第26章【Tremolo】トレモロ
1 幼馴染と酒場で最後で最高の夜
【Tremolo】トレモロ
[意味]
・振動、揺らぎ
・単一もしくは複数の音を、交互に小刻みに刻む演奏法。
・ルドモンド大陸、ラヴァ州最東部にある地区の名称。
[補足]
「この地をトレモロと名づける事とする!」そう宣言したボルトムンド・レイクウッドが、意気揚々と黄緑色の旗を立てた。「あら、どういう意味かしら」と、キャロライナ・ワンダーベルが首を傾げる。「昨晩、私の屋敷に吟遊詩人が来てね。彼が得意とする奏法だそうだ」ディートリヒ・ゴブレッティが顎髭を撫でつけそう答えた。「いいだろう、ピンと来たんだ!」彼らはガッハハと笑い、かくしてこの土地はトレモロとなった。 書籍『ラヴァ州 最後の開拓地』より
『というわけでさ、初任務でトレモロに行くことになった』
3月16日水曜日、出立前日の夜。
ショーンは酒場ラタ・タッタのいつもの席で、幼馴染のリュカに告げた。
『おめでとう、いよいよ冒険の始まりだな』
リュカは景気よくショーンにお茶を注いだ。彼のおごりのファンロン産の松黄茶だ。温かな湯呑みの中で、花びらが少し開き始めている。
ダンダンダン、タッタッタ……♪
水曜の酒場は本来休みだが、爆破事件でしばらく休業した分、今日は特別に営業している。大広間には客がボチボチ集まっており、舞台では太鼓隊の演奏が始まっていた。
『まだ冒険ってほどじゃ……隣町だし』
『トレモロだろ? マチルダに連絡をとってやるよ。案内してくれるはずだ』
リュカの2歳年下の妹・マチルダ。高等学校を卒業した後、大工を目指して隣町に越して行った。現在はトレモロで一番大きな木工所、レイクウッド社で見習いとして働いている。
『協力はありがたいけど……あんまり巻き込みたくないな。一応、犯人を追ってる身だし』
『平気さ、レイクウッド社の奴らは勇猛果敢な大工たちだ。あの強さはサウザスの鉱夫にも引けを取らないぜ』
リュカは、赤スグリワインを飲んで笑った。
ドン、ドドドド、ドンドンドン……♪
紅葉のソロパートが始まり、ショーンとリュカは舞台を見下ろした。
今日は、紅葉最後の演奏の日だ。周りの常連客には知らせていない。一般の客で知っているのは、1階で飲んでる警備員のアントンとマルセルくらいだ。
『…………ハッ、ハッ!』
紅葉が少し汗ばみながらバチを振るう。彼女愛用の太鼓は、5年前にショーンの両親からプレゼントされたものだ。グレキス産の太鼓の胴体には『鉄と赤土と太鼓の町 サウザス』と装飾文字で描かれている。
タタタタ、タンタン、ダッダッダッ……♪
繊細なソロビートは徐々に波が大きくなり、仲間のもとに合流していった。事件以降、なかなか数が揃わなかった太鼓隊も、本日は全員集合している。隊長オッズの先導で、美しく揃ったトレモロ奏法を効かせていた。
『今日は一段と気合い入ってんな〜』
『そうだ、リュカ。これ……』
ショーンは、クリーム色の紙切れを一枚懐から取り出し、テーブルに置いた。
書かれていたのは『卵料理 レシピ大全集』。500ページを超える大型本だ。発売日は4月1日となっている。
『おおっ、前に話したやつじゃないか、どうしたんだよ!』
『今日の帰りに、本屋で注文してきたんだ。予約して金だけ払ってきた。発売したら引き取りに行ってくれ。こないだの短剣ナイフのお礼と……後はまあ、餞別として……』
ショーンはモゴモゴと答えて口籠もった。松黄茶の花が7割ほど開いている。
リュカは赤ワインを飲む手を止め、レシピ本の予約紙をしげしげと見つめた。綺麗に四つ折りし、胸ポケットに入れた。
『ありがとな、ショーン。……そうだ、オレからも言うことがある』
『……うん?』
ダダダダダダ、ダダダダダダ、ダンダッ、ダン……♪
太鼓隊の曲は佳境に向かい、静かに厳かに奮起していた。
『オレ決めたんだ、料理人を目指すことにした。一流のな。帝都の料理学校に行くんだ。厳しい入学試験があるらしいけど……頑張るよ』
『へえ……!』
太鼓隊が最期のフィナーレを奏でていた。太鼓の地鳴りが尻まで響く。リュカは高揚と不安、半々の表情を浮かべている。ショーンも同じ顔をしていた。
『いいんじゃないか! 店を持ったら最初の客にしてくれよ』
『ハハ、気が早いって……』
親友たちは、大輪の花を咲かせた松黄茶と、赤スグリのワインで乾杯した。
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330648451316060
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