game 8:ブーメラン・オーストラリア

8-1 ブーメランを投げる

 大きな後足で地面をしっかりと踏みしめて立っている。ぼってりとした体と、地面に落ちる長い尻尾。だらりと下がった前足。顔は意外とシュッとしていて、ぴんと立った耳がひくひくと動いている。そのお腹の辺りから小さな顔がひょっくりと覗いて、きょときょとと周囲を見回していた。


大須だいすさん! カンガルーが近い!」

「うん、可愛い……!」


 わたしとかどくんは、オーストラリアの『THE WHITSUNDAYSホウィットサンデイ諸島』にある島の一つ、ハミルトン島のハミルトン・アイランド・ワイルドライフに来ている。

 そこで『カンガルー』を間近に──それはもう、触れ合い体験くらいの距離感で間近に見ている。なんなら餌だってあげることができる。

 こうやってオーストラリアの観光名所を巡って、訪れた観光地の数や、そこでの経験やお土産によって点数が決まる。点数が一番高い人がより充実した旅行ができた人で、このゲームの勝者。


 つまり、今はボドゲ部(仮)カッコカリの活動中で、ここはボードゲームの世界の中だ。本当のオーストラリアじゃない。こんなに間近にカンガルーを見ることができるのも、ゲームの中だからかもしれない。




 広い海の色みたいな、エメラルドグリーンの箱。カンガルーと、カンガルー注意の看板。コアラや飛行機やブーメランのステッカーがペタペタと貼られた旅行鞄。大きな波とサーフィンをしている人。

 後ろに描かれている白い貝殻が重なったような建物は、なんだっけ。オーストラリアにある有名な建物だった気がする。

 それらの絵が、写真のような白い枠線の中に──ところどころ飛び出しながら、配置されている。その枠線の上部には、飛行機の絵と共に大きく『BOOMERANG』と書かれている。その下に、それよりも小さな文字で『AUSTRALIA』。

 そんなに大きな箱じゃない。B5のノートよりも小さいくらい──もしかしたらA5サイズくらいだろうか。厚みはちょっとした辞書並みだけど。

 いつもの第三資料室──ボドゲ部(仮)カッコカリの仮の部室でかどくんが今日持ち出したのは、そんな箱だった。蒸し暑くて開けた窓から少しの風が入り込んできて、カーテンが揺れている。


「これは『ブーメラン・オーストラリア』。オーストラリア旅行をして、思い出をたくさん作った人が勝ちっていうゲーム」


 角くんの言葉に、わたしは箱から顔を上げて角くんを見る。


「旅行をするゲーム?」

「そう。オーストラリアの観光地がカードになっていて、そこでどんな動物が見れるかとか、お土産とか、何をするかが決まっていて、集まったカードの内容で得点が決まる。例えば、カンガルーのカードが二枚あれば三点とかね」

「旅行するだけ?」

「そう、観光旅行するだけ」


 旅行とゲームが頭の中でなかなか結びつかなくて、わたしは首を傾けた。


「きっと、楽しいと思うよ。怖いこともないと思うし」

「遊ぶのは構わないけど」


 わたしの言葉に、角くんはほっとしたように笑うと、箱の蓋を持ち上げた。

 中から出てきたのは、箱と同じ絵が描かれた──多分ルールブック。カラフルなカードの束。それから、鉛筆が何本かと、メモ帳のような紙の束。


「鉛筆?」

「そう、いわゆる『紙ペンゲーム』って呼ばれるジャンル。で、これがスコアシート」


 角くんはメモ帳のようなところから一枚、紙を切り離してわたしの前に置いた。


「ここにチェックしたり、点数を書き込んだりして、最後にはそれがゲームの結果になるんだ」


 いくつかの色で塗り分けられたオーストラリアの地図。その中にはアルファベットが書かれている。

 隣には、何かのマークと白い四角が並んでいる。


「で、こっちが観光地のカード」


 角くんがそう言って出してきたのは、緑の背景に写真のような枠があって、その中にカンガルー姿が描かれたカードだった。

 写真のような枠の左上には丸の中に3の数字が、写真の下には『KANGAROO ISLAND』『SOUTH AUSTRALIA』と書かれている。

 脇には、歩いている人の絵が描かれた青い四角いマークと、カンガルーと数字の3が描かれた黄色いひし型のマーク。黄色いひし型のマークは、まるでカンガルー注意の看板みたいだ。


「これは『KANGAROO ISLANDカンガルー島』のカード。『ハイキング』をして、『カンガルー』が見れる場所」


 説明しながら、角くんは指先で、青いマークと黄色いマークを順番に指差した。


「このマークが点数になるってこと?」

「このマーク、だね。他の点数要素としては、この左上の数字とここのアルファベットも関係してくる。『KANGAROO ISLANDカンガルー島』は数字が『3』で、アルファベットは『O』」


 角くんの指先を視線で追いかける。『KANGAROO ISLAND』という文字の左側に描かれた二重丸のような記号は、どうやら丸の中にアルファベットのOの文字だったらしい。


「他には……あ、ほら、これは『THE GREATグレート BARRIERバリア REEFリーフ』のカード」


 角くんは今度は、珊瑚の海を背景にウミガメと熱帯魚が泳いでいる写真のカードを出した。青い四角いアイコンは写真のマーク。もう一つのアイコンは緑の丸の中に花の絵と数字の2が描かれている。


「この写真のマークは『観光』。それから、緑のマークはコレクション……お土産ってことだね。これも点数になる」


 角くんの声に重なって、耳の奥でざわざわとした音が聞こえた。それが波の音だと気付いて、それでわたしと角くんはもうゲームの中──オーストラリアだった。




 喫茶店のような場所で、かどくんと向かい合って座っていた。店内のざわめきが、波の音のように聞こえる。


「オーストラリア……だと思うけど」


 周囲を見回して、角くんがそっと呟く。

 案内の文字とか、行き交う人々の様子だとか、店の雰囲気とか、そういうものを見てきっと外国なんだろうと思う──オーストラリアかはわからないけど。同時に、知らないところに放り出されてしまった、と不安になった。

 そこに広がる光景が、あまりに現実的過ぎる。ここがゲームの中だってことを忘れてしまいそうだ。


「本当に観光するってこと? 言葉とか……いろいろ、大丈夫なのかな」

「まあゲームだし、なんとかなるんじゃないかな」


 角くんはあまり心配していないみたいに、いつも通りに穏やかにのほほんと笑っていた。


「ともかくインストしちゃおうか。何か荷物は持ってる?」


 角くんに言われて、改めて自分の姿を見下ろす。ぴったりとした黒いタンクトップの上に肩口が広く開いている鮮やかな色のカットソー。七分丈のジーンズと、少しだけヒールのあるサンダル。そのまま散歩でもできそうな服装だった。

 足元に荷物入れの籠。そこにつばの大きな麦わら帽子が置かれている。その下には海の色に似たエメラルドグリーンのリュックがあって、どうやらそれがわたしの荷物みたいだ。

 持ち上げてリュックを開ける。中からは、見覚えのあるルールブック。オーストラリアの地図──何色かに塗り分けてあって、周りには白い四角い枠が並んでいる。ゲームの箱から出てきたスコアシートを大きくしたものみたいだけど、それ以外の余白がずいぶんとある。

 それから、A5くらいのサイズのノート。それと、カラフルなボールペンやマスキングテープがいくつか。

 試しにノートを開いてみたら、そこに細長い紙の束が挟まっていた。ノートの中身は白紙だ。

 細長い紙には、ゲームのカードみたいに、数字だとかアルファベットだとか、それからオーストラリアの地名が書かれていた。青や緑や黄色のマークもあった。


「これは……チケットかな、この場所に行くための。七枚あるから、きっとこれがカードの代わりだ」


 角くんはその紙を一枚持ち上げて、ひっくり返したりしながらそんな風に言った。

 わたしも一枚持ち上げて眺めてみる。

 ゲームのカードにはカンガルーだとかウミガメだとかの絵が描かれていたけど、チケットにはそれはない。行き先の地域によって色が違うから賑やかに見えるけど、そこにある情報は文字と、ちょっとしたマークだけ。

 随分とあっさりとして見える。


「カードみたいに、絵が描いてあればわかりやすいのに」

「ボドゲだと実際にその場所に行けないからね。だからカードは写真みたいなデザインなんだと思う。それを並べると本当に旅行に行って写真を撮ってきたみたいな気分になれるんだよね」


 角くんは持ち上げていたチケットをテーブルに戻した。そして、何を想像したのか、ふふっと笑う。


「でも、今は大須だいすさんのおかげでオーストラリア旅行に来ちゃってるわけだし、だからカンガルーも絵じゃなくて、目の前で見れるよ、きっと」

「……ひょっとして、角くん、カンガルー見るの楽しみにしてる?」


 わたしの言葉に、角くんはちょっと頬を染めて目を伏せた。


「それは……まあ。カンガルーだけじゃないけど」

「もしかして、オーストラリア旅行したくて、このゲーム持って来た?」

「それは……いや、楽しそうって思ったのは事実だけど、でも、面白いゲームなんだよ。よくできててね。それに、純粋に旅行を楽しむだけのテーマで、トラブルとか怖いことも起こらないし、お化けとかも出ないし、大須さんも楽しめるだろうって思って」


 早口でどこか言い訳のようにまくしたてていた角くんだけど、急に言葉を止めて気まずげに視線を逸らした。


「ごめん。大須さんは、ボドゲの中に入っちゃうの、こんなふうに使われたら嫌だよね」

「え」


 わたしは瞬きをして、角くんを見る。特に責めるつもりはなかったのだけど、もしかしたら角くんにはそう聞こえてしまっていたのかもしれない。


「角くんはボードゲームが好きで、だったら遊びたいって思うのは仕方ないのかなって思ってるよ。わたしは別にゲームが好きってわけじゃないから、角くんがこうやってゲームの世界に入って遊びたいって思う気持ちはわからないけど……でも、嫌とは思ってないよ」


 角くんがちょっとびっくりした顔をして、わたしを見た。目が合って、なんだか急に恥ずかしいことを言っているような気がして、わたしは目を伏せて言葉を続けた。


「それに、わたしがゲームの世界に入るのが嫌だって思ってるのは怖いからで……でも、怖くないのを選んでくれたんでしょ?」

「それは大丈夫。本当に、楽しく旅行するだけのゲームだから」


 角くんはテーブルの上に体を乗り出して頷いた。その勢いに、わたしは思わず顔を上げて、そして笑ってしまう。


「あと、カンガルーはわたしも見たいかな、せっかくだし」


 わたしの言葉に、角くんは今度こそ安心したように力を抜いて、そして微笑んだ。


「カンガルーのカードはいっぱいあるから、きっと見れると思うよ」






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