4 ソーセージ入りのパイ、あるいは穴の中のヒキガエル
「トーマス……ペイルマンさん、初めまして……サウザスのショーン・ターナーです」
ようやく覚醒したショーンは同業者へ挨拶した。
だが、返事代わりに帰ってきたのは、ダミ声の呪文の文言だった。
【気力回復はこれで充分! 《
ペイルマンには、今のショーンにふさわしい——だが草食民族には、これ以上ない屈辱的な──呪文をふりかけ、辺りはソーセージの肉汁色に包まれた。
「ゲホッ、ゴホッ……これはっ…………高速回復呪文ですか」
家事呪文で知られるマダム・ミッキーが、実際にパイを作っている最中に思いついたという、回復呪文のなかでも手軽で有用な呪文のひとつだ。
「ふんっ!」
ペイルマンはショーンに一瞥もくれず、左手にマナを青く光らせ、患者の全身の容体を調べ始めていた。
「は、コイツは全身打撲に創傷。とりあえずこの呪文を……ホッ!…………ヨシ、あとは医者に任そう。おい下に連れてけ!」
彼はガラガラと寝台を動かし、廊下にいる助手らしき人物に命令した。ひょっとして、この部屋の下は普通の病院なのだろうか。
「この兎男は……フン、この色と匂い………あのハッパか、食い過ぎだ」
原因を突きとめた治癒師はすぐさまトロッコ車に乗り、奥の棚へガーッと移動した。
移動の途中にもヒョイヒョイ薬棚の引き出しを開け、材料を何種類かつまみ出し、一番奥まで行ったのちにまたガーッと戻ってきた。
これは……ショーンは不覚にも楽しそうだと思ってしまった。部屋の中のトロッコなんて、つい童心が刺激される。イライラしながらガリガリと薬研を擦るペイルマンに、学童っぽさのカケラも無かったが。
「小僧、そいつの体を持て、ぼさっとするな!」
ショーンは慌てて寝台に近づき、ペーター刑事の肩を抱きおこした。彼は朦朧としていたが、意識を取り戻そうと唸っている。今まで気づかなかったが、彼の首から頬にかけて赤縄のような斑紋が浮き出ていた。例の葉っぱのせいだろうか。
(あれって……やっぱ危険なブツだったんだ)
ショーンの首筋がゾクッと震えた。
「ヨシ、さぁ飲めのめ、トントン……これで中毒症状も治まるはずだ」
意識が朦朧としているペーターの喉に、ゆっくりと出きたての薬を流しこんだ。粘ついた臭いドロドロの深緑の薬は、見るだけでも嘔吐しそうな代物だったが、ペーターは必死で食らいつくように飲んでいき——安心したようにまた眠った。
「ソイツは左腕を負傷している。医者に連れていけ!」
助手がまたやって来て、ペーターは寝台ごと部屋から出ていった。
「さて、こっからが肝心だ」
トーマス・ペイルマンが手袋をバチっと嵌めなおし、横たわる紅葉へと向き合った。
「……な、なんですか。彼女に何かあるんですか……?」
妙な気配が部屋を包む。紅葉がどうした。ただ治療するだけではないのか。
ただならぬ空気を感じたダンロップ警部が、怪訝な顔をしてこちらを向いた。
「こいつはスティーブンとシャーリー・ターナーが治した患者だな。10年前に」
彼の口から急に両親の名前が出て、ショーンは床がひっくり返った気がした。
「————も、紅葉をご存知なんですかっ⁉︎」
ショーンはあらん限りの声で叫んだ。
10年前に駅で見つかった謎の少女。
年齢不明民族不明、名前も本名か分からない。
この男は彼女を知っている?
「フン、彼女の身元か? お前さんが求めてるようなことは知らん」
一瞬前のめりになったショーンは肩をカクンと落とした。そりゃそうだ。
「10年前にサウザス病院を訪れた際、ヴィクトル院長にこの子を見せられた。民族名が分かるか訊かれた。結果は——民族不明。あの頃は容態が悪く、本来の姿なのか怪我の治療途中なのかも判別できなかったもんでな」
手足を簡易的に包帯を巻かれた紅葉が、ショーンの眼前に横たわっている。
昔、少女だった彼女の姿がチラつく。事件当時も全身に包帯を巻いていた。
「……が、成長し新たに分かることはある」
あれから四肢はくっつき、月日が経ち、彼女は大人の姿に変化した……
せめて民族だけでも知ることができれば。
紅葉はずっと、自分のアイデンティティが分からないことに悩んでいた。
「あの——」
「マナはどれくらい回復した、小僧」
「えっ、ええと全体の1割くらい……」
「遅いな」
ペイルマンはそう吐き捨て、片手をマナで青く光らせ紅葉の全身をチェックし始めた。
(むしろ速いくらいなのに……!)
ショーンは心の中でそっと憤慨した。通常マナが体内で回復するのには、失ってから約24時間かかる。先ほどかけられた高速回復呪文 《ソーセージ入りのパイ》、そして恐らく例の葉っぱの影響で、これでも超特急で回復している。
「お前の親父なら、この時間ですでに完全回復している」
「え、え……っ」
「今のスーアルバの年齢じゃないぞ。学生の時からだ」
続々とくらう新情報にショーンは目を丸くした。
「あの、父とどういう関係なんですか⁉︎」
ショーンは大きな声で彼に聞いた。
「シーッ、デカイ声を出すな‼︎」
ペイルマンは、ショーンよりさらに大きな声で怒鳴った。部屋のあちこちに吊るされた乾燥草の束が、風圧でそよんと揺れる。傍観者のダンロップ警部が舌打ちした。
「スティーブンとワタシは同期でな。——そんなことはどうでもいい!」
フンと片鼻を膨らませ、青く光る左手のマナを、バッと振って消し去った。
「彼女の傷の状態はわかった」
ペイルマンの真鍮眼鏡が、グイと角度を変えてショーンの方を真っすぐ向いた。真鍮眼鏡の中でも変わったデザイン……顕微鏡のように長い筒状をした右目のレンズの奥は、底知れない色をしている。
「どれ、調査をはじめよう」
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