11-8 坑道 後編
わたしの次の取引は『露滴葉の売却』だ。一箱で金貨五枚分。露滴葉は契約でも使わないし、持っている四箱を全部売ってしまおうとして、ふと思い直す。
売りに出されている車を確認したら、中に一つ露滴葉が必要なものがあった。どの車を選ぶことになるかはわからないけど、一箱は残しておいても良いかもしれない。それでも、三箱で金貨十五枚。
売却の書類にサインして、大きな五金貨を三枚も受け取る。すごい大金を手に入れてしまった気分に、少しどきどきする。
「大須さん、お疲れ様」
取引を終えたところで、角くんに声をかけられた。わたしの次は角くんの番だから、きっとわざわざわたしを待っていてくれたんじゃないかと気付いた。
見上げたら、角くんは心配そうな顔をしていた。その表情を見て、何か言わなくちゃと口を開く。
「うん、次は角くんの番だよね。その……頑張って」
わたしの「頑張って」という言葉が今の角くんに適切なのかはよくわからない。それでも角くんは、いつもみたいに穏やかに笑ってくれた。角くんはなんだかいつも通りで、少しほっとする。
「ありがとう。俺はまた下に行っちゃうから……今回はあんまり話せなくてごめん」
「そんなにすぐに下に行って大丈夫なの?」
「んー……やりたいことを考えると、この順番になっちゃうんだよね。詳細は秘密だけど」
角くんが目を細めて、にいっと笑う。冗談めかした動作で、ぴんと立てた人差し指を唇に当てた。その言葉で、わたしが角くん──つまり他のプレイヤーの次の行動を聞くのはよくないことだった、と思い至る。
「あ、ごめん。そういうことを聞きたかったわけじゃないけど」
「大丈夫。俺より大須さんは大丈夫? 次に何するかは決められそう?」
「お金が手に入ったから……」
そこまで言って、わたしが角くんに自分の行動を伝えるのもよくないのかな、と気付く。今更なのかもしれないけど。
わたしはそっと角くんを見上げた。角くんの真似をして、人差し指を立てて唇の前に持ってくる。
「それ以上は、わたしも秘密。大丈夫だよ」
「なら良いんだけど」
角くんは何か言いかけてやめたみたいに少し黙ってしまった。困ったように視線を逸らして、またわたしの方を見た時には、いつもと同じように微笑んでいた。
「頑張って。俺はもう行かなくちゃ」
それだけ言って、角くんは下の層に行ってしまった。
角くんは四百メートルの層に降りて『炎胡椒の売却』をした。その後兄さんが三百メートルの層まで降りてきて『隊商の拡張』。本当は、わたしも次に『隊商の拡張』ができたら良いなと思っていたんだけど、仕方ない。
それでわたしは、三百メートルの層に止まったまま『古の武器』を買いに行った。『古の武器』は、この『坑道』の奥から発掘されたもので、金貨二枚で購入できる。『護衛』の戦力と名声を一ずつ増やせるのだそうだ。複数の『護衛』を雇っていたら、その全員。
持ち運ぶのに商品一箱分の荷台のスペースを使ってしまうけど、『坑道』でしか手に入らないものだし、『護衛』が強くなるなら悪くないんじゃないかって気がしていた。
それに、次の『隊商の拡張』は五百メートルの層にある。『契約の達成』も。わたしの『取引許可証』は後四枚もある。ここで五百メートルの層まで降りてしまって、ちゃんとそれが使いきれるのか不安だ。
だから、少し寄り道をする気分で、わたしは『古の武器』を購入した。
角くんはさらに六百メートル層まで降りた。そこで『久遠氷二箱の仕入れ』をする。七百メートルが最下層なのに、大丈夫なんだろうか。
兄さんは逆に、三百メートル層に留まった。『飛空魚二箱と炎胡椒一箱の仕入れ』をして、荷台の木箱を増やす。
わたしはその次で、思い切って五百メートルの層まで降りて『隊商の拡張』をした。『契約の達成』にしようかと思っていたのだけど、兄さんに「達成してない契約を持っているのはお前だけだ」って言われた。
つまりそれは、『契約の達成』は角くんや兄さんに先を越される心配をしなくて良いってこと。だから、後回しでも大丈夫。
金貨四枚と久遠氷と露滴葉を支払って、新しい車を手に入れる。木箱三箱を積めるし、これでまた『取引許可証』も増えた。行動回数が最大の六回になったのも嬉しい。
みんなの三回目の取引が終わって、四回目の取引。
角くんは六百メートル層にある『隊商の拡張』の取引を選ぶ。それで角くんも『取引許可証』が増えて、後一回行動できるようになった。
アルマナックの情報を見て考える。最下層でできるのは『契約の締結』。角くんは最後の取引で、それをするつもりなのかもしれない。
けれど、次の兄さんの順番で、それまで三百メートルの層にいた兄さんが、一気に七百メートルの最下層まで降りていった。そこで、兄さんは『契約の締結』の取引をする。
兄さんは、もう一枚『取引許可証』があったはずなのに。一回の行動を無駄にしたということ? 無駄にしても良いものなんだっけ?
混乱はしたけど、わたしのやることが変わるわけじゃないということに気付いて、少し落ち着いた。わたしはずっと『契約の達成』がしたかったから、それをすれば良いはず。
大隊商隣人同盟との契約は、久遠氷二箱、炎胡椒一箱、飛空魚一箱。ちゃんと揃っていた。契約書に受領印が押されて戻ってくる。
この契約の報酬は「他のいずれかの商人が商品の売却取引を
もうちょっと早く達成できていたら、さっき角くんが『炎胡椒の売却』をした時にも金貨が一枚増えていたのか、と今になって気付いた。
次に角くんが最後の取引で、六百メートル層にある『露滴葉二箱の仕入れ』を選んだ。その次の兄さんは、もう取引できない。
そしてわたしは、まだ二枚の『取引許可証』を持っていた。けれど、残された取引は五百メートル層の『露滴葉の売却』と六百メートル層の『古の武器』だけだった。
わたしはさっき『隊商の拡張』で残っていた露滴葉も全部使ってしまったから、もう『露滴葉の売却』はできない。選べるのは『古の武器』だけだ。『古の武器』は一つ購入しているし、二つ目は買うつもりなかったんだけど、他に取引できるところがないから仕方ない。
なんだか失敗した気がすると思いながら六百メートルの層まで降りたら、角くんがそこで待っていてくれた。
「大須さん、今回はあんまりフォローできなくてごめん」
いつもみたいに角くんを見上げる。あまり動揺を思い出さずに話せるのは、『坑道』の中が薄暗いせいかもしれない。それとも単純に、時間が経ったせいかも。
わたしは首を振って角くんに答えた。
「えっと、大丈夫。その……だって、角くんもプレイヤーなんだし。わたしは大丈夫だよ。一人でも考えられたし。大変だったけど」
「それなら良いんだけど」
そう言って、角くんは溜息をついた。角くんは角くんで、だいぶ悔しそうな顔をしている。
「角くんはやっぱり『契約の締結』するつもりだったんだよね?」
「そうだね。いけると思ってたんだけど……まさか行動一回捨てるとは思ってなかったから。いやでも『契約達成』して『隊商の拡張』をするにはこれが最短……売却を諦めたら良かった? いやでもそうすると次のガイドが」
角くんがこんなふうにぐるぐると悩んでいるのも珍しい。いつもわたしにはすぱっと状況を整理して見せてくれるし、「大丈夫だよ」って穏やかに言ってくれてるのに。
わたしも角くんみたいに「大丈夫」って言ってあげられたら良いのかもしれないけど、わたしの言葉は角くんの「大丈夫」とは違ってなんの根拠もないし気休めにもならないだろうから、何も言えなかった。見当違いなことだったらどうしようって、臆病に引っ込んでしまったわたしを許して欲しい。
「ともかく、取引に行ってくる。これで最後だよね」
「あー……『古の武器』二つ目?」
「二つ目。こんなことなら、一つ目買わないで別なことしておけば良かったって思ってる」
わたしの言葉に、角くんはいつもみたいに微笑んだ。
「そういうのって後からだとなんで気付かなかったんだろうって思うんだよね……でもまあ、そういうのもボドゲの楽しさの一つかも」
「うまくいかないのが?」
わたしの言葉に、角くんは少しだけ考えてから答えてくれた。
「それもあるし、そういう自分の判断を思い返してあれこれ考えることが、かな」
そう言って、今度は何を思い返したのか、ふふっと笑う。角くんは本当に、ボードゲームのことになるとなんでも楽しんでしまう。いつもの角くんでほっとする。
それと同時に、わたしはこんなふうには楽しめていない、と思ってしまった。うまくいかないことをどうやって楽しんだら良いんだろう。
地上に出たら眩しくて、なんども瞬きをしてしまう。両手を上げて大きく伸びをする。ずっと暗くてひんやりしたところにいたものだから、気付かないうちに体がこわばっていたみたいだった。
体にぶつかってくる風と暖かな日差しに、緊張がほぐれる。
そして、出発だ。次のガイド役も角くん。角くんは『書簡』を届けないといけないし、ずっとガイド役を続けるつもりなのかもしれない。
商人ギルドから派遣されてきた人たちが出発の準備を進める中、角くんと兄さんが立ち話をする。
「ワーカー無駄にする判断、よくできましたね」
角くんの言葉に、兄さんはにやにやと笑った。
「ワーカー残ってたところで他にできることがあまりないから、それもありかなって判断」
「悔しいな。スタートプレイヤーで、手数を考えても取れるって思ってたから。ほんと悔しい」
「でも、カドさんは『契約の達成』して『隊商の拡張』して、合間に金策もして、これ以上手数減らせなかったですよね。だからそれで『契約の締結』もっていうのは、欲張りすぎってことですよ」
角くんは『契約の締結』ができなかったのが、よほど悔しかったらしい。その後もしばらくの間、あそこであのアクションが、あのタイミングだったら、とあれこれ話し込んでいた。気付けば『雲の修道会』での出来事まで遡っている。角くんと兄さんは、いつもこんな感じなんだろうか。
出発の準備が終わったらしい。『護衛』の人に声をかけられて、わたしは一足先に車に乗り込んだ。
車の中から立ち話している二人を眺める。角くんは悔しそうだけど、でも楽しそうだ。兄さんだって、笑ったり考え込んだり、表情を変えながら喋り続けている。強い風が吹いて、ざわざわと草が揺れる。角くんと兄さんの上着も大きく膨らんだ。
その景色を眺めながら、いつもはわたしが待たせているんだからこういう時はわたしが待てば良いか、なんて思った。自分もその話に入れないことが、少し寂しいような気もしていた。
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