11-3 辺境の村 前編

 大きな本の赤い表紙には、金の文字で『ALMANAC』と書かれている。開くと中表紙。アルマナックというのは、暦とか年鑑という意味の単語だそうだ。日付だけでなく、行事だとか占いだとか、生活に必要な情報を色々と詰め込んだもの。このゲームでは「旅の紀行録」のことをアルマナックと呼んでいるらしい。

 もう一ページ開くと、今いる『辺境の村』の情報が描かれていた。職人ギルドのギルド小屋が四つあって、これからわたしたちはそこで取引を行うことになる。

 兄さんはアルマナックのそのページを指差した。


「俺たちが取引する商品は四種類。『炎胡椒ほのおこしょう』『久遠氷くおんこおり』『露滴葉ろてきよう』『飛空魚ひくうぎょ』だな」


 赤い炎のようなマーク、青い雫のマーク、緑の葉っぱのマーク、黄色い多分魚のマーク、と兄さんの指がそれらしいマークを順番に指差してゆく。商品がみんな不思議な名前で、なんだかファンタジーな雰囲気だ。名前を覚える自信がない。

 自分でもアルマナックを開いてそのページを見ていた角くんが、不意に話に入ってくる。


「あ、俺、『露滴葉つゆしずくは』って読んでました」

「いや、俺も正しい読み方は知らないですよ。公式でも振り仮名ないし。けど、『つゆしずくは』より『ろてきよう』の方が言いやすくないです?」

「だったら『久遠氷くおんこおり』も『久遠氷きゅうえんひょう』って呼んだ方が揃う気がしますけど」

「そこは『くおん』の方が響きがカッコイイから」


 角くんと兄さんのやりとりに首を傾ける。


「二人とも、このゲーム遊んだことあるんだよね?」

「あるけど」

「呼び名がわからなくても、遊べるものなの?」


 わたしの質問に、兄さんは訝しげに顔をしかめて、角くんはちょっと苦笑した。


「『緑』で通じるから」

「俺は『葉っぱ』って呼んでた」


 二人の言葉に、わたしはほっと息を吐く。なんだ、それで良いのか。赤い胡椒と青い氷と緑の葉っぱと黄色い魚、それだけ覚えておけば大丈夫そうだ。

 兄さんが、わたしの表情を見てから説明を再開する。


「商品の価値は、駐留地ごとに違う。この駐留地でたくさん手に入ったものが、次の駐留地では手に入らないとか、高く売れるなんてこともあるかもしれない」


 土地によって商品の価値が変わる、というのは納得できる気がする。そうやってお金儲けをするのかな、というのもなんとなく想像できた。


「ここに、それぞれの職人ギルドのギルド小屋でどんな取引ができるか、まとまっている。例えば、この一番小さい赤いギルド小屋、ここだと四つの取引がある。一番大きい青いギルド小屋だと取引の種類は七つだ。それぞれどんな取引かはまた後で説明するけど、この取引がさっき説明した『駒を置くマス』で、つまりは『アクション』だ。この中から、一つ選んでその取引を行う。先に誰かが取引したところは選べない」

「それは、多分わかったと思う。早い者勝ちっていうのも」

「取引には多分、この『取引許可証』が必要。これがなくなったら、もう取引はできない」

「『取引許可証』が三枚だから、三回取引できるってことだよね」

「そうだな」


 そこから、それぞれの取引の詳細の説明が始まった。

 商品のマークが描かれているのは、その『商品の仕入れ』ができる場所。この取引にお金は必要ない。仕入れることができる商品やその数は取引によって様々だ。

 特定の『商品の売却』ができる場所もある。葉っぱ──『露滴葉ろてきよう』を金貨四枚で売ることができるらしい。他の商品も金貨三枚で売ることができるみたいだ。

 それから『隊商の拡張』では、車を買って隊商を大きくできる。荷台も増えて行動回数も増えて名声も増える。『商店』はちょっと特殊で、いくつかの行動から一つを選べる。

 そして『契約の達成』。持っている契約書に書かれた商品を集めて持っていけば、それを達成できる。達成したら報酬が受け取れるし、名声にもなる。


「情報量が多い……」


 整理しながら聞いていたけど、覚えられる気がしなかった。ぼやくわたしの顔を、角くんが覗き込んでくる。


「取引の内容に関しては別に非公開情報じゃないし、わからなくなったら聞いてくれて良いから。説明するよ」

「うん……遊べる自信が全然ないんだけど」

「わかっちゃうと難しいことないんだよ。それで、やりたいことのどれを優先させるのか悩むようになって、楽しくなるんだ」


 そう言って、角くんはいつもみたいに穏やかに笑った。兄さんはちょっと呆れたような表情で、「このくらいすぐに覚えられるだろ」なんて言う。


「で、ここから、この『辺境の村』だけの特別なルール」


 特別なルール──どういうことだろうと首を傾けて兄さんの言葉を待つ。


「取引場所になっている職人ギルドのギルド小屋が四つある。それぞれの小屋で取引できるのは、一回までだ」

「どういうこと?」

「例えば、そうだな、この青いギルド小屋の『久遠氷二つと炎胡椒一つを仕入れる』取引をしたとするだろ。そうすると次以降、この青いギルド小屋ではもう取引ができなくなる。例えば、後から同じ青いギルド小屋にある『商店』に行こうと思ってもできなくなる」


 わたしはページに書かれている取引の一覧を見て考える。今の『商店』みたいに、一つのギルド小屋にしかない取引もある。『契約の達成』もそうだ。その取引をやりたいなら、そのギルド小屋の他の取引をしてはいけないってことか。


「え、それ、大変じゃない?」

「面白いだろ?」


 兄さんがにやにやと詐欺師のように笑う。兄さんのこの笑顔はいつものことだけど、わたしは頷けない。

 そっと角くんを見れば、こちらもいつもみたいに穏やかに微笑んでいる。なんとなくだけど、この後に角くんが言うことがわかる気がした。


「駐留地ごとにこういうルールがあってね。それが楽しいんだよ、このゲーム」




 ともかく、最初の取引をしないといけない。

 順番はわたしから。と言っても、最初に何をして良いのかわからなくて、わたしはずっと悩んでいる。

 契約達成に必要な商品を集めたら良いのだろうか。商品を仕入れるなら、二つだけの取引より三つ手に入る取引の方が良いんだろうか。でも、後でやりたいことができなくなると困る。

 アルマナックのページをずっと睨んでいるわたしに、角くんがそっと声をかけてくれる。


「こういうゲームだと行動回数が重要なんだ。三回しか行動できないと、例えば『商品の仕入れ』で一回、『売却』で一回、できることが残り一回であっという間だよね」

「そう、だね」


 角くんの言葉に頷いた。


「行動回数を増やすことができるのは『隊商の拡張』だけだよ」

「『隊商の拡張』をした方が良いってこと?」

「セオリーではね。もちろん、その時の状況とか色々あるから、一概には言えないんだけど」


 そう言って、角くんはギルド小屋の近くに並んでいる車の方を見た。どうやらそれが、今回売られている車らしい。

 車を買うには、お金と商品が必要だ。

 十七と番号が振ってある七金貨と久遠氷と飛空魚が必要な車。

 十二番の四金貨と久遠氷と露滴葉が必要な車。

 二十七番の七金貨と炎胡椒と飛空魚が必要な車。

 最初の十七番と十二番は荷箱を三つ積めるけど、最後の二十七番は荷箱を四つも積める。ただし、最後の車では『取引許可証』は増えない。

 取引の一覧を見ると、「久遠氷と飛空魚」も「久遠氷と露滴葉」も「炎胡椒と飛空魚」も『仕入れ』はできそうだった。


「最初にどこかで『商品の仕入れ』をしたら、二回目の取引で『隊商の拡張』ってできそうだよね」

「そうだね。だけど『隊商の拡張』は二箇所にしかないから、全員はできない。後回しにしてると取引できなくなるかも」


 角くんの言う通り、『隊商の拡張』はオレンジのギルド小屋と紫のギルド小屋に一つずつしかない。この中で、少なくとも誰か一人は確実にできない。

 それに、何をしたら良いかわからなくて迷っていたから、そういう目的がある方が行動を決めやすい。それでわたしは、並んだ車を見比べた。『隊商の拡張』の取引をするためには、それに必要な商品を仕入れないといけない。

 そのためには、どの車を手に入れるのかを決めないといけない、はず。『取引許可証』が増える十七番か十二番の車が良い、というのは自分にもわかった。二つの違いは、値段と名声だけ。

 十七番は七金貨で名声が十三点、十二番は四金貨で名声が十点。お金はあまり使いたくないけど、やっぱり名声が多い方が良いんだろうか。

 最初に持っている金貨は十枚だった。六角形の小さな硬貨が十枚、財布らしき皮袋に入っていた。行動順が後の人の方が、金貨をたくさん持ってスタートするらしい。わたしの次の角くんは十二枚、最後の兄さんは十四枚。

 先に行動できるのはそれだけ有利なことだと言われたけど、わたしにはよくわからない。ただ、わたしはお金が少ないんだからお金をあまり使わない方が良いのかな、と思ったくらいだ。


「まだかー? さすがに長考しすぎだろ」


 兄さんが、手持ち無沙汰らしく長い襟をまた振り回してる。そんな言い方しなくても、とちょっとムッとしたところで角くんが間に入ってくれた。


「俺もいかさんも経験者だからある程度わかってるけど、大須さんは初めてなんですから。それにいかさん、大須さんにだけ当たり強いのなんなんですか」

「だってなあ」


 兄さんが、眼鏡越しにわたしに呆れた視線を向ける。


「前は泣き出すばっかりで、全然ゲーム進まなかっただろ。それで結局、俺が全部考えて決めて、泣いてるのなだめてプレイさせて」

「保育園の時の話だよね、それ。だいたい、あの頃は兄さんに無理矢理やらされて、わたし本当に怖かったんだからね」


 角くんは困ったように眉を寄せて、わたしと兄さんを見比べた。


「あの、それ以上はゲームの範疇を超えると思うんで。その……いかさん、ボドゲ会だとあんなに寛大じゃないですか」

「何それ、信じられない」

「こんな長考、ボドゲ会じゃ見ないだろ」

「あー……うん、大須さんはちょっと待ってて」


 角くんにしては珍しい物言いに、わたしは口を閉じた。兄さんに腹が立ったからではあるけど、わたしの一言は確かに余計だったな、とちょっと反省する。でも、概ね兄さんが悪いと思ってはいるけど。


「いかさんも、大須さんが慣れるまではもうちょっと手加減してあげてください。ボドゲ会だとめちゃくちゃ親切で優しくて丁寧で良い人なのに」


 兄さんは兄さんで、角くんに正面切って褒められたからか、不機嫌そうに歪めた顔を逸らした。褒められて嬉しいならそういう顔をすれば良いのに、と思う。


「そういうのよく言えるよな」

「だって事実ですから。いかさんは、他のプレイヤーのこともよく見てるし、フォローもするし」

「もう良いよ、やめてくれよ。そういうの本人に面と向かって言うな!」

「言われたくなかったらもう少し待っててください! 俺は長考しないようにしますから!」


 角くんの勢いに呑まれたのか、兄さんは気まずそうにわたしをちらりと見たあと、溜息をついてから口を開く。


「すみません。身内だと思ってつい……余計なことを言いました」

「あ、いえ……俺も、その、すみません」


 兄さんが謝ると、角くんの声のトーンも急にしゅんと下がった。ちらりとわたしの方を見る。目が合うと、恥ずかしそうに目を伏せて、早口で喋り始めた。


「ともかく、ゲームを進めないと。大須さんは今は何で悩んでるの?」


 そうか、角くんはこれまでのゲームでずっと、わたしの長考を待ってくれていたんだと気付いた。怒ったり苛々したりすることもなく、穏やかに微笑んで、なんなら少し楽しそうに、わたしが悩んで自分で選ぶまで、ずっと。

 今は角くんは気まずそうに視線を逸らせたまま、こちらを見てくれない。わたしはその表情を見上げながら、さっきまで考えていたことを伝えるために口を開いた。

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