game 13:ドロッセルマイヤーさんのさんぽ神
13-1 『どこで』『なにをする』
ある日の帰り道、
「遊ぶのに、ちょっと時間がかかるゲームなんだよね。それと、
「実験?」
「大須さんが嫌じゃなければ、だけど」
角くんは、その「実験」の詳しい内容は教えてくれなかった。
わたしの体質──ボードゲームの世界に入り込んでしまうというそれは、わたしにとっては面倒なものだ。それのせいで、わたしにとってボードゲームはずっと怖いものだったし、ゲーム自体避けて過ごしてきた。
けど、角くんに誘われて──最初は半ば無理矢理だった気がするけど、一緒にボードゲームを遊ぶようになって、わたしは最近、ボードゲームを楽しんでいる、と思う。
ボードゲームが好きな角くんにとっては、わたしの体質はとても羨ましいものらしい。わたしと一緒に遊ぶとボードゲームの世界に入ることができるから、いつも楽しそうだ。それだけじゃなくて、ずっと避けて考えないようにしていたわたしなんかよりも、角くんの方がわたしの体質のことをわかってるんじゃないかって思うこともある。
だから実験と言われても、角くんは本当にいろいろ考えてるんだな、なんて思っただけで嫌な気分にもならなかった。特に予定もなかったし、わたしは「大丈夫だけど」と頷いた。
休みの日に待ち合わせして、角くんに言われるまま、行き先も知らないまま電車に乗る。その電車の中で角くんが取り出したのが、その日遊ぶボードゲームだった。
角くんの手のひらに収まる大きさの紙の束だった。本のように綴ってあるけど、本というより分厚い単語帳みたいな大きさだ。
青い表紙には、雲に乗って頭の上に輪っかをつけている人──雑な神様の仮装みたいに見える──と、その人にリードを持たれている犬のイラスト。
それから『ドロッセルマイヤーさんのさんぽ神』という文字が印刷されていた。
「これが……ボードゲーム?」
ドア脇の手すりに掴まって、わたしは角くんを見上げた。角くんは、片手で掴んでいた吊り革を離して、その単語帳みたいなページをめくった。
「そう。『さんぽ神』ってゲームで、名前の通りに散歩するゲームなんだ」
「散歩するゲーム」
角くんの言葉の意味がわからなくて、首を傾ける。
「この本の前半は『どこで』、後半は『なにをする』が書かれてる。適当にめくって『どこで』から一ページ、『なにをする』から一ページ選ぶ。それが神様からの『おつげ』で、その『おつげ』の通りに散歩をするってゲーム」
「それって……ゲームなの?」
「ルールがあって、それに従って遊んで面白ければゲーム、ってことみたいだね」
角くんが適当なページを開く。そこには『かっこいいネーミングのものを探そう』と書かれていた。
「そこに書いてあることができたら、勝ちってこと?」
「そうだね。できたら勝ちってことにして遊んでも良いし、別に勝ち負けにこだわる必要もなくて、さんぽして楽しければそれで良いって遊び方もできる」
「それって面白いの?」
角くんは首を傾けて、わたしの顔を覗き込んでくる。
「それは……説明するより遊んだ方が早いと思うよ」
「遊ぶのは構わないけど」
わたしの言葉に、角くんはふふっと笑った。
「実はさ、朝に『どこで』だけめくっておいたんだよね。ええっと……ここ」
そう言って、角くんが開いて見せてくれたページは『「新」がつく地名のところで』というものだった。
「なので今、その場所に向かってます」
「『新』がつく」
それでわたしは、今自分が乗っている路線と、その向かう先に気付いた。
「ひょっとして、『新宿』に行くの?」
「そう。で、そこで『なにをする』かは、大須さんが決めて」
「え、わたし?」
「うん、ストップって言ってね。はい、スタート」
心の準備も何もなく、角くんが指先でページを弾き始めた。わたしは慌てて「ストップ」と口に出す。止まったページを開いて、角くんがわたしに見やすいように傾けてくれる。
そのページには『高級なものを探そう』と書かれていた。
「『高級なもの』か……デパートの中とか歩けば、すぐに達成できそうだけど」
手元のページを見下ろして、角くんはそんなことを呟いた。
「え、デパートの
「じゃあ、あんまり
「高校生にも入りやすいところにしてね、怖いから」
角くんは『さんぽ神』をポケットに入れると、吊り革を掴んで、考え込んでいる顔をする。
「入りやすくて高級なものがあるところ……大須さん、どこか思い付くところある?」
「え、ええと……『高級なもの』でしょ。でも、宝石とかはお店に入るの怖いし、あとは……楽器とか
「入りやすいところってどこだろう。本屋は?」
「本屋……にある
「どうだろう。今までそういう視点で本屋を見たことなかったから……すごく
なかなかしっくりこなくて、二人で考え込んでしまう。目的地が決まらないまま到着してしまうかもしれない、と思うとちょっと焦る。
「あとは、うーん……洋服とか」
角くんの言葉に、わたしは顔をしかめてしまった。
「服って……お店に入ると買わずに出るの勇気必要じゃない?」
「店による、かな。店員さんに捕まるタイプの店だと、難しいかも」
目が合って、二人で笑う。なんの話をしてるんだろうって思ったら、おかしくなってしまった。
「ところでさ、大須さん」
角くんが不意に真面目な顔をして周囲を見回す。見上げたまま続く言葉を待っていたら、角くんはちょっと背中を丸めて、内緒話のように顔を寄せてきた。
「実はもう、ゲーム始まってるんだよね」
囁くような角くんの声に、どういう意味だろう、と瞬きをしてから気付く。
ゲームが始まっているのに、ボードゲームの世界に入り込んでいない。わたしの体質はいつも、ボードゲームを遊び始める前にゲームの世界に入っているのに。
ぼんやりと考えている間も、角くんは囁き声のまま言葉を続けた。
「これが、実験したかったこと」
「え、でも……『おつげ』の場所に到着してからってことはない?」
「わからないけど、でも、多分大丈夫なんじゃないかなって気がしてる」
「どうして……?」
角くんはわたしの顔を覗き込んで、いつもみたいに穏やかに微笑んだ。なんだかわたしを安心させようとしてるみたいで──もしかしたらわたしは今、そんなに不安そうな顔をしてただろうか。
「このゲームはさ、今までみたいに『ゲームの世界』があるんじゃないから。現実の自分がゲームに言われた通りに行動するのが面白さで、そのためには現実の世界を実際に散歩しないといけないんだよね。だから、もしかしたら大丈夫なんじゃないかって思って」
角くんは丸めていた背中を伸ばす。いつもの高さからわたしを見下ろして、首を傾ける。わたしはそんな角くんを見上げたまま、ぽかんと何も言えないでいた。
「例えばなんだけど、街歩きしながら謎を解くタイプのゲームというか、イベントもあるんだよね。そういうのって、実際に街を歩き回ってヒントを集めるっていうのがゲームとして面白い部分なわけでさ。それって、現実の街が『ゲームの世界』になってるってことかなって思って」
「『ゲームの世界』が現実と同じなら、体質は関係なくなるってこと?」
角くんはまた周囲を見回すと、さっきみたいに顔を寄せてきた。今度はさっきよりももっと近い。
電車のドアに背中をつけて、角くんの大きい体に覆われて、わたしは体を竦める。目の前に、角くんの首筋が見える。
角くんはそのまま、わたしの耳元で囁いた。その声がわたしの耳をくすぐる。
「大須さんの体質って『ボードゲームを楽しむ』ものじゃないかって気がしてるんだよね。『世界に入り込んじゃう』っていうのはそのために必要だから起こることで──それがなくても『楽しむ』ことができるなら起こらないんじゃないかな、って考えた」
角くんの言葉は、なんだかわかるような、わからないような。
だって、わたしは体質のせいで怖い思いをすることが多かったから。それが「楽しむ」ものだって言われても、あまりぴんとこない。最近は、楽しいって思うこともあるけど、それでも角くんみたいに「楽しむ」ことができているって気はあまりしない。
角くんが体を起こす。見上げたら、困ったみたいに微笑まれた。
「まあでも、だからどうってわけじゃないんだけどね。ちょっと気になったから、試してみたかっただけで」
角くんはわたしから視線を逸らして窓の外に目を向ける。流れる景色を見て、もうじき新宿だと思う。
「どこに行くかなんだけど、一つ思い付いたところがあって、そこでも良い?」
その言葉に、ボードゲームの途中だったと思い出す。でも今日は、ボードゲームの中に入り込んでいるわけじゃない。いつもは遊ばないと元に戻れないから遊んでるけど、今日はなんで遊んでるんだっけ。
すっかり混乱してしまったわたしは、何も言えないまま角くんを見上げていた。
□ □ □
このお話は、コロナウィルスの流行がなかったものとして書いています。
もともと、コロナウィルスの流行によってボードゲームが遊べなくなったストレスで書き始めたお話でした。なので、このお話の中ではみんな、そんな心配もなくボードゲームを遊んでいます。それは作者の願望、あるいは思い出です。
今回は二人が不特定多数の人混みの中に出かけますが、これはそういう世界なのだと思って読んでいただけると嬉しいです。
また『さんぽ神』というゲームでは、公共交通機関を使うような『どこで』の指定はページの前半にまとまっています。それを避けることで、人混みを避けて遊ぶこともできるようになっています。
それ以外でも無理な『おつげ』のときはページをめくりなおして、気楽に楽しみましょう。
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