第35章【Disappointment】失望
1 あたしが言います
【Disappointment】失望
[意味]
・失望、裏切り、期待外れ
・(希望などの)挫折
[補足]
「appointment (指名、任命、約束)」の反対語。原義は「a (~を)+point (指さす)」。古き時代、王からの指名は絶対であり、逆らったものは失望され、裏切り者とみなされた。
3月22日地曜日。時刻はそろそろお茶が欲しくなる午後2時半。
「はぁ~もう……紅葉さん、あなた何か知ってること無いんですか?」
「ええっ、私!?」
口をつぐむ関係者たちに失望したアンナは、くるくるとティースプーンを回しながら、投げやりに隣席の紅葉へ尋ねた。
「ええっとねぇ……まずはトレモロに来てぇ……ライラック夫人にお会いしたんだっけ」
急に矛先を向けられた紅葉は、おろおろしながらも、記憶の糸をたぐり寄せた。
レモンイエロー色のギャリバー【ニーナ】に乗って、この町に到来したのは6日前のことだ。まずは警察署へ向かい……サウザスから逃亡してきた住民たちに、警察は困っており……その元凶であるライラック夫人は、泣き崩れながら、身の上話をしてくれた。
『ええ、実は私、34年前まで、こちらのゴブレッティ家でメイドをしていたのです……』
『ゴブレッティ様は、高名な建築家の一族でしたの……お屋敷の作りもそれはそれは豪華絢爛、入り組んでまして大変だったのですよ。私は小さなロイ坊っちゃまのお世話をしておりました。階段を毎日800段、登っては降り登っては降り……8往復はしたものです……うっうっう!』
『ですが、22年前、ゴブレッティ様は一家全員お亡くなりになってしまいました……お仕えした方々の死に目に会えず、ずっと後悔しておりましたの』
彼女が涙ながらに語った、ゴブレッティ家にまつわる数々の昔ばなし。
「ライラック夫人——この時点では、ロイさんは亡くなってたと思っていましたよね?」
「ええそう、そうですわね、ええ……」
夫人は、尻尾が挟まれたような物言いをした。アンナは唇をぐっと噛み、オリバー設計士もといロイは肩をすくませ、マチルダは「800段を8往復……」と小さく呟いていた。
何かは引っ掛かるものの、紅葉はひとまず追求せず、トレモロ来訪の思い出を続けた。
「それで翌日、木工所に行ってー、マチルダとテオドール君に会って、オリバーさんを紹介されたんだよね」
『ショーン・ターナーと申します。どうぞ、お近づきの印に……』
『ど、どうも……キャンディーは結構です』
『お許しください、うちのオリバーは繊細でして……トレモロ出身でもないですから』
「——ちょっと待って、紅葉さん! キャンディーを拒否したのね? “キャンディーは” 結構ですと! じゃあ他のお菓子なら受け取っていたのかしら?」
お嬢様はドレスを揺らして騒ぎだし、話の腰を折られた紅葉は、鼻に皺を寄せてアンナに聞いた。
「キャンディーがどうかした?」
『あらダメよ、キャンディーは。喉に詰まってしまうもの。ウチでは母が禁止してるの』
「ずっと変な掟だと思っていたのよ! キャンディーを禁止された結果、妹のエミリアは風船ガム中毒になってしまったわ! 何という事でしょう、ロイ・ゴブレッティの影響だったのね、シチューを喉に詰まらせて死んだ、あのっ……待って、死んだのは誰?」
正気に戻った双子の姉、アンナは、うわごとのように呟いた。
目の前にいる2人……ロイとライラック夫人に問う。
彼らはグッと俯き、アンナから目を逸らしたが……
「ねぇ、お若い方が必死になって探しているのよ。……そろそろ仰ってもいいんじゃないかしら……ね?」
こわばった2人の肩に、手を差し伸べたのは、菓子屋店主アロナ・シロタだった。
「こちら、庭リンゴ茶。グレキスの果樹園で採れたリンゴで作ったお茶よ、美味しいの」
濃い赤茶色のお茶をコトン、と置いた。少年少女時代に嗅いだ、庭で遊んだ香りがした。
「そして砂糖をひとつまみ……ほら、ステキな気分になるわ」
若い3人は、お茶を嗜み……少し気分が華やいだが、中年のロイとライラック夫人は、やはりまだ手をつけられず、喉を詰まらせたように固まっている。
「大丈夫……ゆっくりで良いのよ、ゆっくりで……」
アロナさんが、ふわりと文鸚鵡族の両羽根を広げた。くたびれた白色の羽根に包まれ、ライラック夫人がオイオイむせび泣き始めた。
「……お……おお、お……どうしましょう、ロイぼっちゃま……伝えたほうがよろしいのかしら?……で、でも貴方が望むならこのライラック、お墓まで持ってまいりますわ!……69人の子供たちにも、誰にも言わなかったわたくしですもの、信じてらしてっ……!」
ライラック夫人は、皺だらけのハンカチーフを握り、絞り出すように叫んでいる。
オリバー設計士、いやロイは、灰色と茶色交じりの髭を震わせ、
「…………すまない……ライラック……アンナも」
消え入りそうな声で詫び、
「…いえない……ヴィーナス……!」
庭リンゴ茶に涙をこぼした。
「——なら、あたしが言います」
コトン、とトランク缶を置き、マチルダが明朗に答えた。
思ってみもみなかった人物の発言に、この場の誰もが、あっけにとられてマチルダを向いた。
しかし彼女は気にも留めず、カンカンッ! とテーブルに缶を積みあげ、自分の推理を口にし始めた。
「ゴブレッティ邸は半地下つきの4階建てです」
カン! と缶を4個積み上げた。一番下に、半地下に見立てた『缶の蓋』が敷かれている。
『家族写真は、在りし日のゴブレッティ邸の正面門で撮られていた。半地下のある4階建ての立派な邸宅で、斜めの屋根が4つも付いている。』
「8往復で800段なら、1回登るのに50段。あの邸宅の1階ごとの段数は12段です。1階から4階までは36段。ちょっと多い……」
マチルダは指先でつつーっと、積み上げた缶をなぞった。色とりどりのギャリバーが描かれた缶が、だんだんゴブレッティ邸の壁に見えてくる。
『1階につき12段と、かなり急勾配の階段だったようだ。何往復もするのはさぞかし大変だっただろう。』
「半地下は半分の6段です。これで42段。あと半階ぶん足りない……建物のどこかにあるんです。でも、あたしが学んだ設計図には無かった。これって……『隠し部屋』なんじゃないですか?」
『ゴブレッティの建物には、だいたいどれも隠し部屋がありますし』
マチルダはきりっと三つ編みを揺らし、ロイとライラック夫人の顔をみた——もちろん彼らが応える筈もなく、石像のように唇をつぐんでいる。元から期待してなかった少女は、さっさと自分の推理を続けた。
「ゴブレッティ邸は、ロイさんの父・ヴォルフガング氏が作ったものです。彼は4527年に子供のロイが誕生してから急ピッチで設計し、たった1年で建設し、そして彼の死と同時に、壊すよう命じていた……」
『皇暦4527年着工、皇暦4528年完成。竣工式の写真には、先ほどの家族写真とまったく同じ場所から撮られた、赤ちゃんのロイが写っていた。』『ヴォルフガング作のゴブレッティ邸は、彼の遺書により、本人死亡時に取り壊すよう命じられていた。しかも解体方法は爆破だった。』
紅葉は、図書館で借りた本で調べた、邸宅の写真を思い出していた。1歳のロイと、母マルグリッドが完成式に映っていた。たった20年で取り壊されたお屋敷——
「……何かを隠したかったのかな」
「ええ、見当はついてますっ。『隠し部屋』について調べたとき、とある内容の本を見つけました!」
『三つ編みをクシャクシャにさせるマチルダの周りには、隠し部屋にまつわる本が散乱していた。『驚くべき建築術 ゴブレッティの秘密』『建築トリック、設計ギミック』『ザ・ニンジャ カラクリ屋敷』『隠された失望の部屋 その恐怖と真実』『スパイ発見! 暴かれた部屋の謎』『素人でも作れる隠し部屋』……』
カンカンカン、とテーブルにあるトランク缶を、横と縦にどんどん積み重ねていく。一流の木工職人かつ、一流の建築家を目指してる、マチルダ・マルクルンドの指先は止まらない。
「私が読んだ本は、『隠された失望の部屋 その恐怖と真実』です。
精神疾患や障害のある子どもを閉じ込めておくための部屋についての本。
世間から隔離し、存在を隠して育て、名前も声も知られぬまま……
死んでいくためのお部屋」
彼女は最後、トランク缶の蓋を、そっと斜めに置いて完成させた。
それは斜め屋根が4つある、ゴブレッティ邸の全景のようだった。
「
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330660891452363
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