2 ロイが死ぬまでの話 Ⅱ

 皇歴4541年12月。

 学校の卒業と同時に、ヴィーナスがトレモロを出ていってしまった。あらかじめ覚悟はしていたといえ、ぼくにとって地獄の入り口であり、無間の牢獄へ囚われた気分であった。

 迷ったことは、彼女に手紙を出して良いのかどうかだった。家同士の付き合いだけは強固だが、友人というほど親しくはない間柄だ。

 しかし、彼女はさすが町長の娘だった。年越し後の1月初めに、新年の挨拶と称して、贈り物が我が家に届いた。クレイトにあるジョンブリアン社の焼き菓子と、手紙と、クレイト市の風景が描かれた絵葉書が入っていた。

『……満月湖だ……』

 青ザクロ色が美しかった。

 手紙にはヴィーナスの筆跡で、うちの両親へ挨拶と、クレイトに来てからの様子、気難しい父である町長をよろしくと綴られており、絵葉書の裏には——ふみが書かれていた。

『ロイへ お元気ですか。建築のお勉強はお忙しくて? あたくしも次期町長として、政治のことをたくさん学ぼうと思っています。ふふふ、競争ね。あたくし達の代では、トレモロをもっと素晴らしい町にしましょう。』

 その晩は涙を濡らし、瞼を腫らしながら眠った。いつか彼女は帰ってくる、トレモロに。都会の学校に行ったまま、田舎に二度と帰ることのない人生じゃないのだ。大人になれば同じ町に居られて、彼女と同じ空気を吸える。その希望だけが今の喜びであり、幸せだった。



 その絵葉書はさっそく写真立てに入れた。彼女の瞳の色をした満月湖を机に置きながら、勉学に励んだ。いや……励むのは少し厳しかった。ぼくは、ゴブレッティという代々華々しい活躍をあげている家柄にしては、あまり優秀なタチではない。おまけに××××の世話もある。××××も大きくなってどんどん世話が難しくなっていた。

 何もかも嫌になったときは手紙を書いた。こんなたくさん投函しても迷惑になるから、机の引き出しに溜まっていく一方だ。

『ヴィーナスへ 見慣れた光景で恥ずかしいけど、ぼくもトレモロの絵葉書を送るよ。リンゴの木と森の絵だ。きみほどトレモロを愛する人はいないからね。葉書の満月湖は青く輝いていて美しかった。まるで君の瞳のようだ。クレイトの土産話をいつか聞きたい。それまでお体に気を付けて。 ロイ』

 比較的、抑えめな文面のものを送った。『クレイトの白銀三路をさっそうと歩く君は、満月湖に飛翔する白鳥のように美麗だろうね』『卒業式でとうとうと答辞を読み上げる学帽姿が恋しい』『リンゴの木が揺れるたびに、君の三つ編みが左右に揺れるのを思い出す』……なんて送るわけにはいかないよ。



 最初の頃こそ、数か月に1度、手紙をやり取りをしていたけれど、

『ごめんなさいね。貴方との手紙は楽しいけれど、毎週試験があってしんどいの。科目ごとに毎日よ、毎日! 不合格だと遅くまで残って追試なの。本当に参ってしまうわ。』

 という走り書きを最後に、来なくなってしまった。

 生きがいを失ったぼくは、また萎びたリンゴの芯のような生活を送っていた。

 ××××の世話はもうやりたくない、食事を与えても何度も吐き戻すし、喰わないからすぐ空腹を訴える。うんざりだ。

 トレモロ町もまた沈んでいた。

 グレゴリー町長が、顔を赤リンゴのように真っ赤にさせ、町内演説で絶えず怒鳴っていた。娘のヴィーナスを広報係にしていた時は、仕事の手をとめてまで町民たちが集まっていたのに……今じゃ物好きか浮浪者しか聞いていないらしい。

 町内演説は、週に2日、役場前の広場でやっている。あまり気が進まなかったけど、年末にヴィーナスの事を聴けるかもしれないと、(もしかしたら帰郷しているかもしれない、という淡い期待もあった。)そっと様子を見に行った。


『いいですか、この町は腐敗しています! 根絶するには一人ひとりの自覚が大事なのです!!』

『じゃあ、町長が何とかしろよー』『そうだ、そうだ!』

 こんな風に、野次りたい物好きと浮浪者だけがその場に集まっていた。

『私だけでは止められぬのです! いいですか、警察署長と神官長、木工所社長に建築家ゴブレッティ、町の重要人物であり根幹をなす彼ら全員、金と賄賂にまみれて腐っている! この町の幹は倒壊寸前です、枝である町民の皆さんまでが危ないのです!』

『腐っているのはオメーもだろう、町長さんよー!』

『テメエに人望がないから、みんなに好き勝手されるんだぞー!』

『黙れ、ロクデナシどもがっ、さっさと失せろ!!』

 前回見た時と、何一つ変わらない不毛な演説に、ぼくは看板の後ろから頭を抱えた。



 町長の怒りの原因——それは警察署長ビシュ・イザと、神官長ボラリスファスの汚職と腐敗、そして木工所社長オズワルドと、建築家の父ヴォルフガングがそれを許容してる事にある。


 まずは警察。木工所レイクウッド社と警察は、町の創設以来、相互扶助でうまくやっていた。だが一代前の警察署長、彼は好ましくない方向に仕事熱心だった。レイクウッド社が秘密裏にしたい、備蓄倉庫や金品授受まで、詳らかに介入してきたのだ。

 先代の木工所社長は怒りくるい、ラヴァ州に政治的圧力をかけ、なんと署長の首をすげ替えてしまった。(これはヴィーナスがこっそり教えてくれた情報で、町の人はほとんど知らない)

 九官鳥族の新署長ビシュ・イザは、警察業には怠惰だったが、金回りには狡猾な男だった。木工所内の警察の立ち入り全面禁止——この信じがたい提案に同意したのだ。レイクウッド社は優秀な警官たちを高額で引き抜き、私設警備員にした。結果、町は無能な警官ばかりになり、治安は急激に悪化。今に至る。


 そして神官長ボラリスファス。彼は巨漢で、神官長というより道化師のような男だった。酒瓶をもってウチに訪れ、リュートを鳴らしてくれたものだ。父は真面目で神経質で、あまり友人もいなかったから、陽気で歌好きなボラリスファスに接待を受けるのは好きだった。

 建築家の父ヴォルフガングは、芸術家と企業家、相反する2つの要求を、最高水準で求められることに常に苦悩していた。

 巻鹿族の神官長ボラリスファスは、暗くクドクドした父の悩みをしんぼう強く聞き、いつも最後には解決に導いてくれた。それがたとえ偽りの友情で、彼の財布と胃袋を膨らます手段だったとしても——父は許しただろう。

 ずっと貧乏操業だった神殿が、彼の代でにわかに豪華になり、ゴブレッティ家が急転直下で、質素な暮らしを強いられているのも、すべては致し方ないことだった。


『彼らは税金を使いこみ、私腹を肥やし、あるいは自分に都合のいいように制度を作り変えているのです! 私は今、孤軍奮闘している! 皆さんの助けが必要なのですっ』

 という訳で、創始者一族同士の仲は、もうかなり悪化していた。以前は食事会なんかもしてたけど、もはやそんな状態ではない。

『おい、そこにいるのは……ゴブレッティ家のせがれだな! ロイッ、壇上にあがりなさい、父親の件で聞きたいことがある……待ちなさい、逃げるんじゃなあああいっ!!』

 ヴィーナスに会いたい。

『あたくし達の代では、トレモロをもっと素晴らしい町にしましょう。』

 会いたい。

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