2 森と木工と最果ての地 トレモロ

「————ショーン、起きてショーン!」

 紅葉に揺さぶられ、ハッと覚醒した。未だサウザスにいる気分だったが……宿屋『カルカジオ』の1階酒場だった。テーブルにはチコリーのシチューに、人参ピクルス、オーツ麦のパン、ファンロン産の橙柚とうゆず茶。全部ショーンの食べかけだ。

「あれ、僕どれくらい寝てた?」

「30分くらいかな。寝るなら部屋で休みなよ」

「あぁうん……紅葉は?」

「私はもう食べ終わったから。これからギャリバーを修理屋さんに預けてくる。その後は近所のお風呂屋さんに行ってー、知ってる? 温泉が出るんだって!」

「……へぇ」

 カルカジオの酒場には楽器を弾けるステージがない。その代わりレコード音楽がかかっているが……太鼓の音が聴けないと調子が狂う。

「気をつけて……気をつけてね」

「うん、私にはこの子があるから!」

 紅葉は【鋼鉄の大槌】をギュッと握り、酒場から出ていった。残されたショーンはぼんやりと冷えたシチューを口に運び、トレモロ1日目の夜を終えた。





 トレモロ地区トレモロ町。

 ラヴァ州・東の最果て、州鉄道の終着地点。かろうじて町と呼ばれているが、規模としては村に近い。周りをオックス州、ダコタ州、ファンロン州に囲まれた辺境町であり、流れ者が最後に行き着く場所でもある。

「おはよう、アルバ様。んじゃ約束通りトレモロ町の案内するね。つっても大して説明する事もないけどさ……」

 3月18日森曜日、トレモロ2日目の早朝7時半。

 ショーンと紅葉は眠そうな瞳で、街道の隅っこに座りこみ、エミリア刑事の講習を受けていた。

「この町は上から見ると、カシューナッツの形をしてるんだ。右側がぷくっと膨らんでて、左側がすぼんでるヤツ」

 彼女は靴の先で、ガリガリと地面にナッツの絵を描いてみせた。

「ナッツの真ん中を縦に割った道が『トレモロ通り』、真ん中を横に通る道が『州街道』よ」

 現在ショーンたちは町のど真ん中——『トレモロ通り』と『州街道』の交わる位置にいる。本来なら町で一番混み合うはずの場所だが、トレモロ町民の人影はまばらで、皆のんびりと歩いていた。



「『トレモロ通り』の道沿いに、お店や市場、レストラン、警察署、宿屋なんかがある……立派なお宅もね」

 大建築家であるゴブレッティ邸、歴代町長を務めるワンダーベル邸も、トレモロ通りの一等地にある。早朝、道すがら見てきた町長宅は、それはそれは豪華な木工作りの邸宅だった。

「そんで、外周はほとんど民家。ナッツの皮部分だね」

 エミリアは、ぐりぐりと靴の爪先でナッツをなぞった。「皮が一番おいしいからね」と紅葉が笑った。

「……で、町の南西部は役場があって、図書館とか神殿とか、比較的大きめな施設があるかな。南東部は昔ながらの家が多くて、狭い家屋がゴチャゴチャしてる」

 彼女はナッツの下部3分の2を塗りつぶした。上部3分の1の面積が、まるまる残ってる。

「ここ! 町の北が『木工所』。北の一帯をレイクウッド社が支配しているの。そんで木工所のさらに北に、ルクウィドの森がある」

 レイクウッド社は、リュカの妹マチルダが働いているとこだ。残り3分の1が一気に塗りつぶされ、「広すぎるだろ……」とショーンは思わず呟いた。

「んで、町の一番南に『州鉄道』。昨日行ったトレモロ駅がある。駅から南はウィスコス峡谷。ここまでOK?」

 ショーンは眠気覚ましのマジョラムキャンディーを齧りながら頷いた。南に駅があるのはサウザスと同じ位置取りだ。



「フゥー、最後があっち」とエミリア刑事が右手を示した。

「町の東に、州街道の最終地点、ダコタ州との『関所』がある」

「セキショ……あそこが、ラヴァ州の突きあたり……?」

 紅葉が目を凝らして、関所を見つめた。

 遠くに赤茶色のレンガ塀が視認できる。周辺は、ラヴァ州警察とダコタ州警察が双方から見張っており、警備は固い。ショーンは過去に2度ほど通過したことがあるが……

「紅葉は、利用した事ある? 関所を」

 あそこをダコタ州側から通った記憶があれば、ラヴァ州の住民じゃない可能性が高い。

「……さぁ、分かんない。覚えてないよ……」

 10年前以前の記憶のない紅葉は、寂しそうに頭を振った。

「——ちょっと、コッチの話に戻ってもいい?」

「すみません! えーと、サウザス事件以降、関所に変わった事はあります? 不審な人物が通過したとか……」

「チッ、あったらとっくに報告してる、そんなん無いわよ。もちろん警備は増強してる」

 エミリア刑事はイライラと大地を踏みしめた。

「……じゃあ、ダコタ州民とは、よく交流されてるんですか? たとえば、定期的に買い物市があるとか」

 ダコタ州民が自由に出入りできてたら、その隙に乗じる事も考えられる。ファンロン州との交流が盛んなコンベイ街を思い浮かべて、ショーンは聞いたが……

「いいえ、それも無い。昔から関所には近づくなと教えられてるの。無用な争いは避けたいからね」

 と、エミリアはトレモロ町民しか存ぜぬ事情を教えてくれた。

「……あまり仲はよろしくないようで」

「当たり前——ダコタ州だけじゃない、全部敵よ。オックス州もファンロン州も……ラヴァ州ですら信用できない」

 彼女が苦々しく漏らした吐息からは、辺境地の警察にしか理解できぬ苦労を感じた。



 エミリア刑事は、地面に書いたナッツの絵を消し、風船ガムをパンと鳴らした。今日のガムは水色だ。

「そいじゃ、さっそくルクウィドの森へ——の前に、木工所にお伺い立てないとね」

「おっと、そうだ、僕も挨拶したかったんだ。知り合いがそこで働いてて……」

 ショーンは自分のサッチェル鞄を持ち直して、立ち上がろうとした。

 木工所『レイクウッド社』。ルクウィドの森から切り出した丸太を加工して、木材や建築物を作っている。トレモロ創成期からある会社で、この町一番の主要産業である。現社長は土栗鼠族のアルバート・レイクウッド。

「用心しなよ、アルバ様。……ルクウィドの森じゃあ、コッチの常識は役に立たない。彼らの方が警察だから」

 それを聞いたショーンは中腰のまま固まった。

 紅葉は【鋼鉄の大槌】をグッと握り、先にスクッと立ち上がる。

「——最後に、トレモロの異名は知ってる? 『森と木工と最果ての地』だよ」

 エミリアが町のちょうど中央に立ち、面倒くさそうにアルバ様に説明し終えた。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330651346689712

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る