンクスのベッドに寝かされる。
「ロイ? そうねぇ、よく覚えてないの……いつも臆病で、何かにビクビクしてて……ま、雄牛らしさはあまり無かったわね」
ヴィーナスは垂れ下がった大きな牛の耳をかしげた。ゆるりと編んだ金髪に、紺碧の瞳が光る。
「でも、とっても、かわいらしい人よ」
ランプを完全に消し、あたりは完全に暗闇の世界になった。毛布の暖かさと、母と姉の体温だけが感じられる。
「……さ、もう寝なさい」
眠りにつくための香水を、シュッと、アンナとエミリアに吹きかけ、親子3人でベッドに眠った。
「起きてください、ショーンさぁああああん!」
「わあああっ!」
長い悪夢から目が覚めたら、一面マチルダのそばかすだった。
「こんな所にいたなんて、もぉおお探しちゃったじゃないですか! 今から図書館に行きますよっ」
「あぁ……ああぁ……」
彼女のそばかすが星座に見える。小さな牛たちがショーンの頭の周りを回っていた。夢うつつなままブルブル頭を振って辺りを見回すと、
(ここは……トレモロ警察署の……仮眠室か?)
思いっきりヨダレを垂らしているのに気づいた。特訓のせいで汗まみれで、ツンとする臭いが漂っている。
「さあさあっ! トレモロ図書館の『設計図』を調べる必要があります、隠し部屋が見つかって、盗難の謎が解けるかもです! 館長さんに交渉しないと!」
「わ、分かった、わかったってば……」
完全に意味を理解する前に、マチルダに仮眠室からしょっ引かれた。
「あたし、分かったんです。盗まれた『設計図』は、図書館の隠し部屋内にあったんじゃないかって。だから地下倉庫を探しても、何も紛失してなかったんですよ。犯人は隠し部屋の存在を知ってて、そこから『設計図』を盗み出し、ノアの大工事に流したんです。きっとそうですっ!」
「……うん、うん……」
マチルダはいつも以上に腰の工具をジャラジャラさせて、警察署の廊下をデカい声で闊歩していた。すっかり名探偵シェリンフォード・ホルムばりの顔つきになっている。昨日、彼女から情報をあれこれ聞き出したのは、ショーンの方だったのに……。
今や立場が逆転したアルバ様は、マチルダから雑巾のように引っ張られ、警察署の玄関までやって来た。テオドールがなにやら何枚も書類にサインしている。
「おはようございます。ショーン様」
「………おはよ」
紅葉が【鋼鉄の大槌】に寄りかかり、むすっとベンチで座っていた。ショーンと同じ、修羅場明けのような顔つきをしている。
「おはよう、2人とも。調子はどうだ?」
「絶好調です!」
「良いわけないじゃん、もぉ〜、お風呂に入りたいー……っ」
紅葉の喉を絞めつけるような泣き言から、トレモロ6日目、午前8時半。
3月22日地曜日の朝が始まった。
「イシュマシュクル図書館長ならおりませんわ。この曜日の時間はいつも、神殿の深部でお祈りしてらっしゃいますの」
夜山羊族のメリーシープが、図書館司書の制服をクイっと仰け反らせた。
神殿は、図書館のすぐ隣にある。4人はぞろぞろと移動した。
「イシュマシュクル神官長ならおりませんわ。この曜日の時間はいつも、図書館倉庫にお籠もりしてらっしゃいますの」
昼羊族のモリーゴートが、神官職員の制服をクイっと仰け反らせた。
「……えっ」
似たような山羊と羊に復唱され、ショーンの真鍮眼鏡が3ミリズレる。
「どういうこと……?」
イシュマシュクルが居ないと、図書館の地下倉庫には入れない。
「——やっぱり!」
混乱するショーンと紅葉の横で、名探偵マチルダがパチンと指を弾いた。
「どうなってるんだ、どっちの建物にも居ないってことか?」
「それより、どっちの職員にも言い訳してるってのがヤバいよ。いつも同じ時間に出かけてるってことでしょ」
「やっぱりあの館長アヤしいですっ! あれは絶対に犯人ですよ!」
4人はぞろぞろといったん神殿の外に出た。
神殿と図書館の間にはちょっとした小休憩空間——蔦に巻かれたガゼボがあり、そこでヒソヒソと作戦会議を開始した。
「結局どこに居るんだろう。自宅かな?」
「いえ、イシュマシュクル氏は神殿内に私邸があります。彼が神官長になったとき、弊社のほうで神殿の奥を内装工事したんです。それはもう、ゴー☆ジャスな……」
「いつの話だ?」
「えっと……確か6年前ですね」
テオドールが指を折って確かめた。
「うーっうーっ、あたし、あの人ず〜っと胡散臭いと思ってたんです! 図書館長が神官長の座に納まるだなんてヘンな話ですよっ! 『設計図』を盗んだのはアイツですっ! これを足がかりに、トレモロ征服計画を立ててるに違いありませんっ!」
「…………征服計画?」
ショーンはボロボロの服のまま、神殿のほうをグッと見つめた。
トレモロ神殿は、古代エジプト王の墓・ピラミッドのように、ラヴァ州辺境の地にそそり立っていた。
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330657712031717
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