3 私がショーンの武器になって戦うよ。

「————紅葉?」

 荷物がある4階の歓談室へ戻ってきたら、やかましいアルバたちは誰も居らず、紅葉がひとり窓辺のソファに座り、藍色に移りかわる満月湖を見つめていた。

「おかえり、ショーン。時間かかったね」

 紅葉がゆっくりと振り向いて微笑んだ。彼女の赤いスカートは似合っているけど、やはりどこか見慣れない。足元に大きなトランクがあり、膝にはショーンのサッチェル鞄を乗せている。

 まるで旅行で来たホテルのような風景に、幻を見ている気分になった。

「紅葉……お前だけか、ペイルマン氏が次のはずなんだけど」

「ああ、職員さんに呼ばれて、上の階に行ったみたい」

「そっか、なら大丈夫か」



 ショーンもここ座る? と紅葉がソファの隣を促したが、この風景をまだ見ていたくて、立ったままでいる事にした。

 赤張りのソファには見慣れぬ水色のパンフレットが置いてあり、今まで広げて読んでいたようだ。

「そのパンフは何だ? あ……角花飾りか」

「うん。リンカネイ社のパンフレットだよ。アルバ様たちとおしゃべりしてたら話題に出てね、職員さんに用意してもらったの。ちょうど下の階が観光統括室なんだって」

「へー、欲しいもの何かある?」

 紅葉は40ページほどのパンフレットをパラパラめくった。

 老舗の高級店『リンカネイ社』の角花飾りは、藍色の薄暗い光のなかでも、どの花々も鮮やかな色合いを放っている。


「迷っちゃうね、1つだけ選ぶなんて難しいよ。それにモデルさんが着けてても、自分に似合うのか分からないし」

「これなんかどう?」

 ショーンがひときわ目に留まった花飾りを指さした。

「……カトレア?」

「うん」

「ちょっと豪華すぎない、私には似合わないよ」

「そうかな」

 ショーンは目をつぶり、紅葉が額にカトレアの角花飾りをつけているのを思い浮かべた。

 大輪のカトレアが、脳内で次々に色を変えていく……白に少しだけピンクを混ぜた色が紅葉に一番しっくり似合った。中央の花弁だけが黄色くて、太鼓隊の服にもきっと合う……

「それに値段見てよ、1250ドミーもするよ。ギャリバー買えちゃう」

 ショーンは一気に現実に戻され、自分の尻尾をマントの裏から引きずりだし、ドカッと紅葉の隣に座った。



「——で、紅葉はなんでここにいるんだ」

 バタバタと猿の尻尾でソファの布地をはたき、ターバンを緩めて羊の頭角をワシワシ擦る。

「アルバの統括長様が私の話も聞きたいみたい、でも参考になるのかな」

 紅葉は口をへの字に曲げて、膝上のサッチェル鞄を持ち主の膝へと突っかえした。

「事件のこと、警察にぜんぶ話したのか?」

「知ってることは話したよ。10年前の自分に起きた事件と……サウザスで起きた町長事件と……コンベイの護送襲撃のこともね」

 紅葉はゆっくりと慎重に問いに答えた。この言い方だと、やはり組織の件は伏せたようだ。

「僕は全部お伝えしたよ、フランシス様にね。紅葉は……好きにしたら」

「…………うん」


 アルバのことはアルバで解決しなければ。紅葉には関係ない。

 いや彼女は記憶を失ってるだけで、ひょっとして組織の関係者なのか? どちらにしろ組織のことを知ったとバレたら命を狙われる……僕が紅葉を守らなきゃ。僕が……紅葉の命を……守れる、だって?



 夜が静かに更けてゆく。満月湖の周りで街灯のランプが灯りはじめた。

 湖に映る小さな白い灯火たちは、四角塔の窓を通るときステンドグラスで色付けられて、虹色となって部屋の天井や壁近くで揺れている。ソファの上のステンドグラスには、森の神であるミフォ・エスタが静かに微笑んでいた。


 【森の神 ミフォ・エスタ】は、森と本を司る、知性、思索、癒やしの神様だ。髪の長い若い女性で、頭には蔦の冠をつけ、手には本と羽根ペンを持っている。鳥や動物たちに囲まれた森神であり、学問と勉学の神様でもある。彼女が棲まう森の木陰は、全ての生き物に安らぎを与えるという。


 ——しかし、アルバの第一信奉神である彼女の加護も、今のショーンには何の拠り所にもならなかった。

「きれい……まるで魂みたいだね」

「縁起でもないこと言うなよ……っ」

 ショーンはガタガタと震え始めた。あいつが——仮面の男が本気を出したら、今の僕に何ができるというのだろう。手の震えが止まらず、胸の布をグシャッと掴んだ。



 隣で尻尾をまるめて怯えきる帝国魔術師に対し、紅葉はつとめて冷静に振るまった。

 黙ってショーンのサッチェル鞄から【星の魔術大綱】を取りだし、彼の左手に握らせる。

「な、にす、もみじ、どうして……」

「ショーンは毎日この本を読んでたでしょ、これがあれば大丈夫」

「そんな訳ない、何もできない、呪文は戦いの道具じゃない……っ」

「大丈夫、私が戦う。」

 紅葉は、彼のもう一方の手に自分の掌を重ねた。


「私がショーンの武器になって戦うよ。この手は戦うためにある」


 そう告げて強く握りこんだ。

 毎日太鼓を叩きつづけ、見た目より硬くなった指。

 昨日の戦闘でぜんぶ折れたはずなのに、もう治り、かえって力強くなっている。

 しかしショーンは、紅葉の意志に、すぐには応えることができなかった。

 首を小さく横にふる。

「僕はそんなの……のぞま——」

「——おい小僧、それに小娘! 早急にサウザスに行くことになった!」

 コンベイの治癒師トーマス・ペイルマンが、階上から転げ落ちるようにドバン! と歓談室に入ってきた。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16816927862956457912

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