9-2 一人で頑張らないといけない

 スタート地点から少し離れた芝生に並んで座っている。馬たちは繋がれたまま大人しく待っている。

 周囲には、レジャーシートを敷いてのんびりとおやつを食べている家族連れや、はしゃぐ子供に手を引かれて歩く男の人、馬を指差して何か言い合う子供たち。のんびりとした光景だった。


「まあ、インストって言っても、そんなに説明することないんだけどね」


 そう言ってから、角くんはルール説明──インストをしてくれた。

 その説明の通り、やることはすごく単純だった。


 最初に六枚の手札が配られる。中身は全員共通で、一から六までの六枚。その中から、こっそりと一枚選ぶ。全員が選んだら、一斉にその数を見せ合う。

 そのカードの数だけ馬を進めるのだけど、その行動には順番がある。

 まず、カードの数が小さい人から馬を進める。同じ数の人がいたら、コース上でより後ろにいる人が先。

 一つのマスには、一頭の馬しか入れない。だから、進んだ先に他の馬がいた場合は、もともといた馬は後ろに一マス退がる。退がった先にも馬がいたら、もう一つ。そうやって、空いたマスまで退がらないといけない。


「他のプレイヤーの前を走るっていうのは、いつ追い着かれて抜かれるかわからないってこと」


 角くんは楽しそうな顔でそんなことを言った。


 それからもう一つ。コースには、池や川、生垣や煉瓦塀といった障害物がある。その障害物も一マスと数える。

 もし進んだ先が障害物だった場合、馬を進めることはできなくて、元のマスに戻ってしまう。つまり、そのターンは一回休み。


「厳しくない?」

「厳しいね。だから、気を付けないと。問題ないはずの数を出しても、後ろから追い着かれて退がることになってしまって、結果的に進めなくなってしまった、みたいなことは多いからね」


 さっきから角くんは、とても楽しそうな顔で厳しいことばっかり言ってくる。


「で、一度使ったカードは捨て札になる。次のターンでは、残りの手札から、また一枚カードを選ぶ。そうやって使ったカードは捨て札」

「捨て札になったカードはいつ使えるようになるの?」

「手札が全部なくなったら」

「それって、手札がどんどんなくなっていっちゃわない?」

「なくなっちゃうね。六枚目なんか、残り一枚の手札を一斉に出すだけになるよ」

「待って、それって……」


 例えば、手元に二のカードしか残ってなくて、でも二マス先には川があったら、それは進めないってことじゃないだろうか。


「残ってるカードが進めない数だったら?」

「パスはできないし、カードは出さないといけない。その結果、進めないってだけ。まあ、順番が入れ替わったりとかして意外と進めたりすることもあるから、あんまり絶望しなくても大丈夫だよ」

「でも」

「カードを出すだけ。気楽にね」


 角くんはそう言って、ふふっと笑う。


「それで、誰かがゴールラインを超えたら、そのターンでゲーム終了。そのターンの全員の行動を処理して、その時点で先頭の馬が勝利」

「ゴールラインを超えた馬が勝ちじゃないんだね」

「そうだね。一度ゴールラインを超えても、追い越されることはあるし、退がっちゃうこともあるし」

「そっか」


 先に進んでしまっても、何も安心できない。むしろ、後ろに馬がいるってことは、いつ追い越されるかわからないってことだ。

 なんだか、見た目のわりに大変そうなゲームだという気がする。

 ちらりと角くんを見上げれば、角くんはいつもみたいにのほほんと笑っている。


「これって、本当に子供向けのゲームなの? なんていうか、その、ずいぶんと難しくない?」

「難しくはないよ。ルールはすごく簡単だったでしょ? 手札からカードを一枚選んで出すだけ。出した数、進むだけ」

「そういうことじゃなくて、難しいっていうのは……だって、思った通りにいくかわからないってことだよね。カード選ぶのだってすごく悩みそう」


 わたしの言葉に、角くんはぱっと顔を輝かせた。


「そうなんだよ! すごく簡単なルールで、小さい子でものんびり遊べるんだけどね、でも実際遊ぶとばちばちの心理戦でかなり白熱したレースになるんだ。めちゃくちゃ楽しいよ」


 子供向けの可愛らしいゲームだと思って、わたしはすっかり油断していたと思う。こんなに厳しいゲームだと思っていなかった。

 なんだかとても機嫌が良さそうな角くんの顔を見て、かえって不安を覚えてしまうわたしを許してほしい。だって角くんのこの笑顔は、「悩ましいんだよ」とか「苦しいんだよ」って言ってるときと同じ顔をしてる。




 説明を終えた角くんは、最後にちょっと困ったような顔をした。


「ルールとしては以上なんだけど」

「まだ何かあるの?」


 困ったような顔のまま、角くんが繋がれた馬たちを振り返る。つられて、わたしも馬たちを見た。真っ白い馬と真っ黒い馬が大人しく並んで繋がれている。


「レースってさ、きっと馬に乗って走り出したら走りっぱなしだよね」


 角くんが何を言い出したのかがすぐにはわからなくて、わたしは首を傾ける。


「そう……なんじゃないのかな、よくは知らないけど」

「それに、前に向かって走ってた馬が、後ろに退がるようなことって、普通はないよね」

「それは……そうだよね」


 角くんは眉を寄せたまま、黒い乗馬キャップに手を当てて指先でフチをなぞる。


「次に出すカードを選ぶ間、レースはどうなるんだろうって、それがわからなくて。走ってる間に悩む時間てなさそうだよね。それに、同じマスに入ったら先にいた馬が後ろのマスに行くルールも。ルールとしては面白いけど、実際にはどうなるのかわからないし」


 言われてみれば、その通りだった。角くんに説明してもらったルールを思い返して、馬に乗って走りながらゲームのことなんて考えられるのか、不安になってくる。だいたい、馬に乗るのだってできるかわからないのに。

 わたしまで考え込んでしまったせいか、角くんが慌てたように笑う。


「まあ、実際にどうなるかなんて、やってみたらわかることだから大丈夫だと思うよ。それに、ほら、ゲームの進行には支障がないようにできてるはずだし」


 角くんは明るい声でそう言ったあと、少し心配そうにわたしの顔を覗き込んでくる。


「ごめん、変なこと言い出して」


 その伺うような声にわたしは首を振る。まだ「大丈夫」とは言えなくて、代わりに不安を口にする。


「考えたら、馬に乗りながらカードってどうするんだろうとか。それに、コースもよく知らないし。馬に乗ったことだってないのに」

「あー、馬は勝手に動いてくれるみたいだよ、ゲームだからだと思うけど。コースとカードは……」


 角くんはちょっと考える素振りを見せて、それから立ち上がった。


「馬に乗ったらわかると思う」


 そう言って、角くんが手袋をした手を差し伸べてくる。その手を取って、わたしも立ち上がった。




 角くんに言われるまま、わたしは黒い馬にまたがる。馬に乗ったことなんかないし、どうやって乗れば良いのと思っていたのだけど、馬の隣で跳び上がったらもう鞍の上に跨っている状態だった。

 その呆気なさに、馬の駒の上に騎手の駒を乗っけたのを思い出す。そうだ、これはボードゲームだった。


「コースとカード、わかった?」


 角くんに言われて頷く。視界の中に、ゲームボードと六枚のカードが見える。カードは一から六まで順番に並んでいる。なんだか変な気分だ。

 ゲームボードには、五色の丸が表示されていて、それがプレイヤーの現在地みたいだった。スタート地点から少し離れたところに、赤い丸と黒い丸がほとんど重なるように並んでいる。きっと赤い丸はわたしで、じゃあ黒い丸は──。


 わたしは、馬の上から角くんを見下ろした。黒い乗馬服に身を包んだ角くんが、わたしの視線に首を傾ける。


「ひょっとして、今回は角くんもプレイヤー?」


 わたしの言葉に、角くんはちょっとびっくりした顔をした。


「え、あれ、今気付いた? この格好だし、馬も連れてるし、てっきりもう気付いてるものかと」

「だって……それどころじゃなかったから」


 角くんが馬になってなくて良かったって思ってたから、角くんが乗馬服を着てる意味まで考えてなかった。でも、言われてみたら確かに、ここまでどうして気付かなかったんだろうってくらいに、角くんはきっちりと騎手の姿だ。

 このゲームは馬に乗って走る。その間、いつもみたいにお喋りしたり相談したりできるとは思えない。それに加えて今回は角くんとも競争するってことで、それはつまり一人で頑張らないといけないってことだ。

 もういっそ、角くんが馬になっててくれた方が一緒に走れたし安心だっただろうか、なんて考えてしまって、自分のその考えがおかしくなって笑ってしまった。


「大須さん、どうかした?」


 急に笑い出したわたしを、角くんが不思議そうに見上げていた。そうだ、角くんには笑うなって言ったのに、自分で笑ってしまってる。

 わたしは首を振ってみせた。


「なんでもない、大丈夫。とにかく、カードを一枚選んで出すだけだよね。頑張ってみる」


 角くんはほっとしたような顔をして、白い馬にまたがった。かっちりとしたジャケットの乗馬服を着て背筋を伸ばして手綱を握っている姿を見ると、まるでどこかの貴公子のようにも見える。背が高いとやっぱり見栄えが良くて羨ましい。

 角くんは馬上からわたしを振り返って、綺麗に微笑んだ。それこそ貴公子のように。


「大須さんと遊べるの、楽しみだな」

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