6 恋する名推理
時刻は午後11時。長かった3月21日火曜日がいよいよ終わりに近づいている。
「……ふぅ、よし」
ショーンは息を整え、本物の電信機の前に座った。
そして覚えたての暗号表を脳内に浮かべ、人差し指に力をこめてキーを押した。
『——お久しぶりです。フランシス様』
『ああ、ショーン。元気そうだな、そろそろ手首を吹っ飛ばされていないかね?』
『無事ですよ、目玉は潰れそうになりましたが』
ジョークだってちゃんと飛ばせる……かろうじて。額から湯気を出しながら、脳みそをチカチカさせて会話を続けた。
『夜遅くまでご苦労だった。昨日までの成果は、トレモロ警察から郵便で届いたよ。今日起きた報告はあるかな?』
『はい、かなりの収穫が——』
木炭職人と接触し、彼らの仲間を通じてルクウィドの森一帯の情報を得られるよう、交渉成功させたと報告した。
『ほう、本当に君が? 素晴らしい偉勲を立てたな! さすがはターナー夫妻の一人息子だ』
フランシスは珍しく褒めてくれたが、後半の言葉で尻尾がションとなった。無駄な会話をしている余裕は一つもないのに。
『……他にもご報告があります。ヴィーナス町長についてです』
『フフ、彼女はなかなか手強いだろう。紹介状は得られそうか?』
『はい。ゴブレッティの設計図の盗難事件が起きたらしく、それを解決しろと』
ショーンは得られた情報を、かいつまんでフランシスに話し始めた。
ゴブレッティの設計図が盗まれたらしいこと。収蔵された図書館の地下倉庫には、盗まれた形跡はなかったこと。狙いは原本にしかない『隠し部屋』の情報だと思われること。盗難を指示したのは、ノアの大工事の発起人である大富豪・キアーヌシュの可能性が高いこと——
『……フム、何とも雲をつかむような話だな。盗まれた事すら未確定とはね』
『ええ……すべては調査中です』
『トレモロは町の上層部がいがみ合ってるらしいじゃないか。権力争いの線は?』
『火種はあります。ヴィーナス町長は、アルバート社長が実行犯だと睨んでましたが……僕は、犯人は別にいると思ってます』
『誰だ?』
『分かりません、調査を続けます』
『いいだろう、健闘を祈る——』
トン、と電信が終了した。
やった……やったぞ……すべて暗号で会話をやり遂げた。
ショーンの脳はすっかり、ドロドロの白いクリーム状になり、そのまま床に昏倒して眠ってしまった。
紅葉もまた、留置所で不貞寝していた。
2人は、夕飯を食べることも風呂に浴びることも忘れ、深い眠りの海へと落ちていった。
「——あれ、誰かいるのかい? ……マチルダ、なんだ来てたのか!」
「テオドールさん。お疲れさまでーす。ふふふ、来てましたー」
レイクウッド社、社長の自宅兼事務所。その地下には、膨大な本が収められた資料室がある。社員なら誰でも利用可能だが、勤務時間外に訪れる者はほとんどいない。
寝巻き姿のテオドールが、風呂上がりのついでに寄ったら——普段着のままのマチルダが、資料室の隅で明かりを点けていた。
「テオドールさんも遅くまでオベンキョですか?」
「いや、本を借りに来ただけで……ずっとここに居たのか? もう少しで12時だよ」
「ええっ、やだもう、調査に夢中になっちゃって!」
三つ編みをクシャクシャにさせるマチルダの周りには、隠し部屋にまつわる本が散乱していた。『驚くべき建築術 ゴブレッティの秘密』『建築トリック、設計ギミック』『ザ・ニンジャ カラクリ屋敷』『隠された失望の部屋 その恐怖と真実』『スパイ発見! 暴かれた部屋の謎』『素人でも作れる隠し部屋』……
「昼間、ショーンさんが隠し部屋について聞いてきたじゃないですか。何か具体的な作り方や設置場所がわかれば、ヒントになるかもーって」
「それでこんなに……成果はあったのかい?」
「そうですねえ、ゴブレッティに関係する隠し部屋は、この本だけなんですけど……」
マチルダは『驚くべき建築術 ゴブレッティの秘密』を手に取った。茶色く黄ばんでしまった本は、どのページもペリペリとへばりついている。
「古いでしょう。この本は75年前に書かれた本なんですが、ゴブレッティ側の猛抗議にあって、すぐに絶版しちゃったみたいです。20年後に出た『建築トリック、設計ギミック』にそう書いてありました」
「抗議って……実際の隠し部屋を紹介したのか?」
「ええ。も〜スゴイですよ、本棚や鏡が開く単純なタイプじゃないんです! 柱に見せかけた秘密階段で屋根裏と地下を繋げたり、レンガの大きさを徐々に変えて本当の階数を錯覚させたり、屋根を回転させて別の部屋を出現させたり、階段数を変えて秘密の部屋を作ったり……土台レベルで大掛かりなものが載ってます!」
マチルダが興奮して紹介した絶版書『ゴブレッティの秘密』には、詳しい設計図まで載っていた。帝都や州都にある豪邸や会社など、現存してる建物も多数ある。
「こんなの機密レベルの情報じゃないか……まさか出版されてたなんて」
「引いちゃいますよね〜。でも、こっちの『建築トリック』も同じくらいの規模感ですよ。ぜんぶ建築家シルバー・ガッセルが考案したのですけどっ」
「シルバー・ガッセル……ガッセル家か。ゴブレッティの分家の?」
「ええ……だから、まー、これもゴブレッティの知識ですよ。も〜ヒドイなあ」
他人んちのお家騒動を垣間見てしまい、マチルダが厭そうに三つ編みをフリフリ揺らした。
ポンポンポーンと、社長室の鹿時計が、3月22日地曜日の始まりを告げる。
深夜の資料室の床には、2人の長い影が伸びていた。
「こんな本がウチにあったとは……もっと勉強しておけばよかったな」
テオドールは、貴重な絶版本をペラペラめくる。
「そうですねえ。ゴブレッティ家には申し訳ないけど……情報が残ってるのは嬉しいですよっ。一族が亡くなったことで、多くの大切な知識が失われましたから。そりゃあ、機密情報との兼ね合いはありますけどぉ……こうして知れるなんてありがた——ハクッシィ!」
テオドールは自分の暖かなローブを脱ぎ、冷たい地下室にずっといたマチルダの背中に掛けた。
「そうだね……昔から、知識は秘密裏にされてきた。家族だけに口伝で教えて……レイクウッド社もそうだ。今でもお気に入りの職人だけ集めて、こっそり教えることもある」
「ええっ、そんな〜。あたしはもっと知りたいですよっ!」
マチルダは、彼のローブをギュッと握りこみ、テオドールとの距離を縮めた。大きな背中に、小さな自分の身体を寄せる。
「うん。知識は共有して広めたほうが、文化は発達するし、世の中のためになる……それには、今ここで得られる知識も、もっと勉強しないとな……自分は貪欲さに欠けていたかもしれない」
レイクウッドの後継者であるテオドールは、今回のことがあってから、少しばかり元気が足りない……たまらなくなったマチルダは、尊敬する先輩の右腕を強く握って、あわあわ叫んだ。
「て、テオドールさんは凄いトコいっぱいありますよ! いつも優しく新人の面倒見てくれてますし! 森の民と交渉した時だって、とっても頼もしかったです! 一緒にがんばりましょう‼︎」
「…………ありがとう、マチルダ」
テオドールは静かに笑い、同じ土栗鼠族である彼女を抱き寄せ……、マチルダのおでこにそっとキスした。
「ふあぁ、あっ……あはっ、はっ」
深夜2時。マチルダはその晩、フワフワしたまま自室のベッドに入った。
小さな尻尾をフリフリさせて、瞳をランランに光らせ興奮していた。
(あーっあーっ、どうしよう、眠れないーーーっ)
(そうそう、難しいことを考えよう、設計図だ!)
(ショーンさんの調査によると、設計図は盗まれてない……でも盗まれたコトになってる……なんで?)
(あっ『隠し部屋』の中にあったんじゃない? そこに秘密の設計図があって、それが盗まれたんだ! やだ、そうじゃん! 早く気づきなよ〜もう!)
恋する名推理に、頬が紅潮し、鼻息がフンフン荒くなった。
(図書館の中の『隠し部屋』かぁ……どこにあるんだろう。どうやって見つければいい?)
(あのヘンな館長は知ってても教えてくれないだろうし……ウーン、ウーン)
(ショーンさんが脅せば教えてくれるかなあ。でも館長自身も知らなかったら?)
(やっぱりここはあたしが自力で見つけなきゃ。そうだよ、一流の木工職人を目指すんだから! それぐらい自力でね! う~ん、でも一体どうやって……)
マチルダは尻尾をプロペラのように回しながら、グリグリ寝返りをうち————突然ガバッと飛び起きた。
「そうか、原本! 『トレモロ図書館』の原本から探せばいいんだ!」
地下倉庫に眠る375冊の『ゴブレッティの設計図』——
そのうちの350冊目『トレモロ図書館』に、隠し部屋が書いてある。
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330656587921372
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