game 9:レース・ギャロッポ

9-1 そこにいたのは馬だった

 校舎の一番上の端っこの狭い部屋。ボドゲ部(仮)カッコカリの仮の部室として使っている第三資料室で、角くんが取り出した箱。わたしはそれを見て、以前に遊んだ魚釣りのゲーム『カヤナック』を思い出した。

 馬に乗った人の駒。積み木のような駒の写真が大きく使われている。箱は全体的に色褪せていて、端の部分は擦り切れている。赤っぽい字で『Giro Galoppo』と書かれていて、読めないけど多分それがゲームのタイトルなんだと思う。後半は「ギャロッポ」かな、馬だし。


「『カヤナック』に似てるね。なんていうか、箱の雰囲気が」

「出版社は違うんだけどね。子供向けだからかな」

「これも、角くんが小さい頃に遊んでたゲーム?」

「遊んでたっていうか」


 かどくんはちょっとためらうように言葉を切った。そして、照れたように目を伏せる。


「ほとんど一人でだったけどね、子供の頃は。あ、でも、このゲームは今もたまに出番があるよ」


 子供の頃、ボードゲームを買ってもらってボードゲームを遊びたかった角くんは、だけど友達とボードゲームをうまく遊ぶことができなくて、一人で遊んでいたらしい。一人で複数プレイヤーとしてプレイをするような、そんな遊び方で。

 角くんは気を取り直したように微笑んで、取り出したボードゲームの説明を始めた。


「これは、『レース・ギャロッポ』。馬に乗って、レースをするゲーム。ダイスの代わりにカードを使うすごろく」

「ふうん」


 角くんの説明はわたしにはあまりぴんとこなくて、ただ首を傾けるしかできなかった。


「ともかく、駒を見てみて。可愛いから」


 そう言って、角くんが箱の蓋を持ち上げる。箱の中は仕切られていて、一番大きいところには折り畳みのボード、一番小さいところにはカードが入っていた。残りのスペースに、馬と人の駒が入っている。

 角くんが、そこから馬と人を取り出した。ボードゲームの駒にしては少し大きめで、なんだか駒というより玩具おもちゃみたいだ。角くんは何頭かいる馬の中から黒い馬を選んで長机の上に立たせた。それから、黒い服の人をその上に乗せる。


「馬の上に駒が乗るの?」

「乗馬のレースだからね。馬に乗せたこれが、プレイヤー駒」


 そう言って、角くんは他の駒も並べた。人の駒は、赤と青と黄色、緑と黒。馬の方は、白と黒、茶色は色合いの濃さが違って三色。どちらも五色ずつ、でもプレイヤーの色に合わせて赤い馬や青い馬がいるわけじゃないみたいだった。

 馬と人以外にも、箱の中に駒が残っているのに気付いた。


「残りの駒は?」

「こっちは、馬が跳び越える障害物だね。生垣とか、煉瓦塀とか」


 角くんが残りの駒も取り出して、長机の上に並べた。緑のもこもこした形の駒が、多分生垣なんだと思う。赤い四角い駒には、確かに煉瓦の模様がプリントされていた。


「どう? 怖い要素はないはずだけど」


 頷いてみせると、角くんはほっとしたように笑って、駒を選ばせてくれた。別々に好きな色を選んで良いらしい。それでわたしは悩む。


「別に色で何か変わるってことはないんだよね?」

「人も馬も、色では何も変わらないよ。ただの区別用。好きに選んで大丈夫」

「みんな可愛いな。でも黒がかっこいいかも。人の方は赤にする」


 そう言って、赤い人を黒い馬の上に乗せる。角くんが「可愛い」と言った理由がわかる。こうやって、人と馬を組み合わせてるだけでも遊べそうなくらいだ。


「青毛って言うらしいよ、黒い馬のこと」

「青なの?」

「黒いんだけど、毛並みが青っぽく見えるらしいね」

「へえ」


 角くんが指先で、青毛の馬の鼻先をつつく。


「この馬だけ贔屓ひいきしてたんだよね」

「贔屓?」

「一人で無理矢理遊んでたときの……小さかった頃の話だよ。いつも黒い馬に勝たせてたんだ。この馬に乗ってるプレイヤーが有利になるように、ゲームを操作してさ。プレイヤーカラーも黒が好きだったな」

「じゃあ、黒い人を黒い馬に乗せてたの?」

「好きだったんだよね、黒い色が。なんかかっこいい気がして」


 真っ黒がかっこいいと思ってる小さい頃の角くんを想像して、わたしは少し笑った。なんだか少し可愛いなと思ったけど、自分だって「黒がかっこいい」って理由でこの馬を選んだ。わたしも角くんと同じなのかもしれない。

 角くんは箱の中からボードを出して広げる。破れた跡がテープで補強されていて、『カヤナック』の箱を思い出す。やっぱり角くんの思い出のゲームなんだろうな、なんて思う。

 ボードには、マスで区切られた曲がりくねった道が描かれている。きっとこれが、レースのためのコースなんだと思う。この白黒のラインがゴールだとすると、そのすぐ近くのこの扇型の場所がスタートだろうか。

 スタートからボードをぐるりと大きく一周して、戻ってくるようなコース。途中に池や川もある。

 コースの周囲にはのびのびとレースを見ている人たちが描かれていて、中にはシートを広げてくつろいでいる人たちもいて、ずいぶんとのんびりした雰囲気だ。

 賑やかな歓声、子供たちのはしゃぐ声、それからこれは──馬のいななきだろうか。




 よく晴れた穏やかな陽気。空には絵本か漫画のようなもこもこの白い雲が浮かんでいる。

 いつもみたいに隣を見上げたら、そこにいたのは馬だった。真っ黒い馬。青毛と呼ぶのだと教えてくれた角くんは見当たらず、それってもしかして──。


「角くん……?」


 呼びかければ、まるで返事をするように首を振る。瞬きをして、その黒い馬をじっと見る。その黒い毛並みを見ながら、角くんの髪も真っ黒だったな、なんて思う。


「ひょっとして、角くんなの……?」


 ひょこりと首を下げたり首を振ったりはするけど、黒い馬は何も喋らない。馬だから喋れなくて当たり前なのかもしれないけど……でも、ルールとかまだ聞いてないのに。

 自分の姿を見下ろせば、多分これは乗馬服だ。赤いジャケットに白いズボンの乗馬服。胸元にはアスコットタイ。わたしは騎手ってことなんだと思う。

 そして選んだのは黒い馬の駒だから、この目の前の黒い馬が、多分わたしが乗る馬。でもそれって、角くんに乗るってこと?


「え、どうしよう。角くん? 本当に角くんなの?」


 どうしたら良いかわからなくて、泣きそうな気持ちで必死で呼びかけていたら、不意に背後から角くんの声がした。


「あ、大須だいすさん、やっぱりここだった」


 振り向けば、そこには真っ白い馬。その馬には、真っ黒いジャケットの乗馬服を着た角くんが乗って、手綱を握っていた。

 ただでさえ高い角くんの顔が、さらに高くにある。その高さからわたしを見下ろして、角くんは心配そうに眉を寄せた。


「大須さん? 何かあった?」


 その姿を見たわたしが咄嗟に考えたのは「なんで角くんが二人いるの?」ってことだった。落ち着いて考えたらそんなわけがないんだけど、とにかくその時はひどく混乱していて、呆然とその場に座り込んでしまった。




「俺が馬になった……?」


 角くんはぽかんとした顔で、少し離れたところに繋いでいる馬たちを振り返った。わたしは自分でもなんでそう思ってしまったのかわからなくなってしまって、恥ずかしくなったのを誤魔化すために、角くんを睨み上げた。


「繰り返さないで」

「あ、えっと……ごめん」


 角くんは口では謝りながら、口元を押さえて──これは絶対笑ってる顔だ。


「だって、今までこういうときはいつも隣にいたのに、今日はその場所に馬がいたから。ルールも聞いてないのにどうしようって思って」

「いや、うん……そうだよね」


 角くんは手で口元を覆ったままうつむいて──もしかしたら、角くんはこれで笑いを堪えているつもりなんだろうか。


「ゲームの中だからそういうこともあるのかもって思っちゃって……ほんとにもう笑わないで、恥ずかしいから」

「うん、ごめん」


 角くんは顔を上げて、まだちょっと笑いながらわたしの顔を覗き込んできた。


「とにかく、インストしようか」


 わたしは唇を尖らせて、またちょっと角くんを睨んで──でもルールを聞かないことにはゲームが始まらないから、結局は小さく頷いた。

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