10-5 おおきな タルトを やきました

 二ラウンド目の終わり、森の地図、それぞれの看板の隣に貼ってあったフルーツのシールがなくなって、代わりに焼きあがったタルトのシールがぺたりと貼り付けられる。わたしの赤い看板のところにだけ、それがない。

 やっぱり、ミカンを採ってタルトを焼く方が良かったのかもしれない、と少し弱気になる気持ちもあった。

 でも、他のプレイヤーはみんなタルトを焼くことを優先していたから、わたしは二つ目のイチゴも収穫できた。これで『イチゴとミカンのタルト』を焼くことができる。

 三つの注文がなくなって、代わりに出てきた新しい注文は『ブドウとミカンとバナナのタルト』『ミカンのタルト』『ミカンとイチゴのタルト』で、なんだかまた偏っている気がする。ブドウを材料に使うタルトなら作れるのに、ミカンばっかりだ。

 ともかく、『イチゴとミカンのタルト』の注文を受けるのは変わらない。そうしたらようやくタルトが焼ける。


 最初に緑のプレイヤーが、ブドウとミカンとタルト生地の木に大きいリスを貼り付けた。

 今回は、フルーツが三つ実っている木が三本もあった。残りの二本は、同じくブドウとミカンとタルト生地、それからブドウとイチゴとタルト生地。

 三つの収穫は魅力的に見えるけど、先に注文を受けないと、と小さいリスのシールに手をかけたところで、角くんに止められる。


「このラウンド、タルトを焼けるの大須さんだけなんだよ」


 角くんの言葉に、他のプレイヤーの状況を見る。みんなさっきのラウンドでタルトを焼いたばかりで、材料がほとんど空っぽだ。タルト生地を一つ持っているだけで、他のフルーツはこれから集めるところ。


「そうだね。わたしはまだタルトを焼いてないから、一人だけ材料がいっぱい残ってるけど」


 自分の赤い看板の隣には、イチゴが二つ、ブドウが三つ、ミカンが一つ、タルト生地が一つ、たくさんのシールが並んでいる。

 目の前の大きな切り株のテーブルには、大きなブドウやイチゴやミカンが並んでいる。フルーツの甘酸っぱいにおいもしている。

 ブドウの一粒くらいだったら食べても問題ないんじゃないだろうか。でも、ゲームだから良くないかな。


「何が言いたいかっていうと、注文を後回しにしても大丈夫ってこと。先にフルーツを採りに行っても、タルトは焼けるよ」


 森の地図を見ながら、どういうことだろうかと角くんの言葉を考える。

 注文を後回しにして、先にフルーツを採りにいく方が良いってこと? 先に注文を受けたら、何が起こるんだっけ?

 そしたら次は黄色のプレイヤーの番で、その次は青いプレイヤーの番。どちらのプレイヤーも今は注文を受けられないから材料を集めるはずで──そうか。


「先に注文を受けちゃうと、選択肢が減っちゃうのか」

「そういうこと。今ならフルーツが三つ実ってる木も選べるけど、後からだとそれはできないかもしれないよね」


 角くんの言葉に納得して頷いて、それで改めて地図に貼ってあるフルーツのシールを眺めた。

 今はミカンが必要な注文が多いから、ブドウとミカンとタルト生地を選ぶと良いのかもしれない。でも、それだとまた緑と狙いが被ってしまう気がする。思い出すのは、緑のスカーフタイとエプロンのリスがとても警戒していた姿。

 撫でるまではできなくても、もうちょっと仲良くできたら良いのに。


「ブドウとイチゴとタルト生地のところにしようかな」

「ミカンはなくても大丈夫? 今回はイチゴがたくさん実ってるから、イチゴなら慌てなくても収穫できると思うけど」


 角くんの言う通り、イチゴが二つ実っている木が二本もあった。それでもわたしは首を振った。


「そうなんだけど。でも、それだとまた緑と行動が被っちゃって、それは嫌だなって思ったから。ミカンは確かに必要そうだけど、今から集めても先を越されちゃったら何もできないし」


 言いながら、自分でもだんだん自信がなくなってきた。そうなるとどうしても、角くんの表情を伺ってしまう。


「それとも、やっぱりミカンを集めた方が良いかな?」


 そっと見上げて目が合うと、角くんは何回か瞬きをして、それからすっと森の地図に目をやった。何かを考えているように、背中の尻尾が落ち着きなくゆらりと揺れている。

 やがてその尻尾がぴたりと動きを止めて、ぴんと立ち上がった。


「いや、確かに大須さんの言う通りかも。このラウンドで大須さんは手番順が二番目で、次のラウンドで三番目。手番順は青と緑のプレイヤーが先だから、そもそも不利なんだよね。それに、このラウンドで大須さんがタルトの注文を受けるなら、材料集めは俺だけでやらないといけなくて、そうなると必要な材料を集めきれないから、結局は間に合わないし」


 角くんの口から出てきた情報量に、わたしは返事もできずにぽかんと見上げることしかできなかった。だって──正直、そこまで深く考えていなかったから。

 もしかしたら、わたしがなんとなく「行動が被ると嫌だな」って思ったことをきちんと辿ってゆくと、角くんが言ったことに辿り着けるのかもしれない。そんなことを思いながら、角くんの言葉を聞いていた。


「今ある注文が間に合わないとなると、その次の注文を受けないといけなくて、そうなると……ここまでミカンを使った注文がいっぱい出てきてるから、その次はそれ以外がくる可能性が高いし、だったら今のうちにミカン以外を集めておくのは悪くないと思う」


 角くんはそう言って笑った後、小さく「それにしても」と呟いた。


「ブドウに偏りすぎてるな、とは思うけどね」

「やっぱりそうだよね」


 目の前に並ぶ大きなブドウの房を見る。ふっくらと濃い紫色のブドウの表面は白く粉をふいたようになっていて、甘いにおいもしていてとても美味しそうだし食べたくなるけど、やっぱり数が多く見えてしまう。


「うん、でも、ここまでブドウを使った注文はあまり出てないから、この先で出る可能性は高いと思う」


 だから良いと思うよ、と角くんは言った。わたしはその言葉に頷いて、それで大きいリスのシールをブドウとイチゴとタルト生地の木に貼り付けた。




 二回目の手番では、小さいリスのシールを『イチゴとミカンのタルト』に貼り付けた。それで、ようやく注文を受けてタルトが焼ける。

 角くんが収穫に行っている間に、タルト生地を用意する。収穫したタルト生地は、まん丸で固い。両手で抱えてもまだ大きい。

 そして、タルト生地の型はもっと大きい。中に入って寝転んで、ごろごろと転がれてしまうくらいの大きさだ。なんなら、角くんと二人で並んでもじゅうぶんな広さがありそう。

 行儀が悪いと思いつつも、切り株のテーブルの下からだとテーブルの上がよく見えなくて、わたしはテーブルに上がってしまった。そこで、タルト生地を抱えてタルトの型を見下ろしている。

 ゲームなんだから、タルトが焼けないってことはないと思うんだけど──と抱えたタルト生地の扱いに困ってどこかに置こうとした時に、うっかり手を滑らせて落っことしてしまった。タルト生地はテーブルの上に落っこちて、そしてその固い表面にヒビが入って割れた。

 割れたところから、柔らかな生地が見えた。外側の固いのが殻で、中に柔らかな生地が入っているってことなのかと気付いて、殻を剥いて取り除く。でもその後がどうして良いかわからない。

 テーブルの上を見回したら、めん棒があった。そのめん棒も大きい。多分、わたしの背丈よりも。近くに寄ってみたけど、わたしがこれを使うのは難しそうだ。なんなら、きっと今の角くんでも難しいんじゃないかと思う。

 そうか、今はリスのサイズだから、人間サイズの調理道具はこうなってしまうのかも。でも、ここはリスのタルトやさんなんじゃないの。どうして調理器具はリスのサイズじゃないの。そう思っても、ちょうど良い大きさの道具は見当たらない。

 なんとか移動させたら押して転がすことはできるかもしれないと、めん棒の端っこに両手をかけたら、突然、そのめん棒が立ち上がった。木でできている固いはずのめん棒がわたしの前で、ゆっくりと曲がった。なんだか、わたしにお辞儀をするみたいに。

 今の角くんよりもずっと背が高い。ぽかんとそのめん棒を見上げていたけど、もしかしたらと思って、そっと声をかける。


「もしかして、自分で動ける?」


 頷くように、めん棒がお辞儀をする。


「あの……タルト生地を伸ばして、タルト型に入れたいんだけど……手伝ってくれる?」


 任せて、とでも言うように、めん棒が反り返る。胸を張るように。それから、めん棒はタルト生地の脇までぴょんぴょんと跳ねていって、中途半端に広がったタルト生地に向かって倒れ込んで、あっという間に平ったいタルト生地にしてしまった。


「えっと、ありがとう。次は……タルト型に乗せるのも、できる?」


 わたしの呼び掛けに、めん棒は頭──かどうかわからないけど、上の部分──を振った。どういうことかと思っていたら、抱えるほどのお皿──人間サイズなら多分小皿だと思う──と、刷毛はけが向こうからやってきた。

 刷毛は小皿に溶かしバターを用意して、タルト型にバターを塗ってゆく。そしたら今度は粉ふるいがやってきて、タルト型の上で体を震わせて、薄力粉を降らせてゆく。それから、その辺りの道具たちがみんな動き出して、みんなでタルト生地をタルト型に乗せてしまった。

 めん棒が余分な生地を落として、フォークがタルト生地に穴を開けて、中にざらざらと重しが入ってゆく。オーブンの蓋が勝手に開く、タルト型がテーブルの上から大きく飛び上がって、そのままオーブンに入ってしまった。

 ぱたん、とオーブンの蓋が閉まった。


「すごい! ありがとう!」


 お礼を言えば、道具たちは嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねた。

 焼けるまでの間に、大きなボウルとヘラと泡立て器がアーモンドクリームを作り始めた。やがて焼きあがったタルト台がオーブンから出てきて、アーモンドクリームを流し入れて、そしてまたオーブンへ。

 今度は大きなボウルと泡立て器がカスタードクリームを作り始める。それから、果物の表面に塗るナパージュも。

 抱えるほどのイチゴのヘタを取るのは大変だったし、ミカンの皮を剥くのも大変だったけど、道具たちはみんな優しいし、甘酸っぱいにおいに囲まれて、とても楽しかった。

 食べやすく切った後に少し残ったイチゴの小さなカケラをスプーンに渡されて、良いのかなと思いながらそっと口に入れたら、舌先にぎゅっと酸っぱくて、美味しかった。

 角くんが戻ってきたのはちょうどそんな時で、切り株のテーブルの上で調理器具に囲まれているわたしを見て、角くんはしばらくの間、ただぽかんと突っ立っていた。




 ボウルからカスタードクリームを掬い上げたスプーンが、焼きあがってじゅうぶんに冷ましたタルト生地にそれを落として、広げてゆく。


「何事かと思った」


 その光景を見ながら、角くんがそう呟いた。


「わたしもびっくりしたんだけどね。でも、面白かったよ」


 わたしを見下ろして、角くんはちょっと溜息をついた。


「俺も見たかった」

「ごめん、戻ってくるの、待ってから作れば良かったね。材料あるから、作っておこうと思って」

「まあ、次にタルト焼くときに見せてもらえたら嬉しいかな」


 タルト生地にカスタードクリームを詰め込んだスプーンが、仕事の終わりを告げにわたしの前にやってきた。わたしは角くんとの会話を中断して、スプーンの方を向く。


「お疲れ様、どうもありがとう」


 スプーンは嬉しそうに飛び跳ねて、それからそっと、カスタードクリームがたっぷり残っているその頭を差し出してきた。


「カスタードクリーム、もらっても良いの?」


 頷くように頭を振るので、わたしは指先でカスタードクリームを少しだけ拭って、それを口に入れた。ふわり、とバニラの香りの後に、口いっぱいの甘さ。


「甘い、美味しい」


 甘いものを食べると、どうしても笑ってしまう。なんだかふわふわとした気分で隣の角くんを見上げる。角くんはまたぽかんと口を開いたまま、わたしを見下ろしていた。


「美味しいよ、角くんも食べてみたら?」

「え、ああ……」


 声をかけたら、角くんはびっくりした顔をして、わたしとスプーンを何度も見比べた。尻尾も、落ち着きなくゆらゆらと揺れている。


「その……俺も、食べて良いなら」


 ようやく角くんがそう言ったときには、スプーンはもう立ち去ってしまった後だった。角くんは気まずそうに手で口元を覆った。


「次にタルトを作ったときに、食べさせてもらえると思うから」

「いや、うん、大丈夫……」


 わたしの慰めの言葉に、角くんはちょっと眉を寄せて笑った。尻尾はまだ落ち着いていないみたいで、ゆらりと揺れていた。

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