11-7 坑道 前編

 幸いなことに、道中で戦闘に『遭遇』することはなかった。飛空魚の群れに行き合った時のような、びっくりすることも。

 代わりに『遭遇』したのは、放置された壊れた荷車だった。車輪に大きな歯型が残っていて、きっと誰かが何か大きなものに襲われて、それで元の持ち主は荷車を置いて逃げ出したのだろうと、護衛の人が教えてくれた。その大きなものと遭遇しなくて良かった、と息を吐く。

 人夫の人たちが、荷車の残骸の中から無事な木箱を引っ張り出して並べていた。


「勝手に持っていっちゃって大丈夫なの?」


 不安になって聞けば、兄さんは肩をすくめた。


「ゲーム的には荷車に残った無事な商品を獲得できる運の良いイベントってことだ」

「そう、大丈夫だよ」


 角くんはそう言って、どの木箱を自分の積荷にするかを選び始めた。ガイド役の人から選んで良いらしい。

 角くんは「炎胡椒二箱」を選ぶ。次は兄さんで「久遠氷一箱」を選んだ。兄さんは荷台に余裕がなくて、苦い顔をしている。

 わたしは「飛空魚二箱」か「露滴葉一箱」のどちらかを選べるらしい。とは言っても、荷台の空きはあと一箱だ。飛空魚二箱を拾っていくなら、何かは捨てていかないといけない。でもここで露滴葉を拾うと、露滴葉が四箱になってしまう。そんなに必要だろうか。

 こんなところでもすぐに決められなくて、ぐずぐずと迷っていたら、角くんがそっとアドバイスをしてくれた。


「次に行く『坑道』は、露滴葉の価値が高いところだよ。高価たかく売れる」


 角くんの言葉に、小さく頷きだけを返す。

 飛空魚でも露滴葉でも、契約には関わらない。どちらも変わらないならそれで良いかと、わたしは「露滴葉一箱」を選んだ。それでもう、荷台はいっぱいだ。




 たくさんの荷物を載せて『坑道』に辿り着く。商人ギルドで『取引許可証』を受け取って、アルマナックの新しいページに情報を描き出してもらう。

 兄さんは契約達成の報酬として、久遠氷と露滴葉を一箱ずつ受け取って、荷台に載せきれずに久遠氷を一箱捨てていた。


 坑道は、広い洞窟だった。深くまで続いているらしい。ここを下に降りながら取引をするのだそうだ。


「一度下の階に降りたら、最後に降りきるまで上には戻れないから気をつけろよ」

「え、それ大丈夫なの?」


 兄さんの言葉に眉を寄せる。

 坑道の中は暗くてじめっと冷たいけれど、人も多くて意外と賑やかだ。ぽつりぽつりと灯る明かりを頼りに進めば、そんなに怖くはないのかもしれない。そう思っていたのに、戻れないと聞くと不安になる。


「大丈夫だよ。最後にはちゃんと戻れるから。ゲーム的には一方通行ってだけ」


 角くんがアルマナックを開いて、ページを指差す。


「百メートルの層、二百メートルの層、って感じで一番深いところが七百メートルの層なんだ。で、例えば、二百メートルの層で取引した場合、その次は同じ二百メートルの層か、それより下の層でしか取引ができなくなる」


 角くんの指が、ページの上でだんだんと深い層に潜ってゆく。一番下の七百メートルの層でできる取引は一つだけ。


「この、一番下の層の取引は何?」


 わたしの疑問に、今度は兄さんが答える。


「これは『契約の締結』。契約を結んで、新しい『契約書』を手に入れる取引だ。まあ、『契約書』を二枚持ってると新しい契約は締結できないから、瑠々は先に『契約の達成』をしないと駄目だけどな」

「でも、達成できなかった『契約書』はマイナス点なんだよね。大丈夫なの?」

「契約で手に入る名声点はでかいし、報酬も強力なものが多い。駐留地はこの『坑道』で三箇所目、ゲーム的に言えばあと三ラウンドもあるわけだし、達成は余裕だろう。俺はもう二枚とも達成してるから、新しい『契約書』がある方がありがたいよ」


 わたしは自分の『契約書』の内容をそっと確認する。わたしが持っている二枚は、手に入る名声が二十三点と二十七点だった。二枚とも達成できれば五十点。


「『契約書』一枚で、二十点とかそのくらいの差がついてしまう?」

「そういうことだ、ちゃんとわかってるんだな。契約の内容によっては、三十点くらいの差になる」


 ひょっとして、角くんも『契約の締結』をしたいと思っているのだろうか。そう思ってそっと角くんを見上げると、目が合ってしまって、慌てて顔を伏せる。

 わたしも『契約の締結』を狙った方が良いんだろうか。でもその前に『契約の達成』をしないといけないんだった。それにそもそも『契約の締結』は、一番下の階層での取引だ。


「これ、もしいきなり『契約の締結』の取引をしたりしたら、その後の順番はどうなるの?」

「瑠々はそもそもできないだろ。まあ、仮定の話をするなら、初手で七百メートルの層で取引をしたら、それ以降可能な取引はもうないから後は何もできないな。『取引許可証』がどれだけあっても、全部無駄になる」

「そっか。じゃあ、いきなり『契約の締結』をしにいく、というのはできないってこと?」

「できるけど、普通はやらない。行動回数が無駄になるからな。そこが厄介なところだ」


 口では厄介だと言いながら、兄さんはにやにやと笑って言葉を続けた。


「『取引許可証』は無駄にしたくないから、できれば階層はゆっくり降りた方が良い。でも、ゆっくりしてたら下の階層の取引が他の人に先を越されてしまうかもしれない。かといって、急いで階層を降りると、今度は取引ができなくなってせっかくの行動回数が無駄になる可能性がある。そういうジレンマを楽しむルールってことだ」


 思い返せば『辺境の村』も『雲の修道会』もずっとこんな感じだった気がする。

 つまりこれは、角くんがよく言う「悩ましくて楽しいボードゲーム」なんだ。駐留地が変わると新しいルールが出てきて、またそれに悩まされる。そんなことに、わたしは今になってようやく気付いたのだった。




 最初はガイド役の角くんから。角くんはいきなり三百メートルの層まで降りて『契約の達成』の取引をした。いきなり三百メートルまで降りて大丈夫かと思ったけど、百メートルと二百メートルの層はほとんどが商品の仕入れの取引ばかりだ。

 角くんは降りてゆく前に「荷台に余裕がないんだよね」と言っていたから、先に商品を減らしたかったんだと思う。でも、仕入れができる取引は、それより下の層には少ない。

 そして、状況はわたしも同じだった。荷台はいっぱいで、まずは商品を減らさないといけない。でも、もう一つある『契約の達成』は、五百メートルの層にあって、いきなりそこまで降りたら、他にできることがなくなってしまいそうだ。

 わたしがアルマナックのページを見て悩んでいる間に、兄さんは百メートルの層で久遠氷を売却した。一箱で金貨四枚。

 兄さんの取引が終わっても、わたしはまだ自分の行動が決まらない。一人で考えなくちゃと、気持ちばかりが焦って立ち竦んでしまう。

 自分の取引を終えた兄さんが呆れたような顔で近付いてきた。何を言われるのかと身構える。


「瑠々は荷台がいっぱいだから、仕入れは意味がないだろ」


 その言葉に、睨みあげて言い返す。


「そのくらいはわかるよ。ただ、どこに行くか迷ってるだけ」

「商品を減らすなら、三百メートル層の『隊商の拡張』か『露滴葉の売却』のどちらかだな。まあ、二百メートル層の『商店』に行って、一箱金貨三枚に換金する手もあるけど、効率が悪い」


 無遠慮な兄さんの手が、わたしが持っているページの上を指差した。


「『坑道』には『隊商の拡張』は三箇所あるから焦る必要はない。それに三百メートル層の『露滴葉の売却』は、一箱金貨五枚だ。これが下の層に行くと、売却価格が金貨四枚になる。売却するつもりなら、早い方が良い。だいたい、さっきの『遭遇』で露滴葉を選んだのは売却のためじゃなかったのか?」


 兄さんの言葉に、瞬きをする。てっきりまた「いつまで悩んでるんだ」とか、そういうことを言われると思っていたから。

 わたしが黙っているからか、兄さんは溜息をついて、手を引いた。その手を宙で彷徨さまよわせて、行き場がなくなったみたいに、耳の脇を搔き上げる。


「その……きつい言い方して悪かったよ」


 そっと見上げる。兄さんの顔は角くんよりも低い位置にある。今は不機嫌そうに横を向いていた。兄さんは本当に、照れた時にこういう顔をするのをやめたら良いのに。

 わたしは小さく息を吐いた。


「わたしも、いつも言い方きついと思う。ごめん」

「そうだな」


 兄さんは苦笑して、また溜息をついた。


「瑠々はボドゲが好きじゃないから、もっとイヤイヤ遊んでるのかと思ってたんだよ。それをカドさんがなだめながら、無理矢理ゲーム進めてんのかなってさ。でも、案外ちゃんと考えて遊んでるんだな」

「それは……」


 それはきっと角くんがいるからだ。角くんがわたしをプレイヤーとして扱って、考えさせて、わたしが答えを出すまで待っていてくれるから。だから、わたしが角くんになだめられてボードゲームを遊んでいる、というのは正しいのかもしれない。

 でも、それを口に出すのがなんだかできなくて、わたしはそのまま黙ってしまった。兄さんは気にせずに話を続ける。


「でも、だ。こういうゲームで誰かが考えている時間ていうのは、他のプレイヤーにとっては待ち時間なんだよ。ある程度なら待てるし、待つ。初心者なら仕方ないとも思う。それに俺だって、他の誰だって、長考したい時はある。重要な局面とかな。けど、毎回毎回長考されると、プレイ時間が伸びて疲れてくる。長めのゲームは特に、な」


 今までのほとんどのゲームは、プレイヤーはわたしだけで角くんは隣で見てくれているだけだった。角くんは前に「他のプレイヤーはコンピューター対戦みたいなもの」なんて言っていた。わたしも他のプレイヤーがいるってことをあまり考えていなかった。

 だから、他のプレイヤーを待たせているって状況に、こうやって言われて今、初めて気付いた。


「ボドゲはさ、プレイヤー全員の時間を使う贅沢な遊びなんだよ。だから、参加した全員が楽しまないといけないって俺は思ってる。そのためには、ゲーム進行を停滞させるようなことは、できるだけ避けたい。まあ、俺も瑠々に対してはそういうことを何も言わずに煽るような言い方したし、瑠々がちゃんと考えたいんだっていうのを信用してなかった。それは悪かったと思ってる」


 兄さんの言葉に、わたしは大人しく頷いた。兄さんは兄さんで、ボードゲームを楽しんで遊ぼうとしている、というのはわかったから。自分の態度も悪かったと思ったから。


「だからまあ……今は待つよ、長考も。身内の集まりなら、まあそういうのもアリだろ」

「えっと、うん……ありがとう」


 開いていたアルマナックを閉じて抱えると、わたしはきちんと兄さんと向き合った。


「じゃあ、わたしは下の層に行ってくる」

「そうだな。カドさんによろしく、一人で心配してるだろうから。俺もまあ、次は降りると思うけど」


 壁にぽつりと灯る明かりを頼りに歩き出したわたしに、背中から兄さんの声がかかる。


「長考は待つけど、手加減はしないからな」


 足を止めて振り返る。兄さんは不機嫌そうな顔で、壁の明かりを見上げていた。照れた時にこういう態度をするの、やめたら良いのにと思う、本当に。

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