11-11 魔術師の虚ろ 前編

 その大きな虫みたいなものが「樹木這いずり」と呼ばれている生き物なのだという。樹上から旅人を襲って、荷物を奪ってゆく。獲物がいると見るや、仲間を呼んでその数を増やす。

 荒らされた木箱を固定し直す間、角くんにそんなことを教えてもらった。


「カドさん、荷物は何持ってかれました?」

「露滴葉。もともと三箱しかなかったから、一箱持っていかれるのきついですね」

「え、荷物取られちゃうの?」


 わたしの声に、兄さんはわたしの護衛の方を見た。護衛の人は今は、樹上を警戒しながら車の周辺を見回っている。


「荷物が持っていかれるのは、戦闘に負けたときだけだよ」

「じゃあ、角くんも兄さんも戦闘に負けたってこと?」


 兄さんが大袈裟に溜息をついた。


「俺の戦力は五点しかないからな。ダイスの出目は最大で『3』だから、どうやっても樹木這いずりには勝てないんだ。こういう時に限って出目が良いんだよな」

「俺なんか戦力三ですよ。振り直しできてもどのみち勝てないから……ほんとこの契約ハズレ」


 眉を寄せて困ったような顔で角くんは笑う。その顔を見上げて、わたしは聞いた。


「わたし、サイコロは『0』だったんだけど、勝ってるの?」

「大須さんの戦力は、護衛が一人で二点、契約の報酬でプラス一点、古の武器が二つでプラス二点、車の戦力──商人ギルドからの派遣で五点で、合計十点かな。ダイスの出目は『0』でも、樹木這いずりの戦力『10』以上になってるから、大須さんの勝ち」


 角くんの説明に、ぴんとこないまま頷いた。いつの間にかそんなに戦力が増えていたのか、と人ごとみたいに思ってしまう。


「バツ印が出たらどれだけ戦力があっても負けだけどね」


 角くんは両手の人差し指を重ねて、バツ印を作った。


「え、そんな出目があるの? じゃあ、わたしもそれが出たら負けてた?」

「そうだね。まあでも、大須さんは『古の武器』で振り直しもあるから」

「でも良かった、出なくて……」


 負ける可能性もあったと聞いて、今更ながらあの時の怖さが蘇ってきた。すぐ目の前に立っていた、大きな虫の顔──思い出してしまった光景を忘れようと、頭を大きく振った。

 ああいったモンスターのようなものも、ある種のホラーだと思う。これがゲームだから大丈夫とわかっていても、慣れることは難しい。


「大須さん、大丈夫?」


 角くんに顔を覗き込まれる。どうやらだいぶ顔に出ていたらしい。わたしは襟を首に巻き直して口元を隠した。


「大丈夫。見た目がちょっと……怖かったけど。直接襲われたとかじゃないし」


 角くんはまだ心配そうな顔をしているから、わたしのその言葉はきっと、角くんにあまり信用されていない。それでも他にどうしようもなくて、わたしは顔を全部隠してしまいたくなる。

 角くんは目を伏せて、小さく溜息をついた。


「できるだけサポートするなんて言ってたのに、ほとんど一緒にいられなかったし」

「だって、角くんもプレイヤーなんだから、それは仕方ないよ。それに今回は、護衛の人もいたから大丈夫だったし」


 突然、角くんの両手がわたしの肩を掴んだ。


「『護衛』って」


 その勢いに戸惑って、瞬きをして角くんを見詰め返す。何も言えないでいる間に、角くんが勢いよく喋り出した。


「『護衛』ってさ、前も言ったけど名声としては効率が悪いんだよ。それに、戦闘ってあるかどうかわからないからさ、大抵の場合は戦力って無駄になるし、仮に負けても商品を一箱二箱失くす程度だから……まあ、そりゃ商品が減るのは痛手ではあるけど、でもその程度なんだよね。だから、『護衛』って、本当はそんなに必要なくって」


 角くんの表情は真剣だった。けど、何が言いたいのかはよくわからない。

 わたしが『護衛』を雇ったのが間違いだったって話なんだろうか。でも、今回の戦闘では戦力がぎりぎりだったから『護衛』の人がいなかったら勝てなかった、はず。

 疑問はあったのだけど、角くんの勢いに呑まれて、わたしは何も言えなかった。


「ゲームだと『護衛』トークンていう名前なんだよ。だから、今は人に見えるけどNPCみたいなもので……」

「カドさん、多分それ何も伝わってないです。やること『護衛』ディスじゃなくないですか?」


 兄さんの声に、角くんはびくりとわたしの肩を離した。兄さんは大きな溜息をついてわたしを見た。


「瑠々はこの後、カドさんの車に乗っておけ」

「どうして?」

「怖い思いしたんだろ。カドさんと一緒にいとけよ」

「でも、車は?」


 兄さんは小さく「めんどくせえ」と呟いた。独り言のつもりだったのかもしれないけど、それはとてもはっきりと聞こえてしまった。


「大丈夫だろ『護衛』もいるんだし。それに、今回の『遭遇』イベントはもう終わったんだから、次の『魔術師の虚ろ』まで何も起きないはずだ」

「兄さんは? どうするの?」

「はあ? 俺は自分の車に乗るよ。この状況で同席とか嫌だよ。瑠々だって、俺と一緒は嫌だろ」

「え……それは……」


 どうして良いかわからないまま、返事できないでいるうちに、兄さんはすがめた目を角くんに向けた。


「じゃあ、カドさんは瑠々をよろしく」

「え、いや、でも……」


 角くんがうろたえて、兄さんとわたしの間で視線を彷徨さまよわせる。


「良いからとっとと行けよ、めんどくせえ」


 兄さんのその声は、今度はもう呟きではなく、はっきりと口に出したものだった。それでわたしは、残りの道のりを角くんの車で過ごすことになった。

 角くんと二人で車に揺られながら、お喋りをする。達成した契約のこととか、ここまでの景色とか、そんなこと。

 思い返せば、このゲームを始めてからずっと移動の間は一人だった。駐留地に到着した後も、最初は角くんに相談しながら進めていたのに、気付けば別行動でほとんど顔を合わせていなかった。同じ景色の中にいたのに、それもあまり共有できていなかった。

 車の外に見える新しい景色を眺めたりもした。森が途切れてもまだ山が見えて、遠くの山の形を指差して、なんだか二人で笑ってしまったりも。

 笑いながら、わたしがこのゲームをなかなか楽しめなかった理由がわかった気がした。考えることが多くて難しいのも、もちろん理由の一つ。でもそれだけじゃなくて、きっとわたしは一人で心細かったんだと思う。




 山がえぐられたような景色だった。この土地の人たちはぽっかりと丸く空いた空間を取り囲む岩肌に暮らしているらしい。岩肌を削って作られた道、その道を上下左右に繋げる階段、どうやら岩肌を掘った中が建物になっている。

 そんな岩肌に囲まれた広場に車を並べて停めて、ぽかんとその景色を見上げた。岩肌に作られた道や階段を人が行き来しているのが見える。

 兄さんがさっさと歩き出して、角くんに声をかけられて、慌てて追いかける。商人ギルドは岩肌の地面に一番近いところにあった。

 いつものようにアルマナックに情報を描き出してもらって『取引許可証』を受け取る。兄さんが久遠氷と露滴葉を一箱ずつ受け取るのもいつものこと。

 今回は角くんが『雲の修道会』で預かった書簡を渡して、代わりに金貨十二枚を受け取る。


「で、この『魔術師の虚ろ』でのルールだな」


 兄さんの車に集まって、アルマナックのページを開いて、いつものように兄さんのルール説明を受ける。


「ここは、これまでと違ってそんなに大変じゃない。まあ、別の意味で大変なんだけど」


 兄さんのもったいぶった言葉に首を傾ける。


「ここでは、取引の場所を直接訪れない。代わりに、その間の通路に立って取引をする。通路で話すと、その両隣……あるいは上下だな、その場所の取引ができる」

「どういうこと?」


 わたしが首を傾けると、兄さんはアルマナックのページを指差した。


「例えば……ここで『契約の達成』ができるな。その隣のここは『隊商の拡張』ができる。この間の場所に立って取引するんだ。そうすると、この二箇所の取引が一度にできる。取引はどっちから解決しても良い」

「二箇所で取引するのに、『取引許可証』は一枚で良いの?」

「そうだ」


 わたしは瞬きをして『魔術師の虚ろ』の地図を眺めた。取引の情報がたくさん並んでいる。これまで訪れた駐留地では、見た目以上にできることが少なかった。けれど、ここではきっと見た目以上にできることが多い。


「ここでのルールは以上だな」

「え、これだけ?」

「そう、これだけ。あとはここでどれだけ効率良く稼げるか、だ。次は『ドラゴンの都』だから、それにも備えないといけない」

「備えるって……何をするの?」


 わたしの言葉に、角くんは自分のアルマナックのページをめくって、見せてくれた。それは『辺境の村』の情報で──なんだか少し懐かしい気持ちになった。


「『辺境の村』だと、商品は一箱で金貨三枚とか四枚の価値だったよね。でも、この『魔術師の虚ろ』だと」


 角くんの指先が、今度はわたしのアルマナックのページを叩く。そこに書かれている取引は『飛空魚の売却』で、その価格は一箱で金貨七枚だった。


「商品によっては金貨六枚や七枚になる」

高価たかくなってるってこと?」

「そういうこと。『ドラゴンの都』に近付くにつれ、商品の値段は上がる。『ドラゴンの都』ではもっと高価たかく売れる。だから、それに備えて商品を揃えておいた方が良いってこと。もちろん『ドラゴンの都』でも商品の仕入れはできる。でも、到着した時に荷台が空っぽじゃなければ、空っぽのプレイヤーよりも取引の選択肢が広がるよね」


 わたしは『魔術師の虚ろ』の情報を眺める。できることが少ないのも大変だったけど、こうやって多すぎる中から選ぶのも大変そうだ。

 黙り込んでしまったわたしの顔を、角くんが覗き込んでくる。


「たくさんの商品を仕入れて、そのまま売りさばいて、今までよりもずっとたくさんのお金が手に入るんだ。楽しいよ」


 そう言って角くんはにっこりと笑ったけど、わたしはまだ不安が大きくて、やっぱり何も言えなかった。

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