5 紅葉の診断

 現在3月10日風曜日。昼の午後2時30分。

 前夜から始まった長い一日は、まだ当分終わりそうにない。

「全身打撲に擦過傷、両手が骨折している。両足裏に軽度火傷……おいナターシャ、ガウンを持って来い!」

 円猫えんねこ族と思われる小柄な女性が、「ハイハイハイ」と竹籠製のワゴンを引きながらやってきた。

 彼女はハサミでジョキジョキと服と応急処置の包帯を切って脱がし、消毒液とガーゼで皮膚を拭い始めた。

 ショーンが目を逸らしている間、砂と血まみれの服の切れっ端を、容赦なく籠にいれていく。あの服は——太鼓隊の衣装なのだ。薄目で見守るショーンの胸に、太鼓のような音がにぶく響く。


 ナターシャが作業している間にも、ペイルマンは左目をつぶり、真鍮眼鏡をつけた右目で、人形の胴体を確認するかのように紅葉の体を観察していた。

「フーム、額の左右に生成り色の円錐状の短角……毛に覆われた10センチほどの短い尻尾………皮膚の質感は……」

 真鍮眼鏡の筒は、ジイジイと金属音を鳴らしながら長く伸び、ペイルマンが首を振るたび様々な角度へ変化していた。

「こいつが車を斧一本で壊したとはほんとか⁉︎ ダンロップ」

「ああ、帝国調査隊の報告が正しければな」

「…………フム、とすればかなりの怪力か」

(……車を斧で壊した?)


 ショーンは紅葉の身に何があったか未だ理解していなかった。

 それどころか、仮面の男やユビキタスがどうなったさえ知らぬままだ。

 あの惨劇は全員の証言を組み合わせなければ全容は浮かび上がってこないだろう。

 後でダンロップ警部に確認しなければ……でも今はその時じゃない。

 紅葉に着目しているペイルマンの集中を切らしてはならない。


「もっとも死ぬ寸前の状況下なら、火事場の馬鹿力も考えられるが……」

「そうだ! あの……紅葉は真鍮眼鏡が持てるんです。子供のころ両手で数センチ持ち上げました……重そうでしたが」

 ショーンがおずおずと報告した。ペイルマンの左眼がぐわっと開く。

「——持てるとな⁉︎ それなりにマナがあるのか」

「いいえ、彼女の体内にマナはまったく無かったそうです。昔、母が調べました」

「…………では、平時でもその筋力か、にわかに信じられんな」



 最後に患者用の薄い綿ガウンをサッと着せ、仕事を済ませたナターシャが、ガランゴロンと、竹籠のワゴンを持って出ていった。

 ペイルマンはじっと紅葉を見つめている。

 薄いガウンを着せられた紅葉は、静かに横たわり意識を失っている。皮膚はあちこち擦り切れ、折れた手指はガーゼが巻かれ、足裏は火傷で酷くただれて……

「——っ、彼女の治療はまだですか」

「小僧、この本はなんだ」

 ショーンの訴えを無視し、ペイルマンが右手のポケットからバッと見せてきたのは、砂まみれになった——『火傷 -民族別治療法-』。数日前にヴィクトルから借りた本だ。


「それは……」

「このことを予見してたのか?」

「まさか!」

 ただの偶然なのに、ややこしいのは勘弁だ。

「先日、友人の火傷の治療をしていたんです。それでもう少し勉強したくて……」

「治療だあ? お前さん、サウザスで治癒師をやってるのか?」

 ギロリと右眼がショーンを射抜いた。

「えっと………………ハイ」

 ああ嫌だ。

 本格的な薬師にして治癒師・ペイルマンと比べて、ハナクソのような自分の知識と腕に、ショーンはその場から消えて無くなりたくなった。


「じゃあちょうどいい、お前が治療しろ。腕を見る」

 ペイルマンがドサッと放り投げたサッチェル鞄に、ショーンの【星の魔術大綱】が入っていた。彼は慌てて飛びつきページをめくった。

「遅いッ! いちいち本なんぞ読むな、マナの配分くらい覚えてないのか!」

「いやだって!」

「おい、ペイルマン。あまりアルバに呪文を使わせるな。報告を聞いてないのか」

「呪文だあ? 何を期待してるダンロップ! このヘナチョコ小僧が使える呪文なんぞ、たかが知れてる!」

 ペイルマンとダンロップが喧嘩し始めた。

 そのとおりだが言わなくたっていいだろう。



 ショーンの心はモロモロによじれたまま、己の真鍮眼鏡をカチャリと掛けた。

 2冊の本を台に並べてページを開き、オタオタと治癒呪文を開始する。

 まずは全身を清潔にし、抗菌作用を高めて止血する——。

 手足がひどい状態だったが、こちらの措置を先行で行った。グリーンアップル色の淡い光が、紅葉の体をくるりと包む。これで後の治りやすさが段違いだ。

「ほほう、お前さん。今のそのマナ量でそれを施すかね」

 彼が顎に手を当てている。

「じゃあ、どうすべきだったんですか?」

「ワタシならそれくらい呪文に頼らず、薬を使う。部品ならここにある」

 ショーンはグッと歯を食いしばった。道具を使っていいなんて聞いてない。


「まあいい。続けろ」

 彼は心がボロボロに崩れながら、治療を再開した。

 思えば、この本『火傷 -民族別治療法-』を入手した翌日に、町長失踪事件が起きた。それからずっと酷い目にしか遭ってない。

 ショーンが唇を半開きにし、黒いビー玉のような瞳で治療を続けるのを、ダンロップ警部は哀れな瞳で見つめていた。

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