game 10:リスのタルトやさん

10-1 もりに タルトやさんが ありました

 森の中だった。ぽっかりと木がなくて日当たりの良い空間。足元には柔らかな短い草が生えていて、踏み心地が良い。手入れされた場所みたいだった。

 目の前には大きな切り株を滑らかに磨いたようなテーブル。テーブルの上には、穏やかな陽射しにきらきらと輝くガラス瓶だとか、泡立て器だとかボウルだとか、そんなものがいくつか並んでいる。ただ、それが全部見上げるほどに大きく見えた。

 テーブルの隣にはとてもとても大きなオーブン。その手前には、籠が置かれていた。大きい籠と小さい籠が一つずつ。

 周囲の木々は随分と大きい。幹の太さなんか、人が隠れられるどころかわたしとかどくんが並んでもすっかりと隠れてしまえそうだった。

 大きい木だと思っていたんだけど、ふと、その隣にあった背の高い草を見て、びっくりした。その見た目、形も色合いも可憐な可愛らしい野花という雰囲気なのに、花の大きさがわたしの顔くらいもある。その大きな花がわたしの頭より高い位置──そう、いつも見上げる角くんよりも高いところに咲いている。


「大きい花……」

「というより、俺たちが小さいのかも」


 思わず呟いた言葉に、角くんの声が返ってくる。隣を見上げる。いつもと同じくらいの高さに角くんの顔があってほっとする。

 白いコックコートに、赤いイージースカーフタイ。スカーフタイと同じ色のエプロン。ソムリエエプロンていうんだっけ、腰から下だけの形の。それから頭には、同じ赤い色のキャスケット。

 ケーキ屋の店員さんみたいな服装。そして、その背中側にふわふわとした太い尻尾がくるりとしている。

 自分の頭を触ってみたら、わたしも同じ帽子を被ってそうだった。見下ろしてみたら、やっぱりコックコートを着ていて、イージースカーフタイとエプロンは同じ赤い色。角くんのエプロンは長めの丈だけど、わたしのはミニスカートみたいに短めの丈。

 意を決してそっと自分の背中側に手をやると、ふわふわの毛並みに手が触れた。撫でるとちゃんと感触があるし意識するとぴくりと動くので、確かにわたしの尻尾みたいだ。


「ほら、『リスのタルトやさん』だから、リスのサイズってことじゃないかな」


 そう言って角くんが指差した先に目を向けたら、そこには色とりどりのフルーツが乗ったタルトの絵の──きっと看板なんだと思う。木の枝にかかっていた。

 そのボードゲームの名前の通り、わたしたちはリスでタルトやさんってことみたいだった。


「大きさだけじゃなくて、尻尾もあるけど」

「尻尾の感覚、新鮮で面白いよね」


 角くんはどうしていつもそう面白がっていられるのかと不思議だけど、きっと、これがボードゲームの世界の中だからなんだと思う。角くんはだいたい、ボードゲームと名前が付いていればなんでも面白がることができるんじゃないかって気がしてる。

 背中から離れてくるんとしていた角くんの尻尾が、ゆらりと動いて角くんの背中にぴったりとくっつく。頭の上まで届いた尻尾を見上げるようにして、角くんはその先に触れていた。

 ふわふわした尻尾は可愛いとは思うけど、わたしはなかなか自分の状況をつかめないままで、はしゃぐ角くんの様子をぼんやりと眺めてしまっていた。




 今回のボードゲームは、珍しくわたしがリクエストしたものだった。リクエストと言っても、遊びたいと言ったわけじゃないんだけど。

 何かの時に「リスがタルトを焼くゲーム」のことを角くんが話していて、それで駒が可愛いって言っていたのを思い出して、見てみたくなった。角くんが家に──というか兄さんのところに遊びにくるって言うので、その時に見せてって伝えていた。

 角くんが家に来た時に、兄さんはまだバイトから帰ってなかった。部屋に入っていて良いって言われてたから、角くんを兄さんの部屋に案内した。

 お茶を入れたカップを二つ運んできて小さな台の上に置く──大きなローテーブルには飲み物や食べ物を置くなと言われている。ローテーブルより低いその小さな台の上が、飲食物を置くための場所なのだそうだ。わたしにはよくわからなかったけど、角くんはそれを見て「さすがだ」って言っていたから、ボードゲーマーなら何か通じるものがあるらしい。

 兄さんの部屋はボードゲームがたくさんあって、うっかりボードゲームの中に入り込んでしまうと怖いから、普段は滅多に近付かないようにしてる。入り込んでしまったとき、もし一人だったらどうして良いかわからない。仮に兄さんと一緒でも──それはもっと嫌だ。

 けれど今日は角くんがいるから、大丈夫な気がしていた。それでそのまま角くんの隣に座って、角くんが持ってきてくれた「リスがタルトを焼くゲーム」を見せてもらった。


 青緑色の雲の向こうに、森の中でリスたちがタルトを作っているイラスト。太めの字体で『リスのタルトやさん』と書かれている。まるで、絵本みたいだ。

 隅っこに「4才からあそべるボードゲーム」と書かれている蓋を持ち上げて、中から出てきたのは、まずリスの駒だった。大きいリスと小さいリス、それが赤と青と黄色と緑の四色。尻尾がくるんてなっている。

 それから、目の粗い布でできた巾着袋。角くんが持ち上げると、中身がじゃらじゃらと音を立てた。


「こっちが、タルトの材料。大須だいすさん、手を出して」


 角くんが巾着袋に手を入れて、中身を掴んでわたしの方に差し出す。わたしは言われるままに、両手をお椀の形にした。その上に、角くんの大きな手から、ざらざらとカラフルな駒が落ちてくる。

 わたしの手のひらの上でこんもりと山を作っているのは、フルーツだった。


「わ、可愛い」


 その色合いと形に、思わず声が漏れた。角くんが嬉しそうな顔をする。


「この赤いのがイチゴ」

「わかる。こっちの紫のはブドウでしょ」

「そうそう。それで、黄色い三日月みたいなのがバナナ、オレンジ色の半月みたいなのがミカン」

「オレンジの駒、もう一つあるよね。こっちの太陽みたいなのは?」


 わたしの言葉に、角くんはわたしの手の上からその太陽を一つ摘み上げた。


「これは、タルト生地」


 角くんが持ち上げた、太陽のようなタルト生地を見る。そのすぐ向こうに角くんの顔があって、その距離感にちょっと身をすくめてしまった。

 そのとき聞こえてきたのは、何かの鳴き声だと思う。きゅる、とか、きゅう、という感じの──耳の奥でその鳴き声が聞こえて、もしかしてこれがリスの鳴き声なのかなと思った時にはもう、森の中だった。




 テーブルの上に、メニュー表のようなものが置いてあった。開いたら、中にいろいろ挟まっていた。

 メニュー表自体には、タルトのイラストと名前が大きく描かれている。

 一つ目は『バナナとブドウのタルト』で、その下に「ざいりょう:バナナ二つとブドウ一つ、タルト生地」と書かれている。タルト生地の上にスライスされたバナナとカットされたブドウが綺麗にぐるりと並べられていて、花みたいだ。

 メニューはそんな感じで、ほかには『ミカンとブドウのタルト』『イチゴとミカンのタルト』『バナナとミカンのタルト』と並んでいた。カラフルで、可愛らしくて、見てるとフルーツの甘酸っぱい味を思い出してしまう。


 挟まっていたものは、森の地図。森の周囲四隅に、タルトの看板が描かれている。その看板はそれぞれ別の色で縁取りされていて、その近くにはたっぷりの余白があった。今までのゲームを思い返して、きっとここにはプレイヤーの情報が並ぶんだろうな、と思った。

 濃い緑色の森の中に、森の木々とは少し違う形の木が目立つように描かれていた。そんな木が、全部で八本ある。

 その木の場所には、さっき見たフルーツの駒と似たシールが貼られていた。一本の木に対して、フルーツのシールが二つずつ。フルーツと言っても、太陽みたいな形のタルト生地も混ざっている。

 例えば一番左上の木には、太陽みたいなタルト生地と三日月みたいなバナナのシールが貼ってある。右下の木にも、やっぱりタルト生地と紫色のブドウ。タルト生地がなくて、ミカンとブドウが貼られている木もあるし、ブドウが二つ貼られている木もあった。

 それから、リスの形のシール。その赤いシールは、大きいのと小さいのと二つ並んでいた。

 その中に紛れていたルールブックを手に、角くんは森の地図とメニュー表を見比べて何か考えているみたいだった。きっと、わたしへのルール説明の内容を考えてくれているんだと思う。

 その背中で、くるりと丸まっていたリスの尻尾がゆるやかに伸びて、揺れて、また丸くなった。その毛並みはふわふわと柔らかそうで──わたしはそっと角くんの横顔を見上げた。

 ちょうど顔を上げた角くんと目が合う。わたしはきっと何か言いたそうな顔をしてしまっていたんだと思う。角くんがわたしに話を促すように首を傾けた。


「大須さん、どうかした?」


 その顔の向こうに、尻尾のふわふわが見える。


「尻尾……撫でても良い?」

「え」


 角くんが固まってしまったのを見て、慌てて言葉を続ける。


「ごめん、嫌なら別に」

「嫌ってわけじゃないけど」


 今度は即答だった。その返事の勢いに瞬きを返す。角くんは手の甲で口元を覆って、視線を逸らした。


「どうぞ……」


 角くんの小さな声と共に、誘うようにその尻尾が揺れる。それに促されて、わたしはそっと手を伸ばした。指先が触れるとぴくりと反応して、毛がふわっと膨らむ。その毛並みに沿って、手のひらを動かす。

 柔らかな毛が、指の隙間をくすぐった。その感触が気持ち良くて、笑ってしまう。


「……ん」


 角くんが小さな声を上げたので、びくりと手を引っ込める。角くんは顔を俯けて、口元を覆っていた手で顔全体を覆っていた。


「ごめん、痛かったりした?」

「痛くはない、けど……その、くすぐったいというか……手加減して、ください」


 角くんの耳が赤くなっているのが見えて、それでわたしは目の前の尻尾が角くんの体の一部だと実感してしまった、今更だけど。慌てて手を引く。


「ごめん、もう終わりにする。ごめん」


 手の行き場がなくなってしまって、キャスケットを深く被りなおす。目の前にきた猫を撫でたくらいの気分で──何も考えてなかった。

 顔を上げられなくなっていたところに、角くんの声が降ってくる。


「いや、別に……謝らなくても良いけど。あ、俺も大須さんの尻尾撫でて良い?」

「え……」


 角くんの言葉に、どう反応して良いのかもわからなくなってしまう。そうか、さっき角くんが固まってしまったのはこんな感じだったのか、と気付いた。

 それでわたしは帽子を押さえて俯いたまま、何も言葉を返せない。


「……ごめん、冗談だから。ともかく、インスト始めようか。ゲーム、進めないと」


 角くんのその声はいつもと変わらない穏やかなものだったけど、わたしはやっぱり顔をあげることができなくて、その時の角くんがどんな表情をしていたのか、わからないままだ。

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