サウザス町長吊り下げ事件 ①日常編
第1章【Rat-a-tat】ラタ・タッタ
1 汚部屋な魔術師
【Rat-a-tat】ラタ・タッタ
[意味]
・こつこつ、ドンドン、ダダダッ。
[補足]
ドアを叩く音、太鼓を叩く音、機関銃の音などの、擬音語。
──ドンドンドンッ!
分厚いドアを勢いよく叩く音が、酒場ラタ・タッタの廊下に響いた。
「ショーン、お疲れさま。お茶持ってきたよ!」
ノック主は、赤樫の重たいドアを事もなげに片手で開ける。
立っていたのは20歳くらいの笑顔の女性。
この酒場の従業員──
「紅葉、勝手に入ってくるな。治癒中だぞ!」
部屋主は不機嫌そうに紅葉を見上げたが、彼女は動じず、ズカズカ部屋に入ってくる。
「うーん……治癒するなら、もっと部屋を綺麗にしたら?」
紅葉は、差しいれの銀のお盆を持ちながら、辺りを見回して肩をすくめた。
部屋の内部は、紙と布とクズであふれ返り、おおよそ人を迎える状態ではなかった。深緑色のキャラメルタフィーの包み紙が、床のあちこちに散らばっている。
「いいんだよっ。魔術師の部屋はこのくらい乱雑でこそ威厳が出るんだ!」
ショーンは仕事を中断し、拳を掲げて持論を述べた。
「威厳ねぇ……」
彼女は生返事で答えつつ、床に落ちたブランケットを、そっと抓んでベッドに放った。パフっと、埃まみれのフリンジが宙を舞う。
「そう、古くは【星の魔術大綱】からタフィーの原材料名に至るまで、すべては魔術師の知恵の源であり、知識の集大成なのである!──ヘイックシュ!!」
埃はショーンの鼻奥へと到達し、その場で盛大にクシャミした。
「……掃除しなよ、ショーン」
ゴソゴソとちり紙を探してクシャミを続ける部屋主に、紅葉と患者は、ともに大きなため息をついた。
部屋の汚いアルバ、ショーン・ターナー。
彼の部屋は、酒場ラタ・タッタ2階の北西角に位置している。小ぢんまりした一人用の下宿部屋に、これでもかと本と物が詰め込まれている。
重い赤樫のドアを開いて、まず右手に見えるのは、黒い縦長のクローゼットと装飾柱つきのウッドベッドだ。
手前のクローゼットの周りには、季節外れの服や寝間着がくちゃくちゃに丸まって積んであり、奥にあるベッドの上には、寝る前に読む雑誌やチラシが、これまた無造作に散らばっている。
部屋の真ん中には、椅子2脚と譜面台1つに、古びた星柄のフロアランプ。ショーンは毎日ここでアルバの治癒を行っている。
左にある患者用の椅子は、背もたれ付きの頑丈なクルミ製。右にあるショーンのは、褪せた緋色布が張られたローズウッドの丸椅子だ。
間には、太鼓隊から譲ってもらった古いナラ材の譜面台が置いてあり、その上には、大切なアルバの魔術書、【
視線を移し、左奥の壁を見てみよう。
数百、数千にも及ぶ書物が平積みされて、天井までそびえ立っている。本の多くは、今は帝都にいるショーンの両親が購入したものだ。
ここは埃まみれの本の海だが、中には《哲学者の卵》という錬金術用の水晶製フラスコや、ルドモンド大陸を象った《砂月色の天球儀》など、貴重なオブジェも数点、本の間に鎮座している。
本の手前には、黒檀色の勉強机。汚い羽根ペンや万年筆にインク壺、ノートに書きつけと便箋が何百枚と散乱しており、紐糸で縛った手紙や封書が何十束も積まれていた。
いかにも魔術師然としたこの部屋で、唯一、机の隣の本棚だけは、子供時代の教科書や絵本、ボールに楽器、家族写真など、ごく普通の少年らしいアイテムが飾られている。
床には手紙、雑誌、服、食べかけお菓子の包み紙……。
とりあえず、ショーンの部屋は、汚い。
「この部屋マジで汚いぞ。せめて紙屑だけでも捨てとけよ」
鍛冶屋のせがれのリュカが、ミシッと巨体を揺らして忠告してきた。彼は作業エプロンを付けたまま、丸太のような二の腕を抑えて治療椅子に座っている。
「こんにちは、リュカ」
「うるさいなあ、怪我人は黙ってろよ」
紅葉は無邪気に笑って挨拶したが、ショーンはまだ両手をふって騒いでいた。
「どうしたの。リュカが怪我なんて珍しいね」
「勝手に患者に病状を聞くんじゃない! こいつだって火傷くらいするっ!」
「火傷かあ」
紅葉は、焼けただれたリュカの二の腕を見て「だいぶ酷いね」と呟いた。
彼の目の前にある【星の魔術大綱】のページには、人体と獣の全身図が描かれ、星図のような線の先には、体の各部に対応した治癒呪文が書かれている。
「今日中に治るの、それ」
「だから聞くなって、呪文が乱れるだろ」
「だって、ショーンが治せないと、鍛冶屋のお仕事に支障が出るでしょ」
「別にいいんだって! リュカは鍛冶仕事なんかロクにしてないっ!」
「——お前ら、いいかげんにしろ!」
リュカは2人を怒鳴りつけ、治療椅子がミシッと大きく鳴った。この椅子は、鉱夫の体に合わせた頑丈でビクともしない作りなのだが……リュカにとっては兎小屋みたいな代物だった。背もたれの間からタップリお肉がはみ出している。
「ヒッ!」
日頃、めったに怒ることのないリュカの罵声にびびったショーンは、思わず自分の尻尾を丸めて縮こまった。
「あははっ、邪魔してごめんね、リュカ。ショーンも」
一方、紅葉は彼らを軽くあしらい、その場からクルリと背を向ける。
「はいこれ、差し入れ」
散らかりまくった文机の上に、銀の平盆をポンッと置いた。盆にはなみなみとお茶が入ったティーポットと、2組のカップ&ソーサーが乗っている。
「こらっ、手紙の上に物を置くなよ!」
既にグラグラ揺れている銀盆を、ショーンは慌てて持ち上げた──が、遅かった。
手紙も紙束も耐えきれず、ドシャアン! と見事に床に落ちてしまった。
「今日はショーンの好きなファンロンの緑山茶だよ。じゃあね〜」
周囲に紙が散乱し、呆然と立つショーンに手を振り、紅葉は勢いよく帰っていった。
バタンとドアを閉めた風圧で、封筒がフワリと2、3舞う。
風が、去ったようだった。
「ほら見ろ……いつかお前の方が怪我するぞ」
リュカは火傷した腕をかばいながら、床にかがんで紙を拾い集めるのを手伝った。床にこぼれた万年筆の青インクを、ブランケットでゴシゴシ拭いている。
「うるさいなぁ。今忙しいんだよ」
ショーンは机に積もった埃を、長い猿の尻尾で、器用にサッと一振りして床に落とした。その上に慎重に盆を置き、ティーポットの蓋を開ける。
中のお茶の様子を見ると、予想より濃いめに煮出されてるのに気づいて、クリーム色の丸い羊角を、爪でカリカリ掻きむしった。
「最近イラついてること多いな、一体どうした?」
「しょうがないだろ、思春期なんだよ」
物は積めども、壁には何も貼らない主義のショーンだったが、唯一ベッド脇の壁だけは、紅葉に貰ったミモザのポプリが吊るされている。
群青色になってしまったファンロン州の緑山茶を、ティーカップに注ぎ入れ、彼は壁のミモザの方向を見ながら、しかめ面でグイッと飲み干した。
「しょうがないとか言うな。お前は、この町、唯一の大切な──」
羊の頭角と、猿の尻尾を有する
羊の慎重さと猿の才智を持ち、
ルドモンドで最も叡智に近い種族とされる。
羊猿族、ショーン・ターナー。
両親は共にスーアルバ。
「──アルバ様なんだから」
今年で20歳。アルバになって3年目。
本人曰く、現在思春期中のショーンは、2煎目のお茶を注ぎながら、イライラと長い尻尾を宙に振った。
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16816700427033661560
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