5 サウザス市場にて

 てくてくてく。

 市場へ向かう人混みの中で、数人、ショーンの存在に気づいてチラチラ振りかえる者がいる。あの町長が言ったとおり、アルバがこうした市街地で過ごしているのは極めて稀だ。

 ルドモンドのアルバの多くは、皇族の膝元で才賢を伸ばすか、人里離れた奥地で隠遁している。定住を好まず、フィールドワークや冒険を求めて旅する者も中にはいるが、いずれにせよサウザスのような長閑な田舎町で、アルバを見かける機会は多くはない。

 ショーンの両親は、長年サウザスで暮らしていたが、息子の帰郷と同時期に、入れ替わるように2人とも帝都に行ってしまった。現在、夫婦はスーアルバとして宮廷で研究に打ちこんでいる。

 周囲に気づかれぬよう目線を下に落としつつ、ショーンは足早に市場へ向かった。





 着いた──食と雑貨の宝庫・サウザス市場。

 北大通りと中央通りの交差地点から、南東にかけてズラッと店が広がっている。東区で一番、いや、サウザスで最も活気ある場所だ。カラフルな天幕で覆った出店が4、50ほど立ち並び、棚に山盛りの食材を盛りつけ、彩り豊かに売っている。

 野菜、魚、肉、麦に牧草、缶詰や香辛料など、通りに近い店は飲食物が。奥の方では、掃除用具、調理道具、家具、置物、植木鉢など、日用雑貨が売られている。

 広場の中央には、たくさんテーブルとベンチが置かれ、買いこんだ物をその場で食べられる。ベンチの周りには、石窯やグリルが数機設置されており、ステーキや焼き魚、豆を煮込んだスープ、冷たい炭酸レモネードなどが売られている。


 露店の多くは常設店だが、流れの商人が、期間限定で珍品を売りにくる事もある。ラヴァ州の巡回商人や、オックス州の家具職人、ファンロン州の茶商人など。夏祭りの時期になると、グレキスの商隊が大量に押しかけ、サウザス住民の大好きな太鼓を売りにやってくる。

 今回はリュカの言ったように、ラヴァの州都クレイト市から、香辛料売りが来ているらしい。壁に貼られた市場のカレンダーを見ると、特売日のお知らせやら、防災訓練の日やら書いてあり……特別市である香辛料売りは、ちょうど今日の夕方までいるようだ。



「あらやだ、アルバ様じゃないの!」

 中腰でカレンダーを覗いていたら、青物屋のエリナ婆さんに見つかった。

「まーまーお久しぶりぃ、こないだ息子を助けてくれてありがとうね!」

「あ、お久しぶりで……」

「これ持ってって頂戴。お礼よっ」

 婆さんはシワだらけの細い腕で、重い根野菜を掴んで、麻袋にボンボン入れはじめた。

「えっ、ちょ待っ、大したことしてないです。こんなに貰うわけには……!」

「良いのいいのよ。ルチアーナちゃんにもよろしくね!」

 婆さんは、シュッシュッと老人にあらざる神の手つきで麻袋の紐を縛って、野菜でゴツゴツと膨らんだ袋を、一瞬でズンと押しつけてきた。

 ──おい嘘だろ。

 突き指を治した礼には重すぎる。これがあるから、市場を気軽に歩くのは禁物なんだ。


 久々に姿を現したアルバ様に、店主たちは俄かに活気づき、次々と声をかけ出した。

「貴方のお母さんがね、スゥッと呪文を唱えたとたん長年抱えてた腰痛がぁ!」

「ジイちゃん、前にターナーさんに骨盤治してもらったっしょ。お礼しないと!」

「御父様には婆ちゃんの最期を看取ってもらってね……グスっ」

 エリナ婆さんから貰ったズタ袋は、市場ブースを歩くうちにドンドンどんどん膨れ上がった。ショーンの手柄もほんの少しあるものの、その大半は両親が昔に治したお礼の品だ。

「あああ、ア、ぁ……」

 肩がちぎれそうなくらい重い贈り物を抱え、ヨタヨタ奥まで歩いて……

 例の期間限定ブースに着いたものの、荷物の重みで集中できない。

「はぁー……すごい匂いだ……」

 これがリュカの言っていた……珍しい香辛料売りか。



 市場ブースの中で、そこだけ異次元の空間が広がっていた。

 真っ黒なビロードのテントの下には、強烈な匂いのする星の形の実、焼けただれたような赤い豆、すりつぶされた緑の粉や、花びら、葉っぱ、枝を乾燥させたもの等々が、平籠に山積みになっていた。

 籠の奥には、大量の瓶詰めが。黒コゲの蜥蜴の死体らしき物、親指をブヨブヨにふやかしたような物、金ピカ砂つぶ、棘々の球体など、謎の商品が並んでいる。魔術学校で薬草を習ったショーンでさえ、名前も調理法も、全く知らないものだらけ。リュカならちゃんと分かるんだろうか。

 テントの後方、壁代わりに吊るされた絨毯には、テントと同じ黒い布地で……

(──これは、月夜の砂漠だろうか)


 月や星が煌めく夜空の下で、一面に砂漠が広がっていた。そこには緻密な金の刺繍で、駱駝隊や商人のほか、蜥蜴や鷹、竜や魚などの動物たちが、画面のあちこちに絵描かれていた。

 絨毯の下には、大量の素焼きの赤い壺 (中身は商品の香辛料だと思われる)が並んでおり、そんな商品たちを守るように、三日月の金の矛を先端に掲げた、黒い長槍が、絨毯の左右に立てられていた。

 香辛料売りのクレイト商人は、一様に黒ひげ、黒髪、金の瞳の男たちで、ラヴァ州ではあまり見ないような、黒いベールを体に纏い、ジッと黄金の天秤を見つめて佇んでいる。


(……とても僕の手には負えないぞ)

 ショーンは肩にズッシリ食いこむ袋を引きずり、ほうほうのテイで立ち去った。

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