4 子連れ野ネズミ

 3月17日風曜日、時刻は午後5時20分。

 あたりが薄暗くなり始めた頃、大地主ゴブレッティ邸宅の跡地で、灰髪の中年婦人が一人すすり泣いていた。

「そんな所でどうしたんですか?」

「つらくて悲しいのです……どうしてこんな悲劇ばかり起きるのでしょう」

「……サウザスに帰りましょう、ライラック夫人」

 レースのハンカチをぐずぐずさせている彼女の周りには、赤子からクソガキまで、数十人もの子供たちが走り回っていた。



 砂鼠族のライラック夫人——

 サウザス西区の屋敷に後妻として嫁ぎ、先妻の子供10人、自分の子供10人、その辺の孤児49人を、分け隔てなく愛情をもって育てている。サウザスでも篤志家として有名で、ショーンも顔と名前は知っていた。

「ライラック夫人、お噂はかねがね……僕のことはご存知でしょうか」

「もちろん!……ああ何という事でしょう。まさかアルバ様と、サウザスを離れた地でお会いするなんて! 神のお導きに違いありませんわ」

「いやそんな……なぜ、こんな空き地で泣いてらっしゃるのですか?」

「ええ、実は私、34年前まで、こちらのゴブレッティ家でメイドをしていたのです……」

 以前は立派な玄関があったであろう、石造りの階段に座るライラック夫人は、かつての荘厳な建物を見上げるように天を仰いだ。

「ゴブレッティ様は、高名な建築家の一族でしたの……お屋敷の作りもそれはそれは豪華絢爛、入り組んでまして大変だったのですよ。私は小さなロイ坊っちゃまのお世話をしておりました。階段を毎日800段、登っては降り登っては降り……8往復はしたものです……うっうっう!」

 今はその建物も跡形も無くなっている……土地を囲むわずかなレンガ塀と、片隅に灰色の墓地だけが点在していた。



「ですが、22年前、ゴブレッティ様は一家全員お亡くなりになってしまいました……お仕えした方々の死に目に会えず、ずっと後悔しておりましたの」

「それは……お悔やみ申し上げます」

「トレモロは私にとって後悔の土地なのです……住むにはいささか退屈でしたしね。活気あるサウザスに嫁げて、それは感動したものですよ」

 ライラック夫人は目を細めて子供たちを眺めた。サウザスの気質を受け継いだ子供たちが、元気にトレモロの地を駆け回っている。

「ああでも何という事でしょう……おぞましい事件以降、サウザスは恐ろしい場所になってしまいました。オオ、子供たちの未来を思うと……! 平和が何より一番ですわ、トレモロは素晴らしい!」

 子供たちは邸宅跡地の内外に入り乱れて遊んでいた。ある子供は石墓に登って踏み倒し、ある子供は石畳につまずいて泣き叫んでる。成人している子も何人かいたが、みな我関せずタバコを吸ってたむろしていた。

「ショーン様……! 私と子供たちは2日と14時間かけ、命からがらこの町にやってきたのです。どうかトレモロの方々に、この地に住まわせて下さるよう、お口添えしてくれませんこと? ゴブレッティ様と夫が亡き今、私が頼れる方はアルバ様しかいないのです!」

「えっ」

 ——妙なことになったぞ。



 ショーンは思わず、エミリア刑事のほうへ振り返った。彼女は泥土を噛んだような顔で、首とツインテールを左右にふった。

「すみません、夫人……じつはトレモロ警察からも、あなた達をサウザスに戻すよう頼まれてるんです」

「まあっ、ショーン様まで裏切るなんて……! オオン・サンドラの神よ、私たちにどこまで試練を与えるつもりですか…………オオオオンッ!!」

 ライラック夫人はついに嗚咽をあげて、その場にしゃがみ込んでしまった。

「ちょっと、どうすんのよ、そのご婦人」

「さあ……」

「あのガキども、食糧も住み処もないから、あちこちで乞食してゴミを漁ってる。デカイのはギャリバーを乗り回してるし、チビはそこら中でションベンしてるの。そもそもこんな大人数、サウザスじゃどうやって生活してたのよ?」

「…………ワカンナイです」

 エミリア刑事に問い詰められ、ショーンも頭を抱えてうずくまった。

 今までで体験した中で、もっとも困難な出来事だった。

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