11-5 雲の修道会 前編
鳥のようなものは、生きた飛空魚の群れだった。金の鱗に金の羽根。車の中にも外にも金の羽根が散らばって気を失った飛空魚がたくさん落ちている。角くんが体を起こしたとき、その上からも、とさりとさりと飛空魚が落ちていた。
道で出会うのは珍しいらしい。人夫の人たちがそれをかき集めて、すぐ次の村に持ち込んだ。
「今のが『遭遇』イベントだよ。今回のはノーコストで飛空魚か金貨が手に入るもので、悪いイベントじゃないんだけど……びっくりしたよね」
角くんの声はいつもと変わらない調子で穏やかだったけど、わたしはなんだかまだ動揺していて、いつもみたいに見上げることができない。長い襟を首に巻きつけて口元を覆って、それでも足りなくて引っ張り上げて鼻の頭まで隠す。
だから角くんがどんな表情をしていたのかはわからない。そのまま、角くんも黙り込んでしまった。
「このまま商品として飛空魚を一箱持っていくか、ここで売って金貨五枚にするか、選んで良い。ちなみに、ガイド役はこういう時にも有利で、俺だけは飛空魚二箱か金貨八枚のどちらかを選べる」
兄さんの説明に、ちらっと兄さんの方を見て頷いた。兄さんは飛空魚二箱を商品として持っていくことにしたらしい。兄さんの荷台に黄色いマークの木箱が二箱載せられる。
わたしの車の荷台には、飛空魚が二箱ある。他には久遠氷が二箱と、炎胡椒が一箱。荷台に余裕はあるけど、飛空魚をこれ以上増やさなくても良いんじゃないだろうか。今は金貨の方が欲しい気がする。
自分の判断に自信がなくて角くんに聞きたくなったけど、やっぱりまだ顔を上げられなくて、わたしはそのまま飛空魚を売って五金貨を手に入れた。平ったい四角い形をしたそのお金は、一枚で小さな六角形の金貨五枚分の価値があるものらしい。
角くんも飛空魚を売っていた。角くんはわたしよりも所持金が少なかったはずだから、それでお金の方を選んだのかな、と考えた。答え合わせをするのもできなくて、わたしはそのまま自分の車に乗り込んだ。
そう、ちょっとびっくりしただけ。だから、少し時間が経てば大丈夫。いつも通りにできる。自分にそう言い聞かせながらクッションに沈んだけど、それでさっきのことを思い出して飛び起きてしまった。
さっきは車の中にも飛空魚は入ってきて、だから角くんはそれから庇ってくれただけなんだと思う。わたしに覆いかぶさった角くんの体には、どこかにぶつかって気絶したらしい飛空魚が落ちてきていたし、もしかしたら角くんの体にもひどくぶつかっていたのかもしれない。角くんが来てくれなかったら、そうやってぶつかられていたのはわたしだった、はず。
何より、きっと角くんはわたしを心配して来てくれた。だというのにわたしは、お礼も言えなかった。
そう思っていてもなかなか動揺は落ち着いてくれなくて、わたしは抱えたクッションに顔を埋めた。
山道を登り、霧とも雲ともつかないもので視界が悪くなったその先。急に視界が晴れて、突然雲の上に連れてこられたような気分になる。
進む先に、
人の姿も見えるけれど、なんだかひっそりとしている。ざわりざわりと囁き声も聞こえるけれど、それは風の音に紛れて飛んでいってしまう。
「忘却の修道院という人たちがいて、ここはその修行の場なんだって」
到着したらまずは商人ギルドに報告して、この駐留地での『取引許可証』を受け取らないといけない。その道すがら、角くんがひそめた声で、そう教えてくれた。
わたしはそっと角くんを見上げる。目が合って、なんだかまだ恥ずかしくなってしまって、顔を伏せてしまった。
商人ギルドで『商人ギルド登録証』を見せて、馬を預けて、車を止めて、商人ギルドから派遣されてきた人夫の人たちとはここで一度別れる。
兄さんが『登録証』を差し出せばギルドの人は別の人に何か指示をして、兄さんの車にだけ久遠氷が一箱届けられる。それが『辺境の村』で達成した契約の報酬らしい。
ギルドの人に言われて、アルマナックを取り出す。『辺境の村』のページから更にめくって、新しいページを差し出すと、ギルドの人はインクをたっぷりつけた羽ペンを持ち上げて、それをページの上にかざした。ぽたりとインクが落ちてページに染みを作る。そこにふうっと息を吹きかけると、インクが広がってページに模様を描き出す。
黒いと思っていたインクはページの上で様々に色を変えて、まっさらだったページの上に、あっという間に『雲の修道会』の地図と情報が描き出された。
アルマナックが返されるのと一緒に、この駐留地での『取引許可証』も受け取る。兄さんは三枚。わたしと角くんは四枚。
それでゲームが始まるのかと思ったけど、兄さんがまたルール説明をするというので、みんなで一度兄さんの車に集まった。
「この駐留地での取引の状況はこんな感じだ」
さっき商人ギルドで書き込んでもらったページを開いて、兄さんがそう言った。
大きなドーム状の建物の中は、大きな広間になっている。そこで、修行や儀式が行われているらしい。その建物の周囲を囲むように、商売のための露天スペースが設けられている。四角く区切られて並んだそこも、雲の修道院の人たちが管理するスペースなので、彼らの戒律に従わなければならない。
「雲の修道院の戒律は孤高……まあ、これはフレーバーだから、気にしなくて良い。要するに、ここでだけ通用するルールがあるってことだ」
「ルールって……『辺境の村』の『同じギルド小屋で二回は取引できない』みたいな?」
「そうだな。この『雲の修道会』では『隣り合ったスペースでの取引はできない』というものになる」
兄さんの指先がページをとんとんと叩くのを見ながら、兄さんの言葉を理解しようと考える。隣り合ったスペース?
わたしが黙り込んでしまったから、兄さんは眼鏡のフレームの奥で、呆れたように目を
「最初は好きなところを選んで良い。でも次からは、それ以前の取引の、上下左右隣り合ったスペースでの取引ができなくなる」
「え、兄さんが最初にどこかで取引したら、その後みんなその隣で取引できなくなっちゃう?」
「ああ、いや、自分の取引だけだ」
わたしは、アルマナックのページに描かれた取引の並びを見る。左上の方に『隊商の拡張』のスペースがある。その右隣は『露滴葉二箱と久遠氷一箱の仕入れ』で、下の隣は『露滴葉二箱と飛空魚一箱の仕入れ』。
わたしは、『露滴葉二箱と久遠氷一箱』のスペースを指差した。
「例えばなんだけど、わたしがここの取引をしたとすると、わたしはもう隣の『隊商の拡張』の取引ができない?」
「合ってる」
「けど、わたしがここの取引をしても、兄さんや角くんは隣の『隊商の拡張』の取引ができる?」
「合ってる。考えなしに取引してると、取引できる場所がなくなるかもしれないからな、気を付けろよ」
取引できるスペースが、見た目よりもずっと少ないってことだ。わたしはページを見たまま、また考え込んでしまった。
「それと『雲の修道会』だけの特別なルールがもう一つ」
「まだ何かあるの?」
隣は駄目というのだけでも大変なのに、これ以上何かあるのかと、わたしは眉を寄せて兄さんを見た。
「こっちはルールというか、ここでしかできない特別なアクションだな。ここと、ここ。この場所はゲーム的には『書簡』アクションと呼ぶ。ここで『雲の修道会』からの特別な依頼を受けることができる」
「『書簡』……手紙ってことだよね?」
「そうだな。ここで取引をすると依頼を受けたということになって、『書簡』を受け取る。受け取った『書簡』には宛先がある。その宛先の駐留地に無事届けることができれば、報酬として金貨十二枚がもらえる」
「十二枚って、すごく多くない?」
「多いな。まあ、報酬がもらえるのは後半になるし、行き先次第でもらえない可能性もあるから」
「届けたら良いだけなんじゃないの?」
兄さんと話が噛み合っていない気がして、首を傾ける。
それまで黙っていた角くんが『ドラゴン街道』の地図を広げる。わたしはちらりと角くんの顔を見上げて、でもすぐに地図を見る振りをして角くんの指先に視線を移す。
「旅の最後はこの『ドラゴンの都』だけど、そこに行くまでのルートはいくつかあるんだ。例えば、この『雲の修道会』の次にこっちの川を下っていくと『河町の上陸場』で、その先は『隊商の交差点』か『水平線諸島』のどちらかのルートを選ぶことになる。こっちのルートなら、例えばここの『ならず森』を経由して、その次は『魔術師の虚ろ』か『蔦枝の地』のどちらかに行くことになる。どれもその先は、もう『ドラゴンの都』だ」
「そうだね」
地図の上に引かれた線を辿る角くんの指を追いかけて、わたしは頷いた。顔を見なければ、いつも通りに話すことはできる。
ちょっと──思い出してしまうってだけ。わたしは襟を引き上げて、その中に口元を埋めた。
「『書簡』の宛先は、この『魔術師の虚ろ』『隊商の交差点』『蔦枝の地』『水平線諸島』のどこか。だから、選んだルート次第では届けられないかもしれないってこと」
「ええっと……例えばこの『水平線諸島』が宛先なのに、他のルートを通ったら届けられないから、そうしたら報酬ももらえないってこと?」
「そう。『書簡』の取引は二箇所でできるけどその宛先は違うから、報酬がもらえるとしてもどちらか一つだけ。それももらえないかもしれない。それでガイド役が重要になってくる」
「そうか、ガイド役は行き先を選べるから」
「そういうこと」
角くんの説明は終わったらしい。兄さんが改めてわたしの方を見た。
「他のルールは、これまでと一緒だ。始めて大丈夫そうか?」
「多分……また悩むと思うけど」
わたしの声に兄さんは何か言いかけたけど、気まずそうに視線を逸らして口を閉じた。
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